エピローグ

エピローグ①

 ――世界歴1411年。妖精国王、ラルド・レ・ロランは、人間界の王と会合を果たす。

 これまで、人間界は何度か妖精界側との対話を望んでいた。しかし、妖精界側は拒否。このたび、新たな王が妖精界で誕生し、四百年越しの初めての会合となった。

 議題は、妖精の呪いについて。

 両世界は妖精の呪いがもたらす数多の事柄を公に流し、そのうえで一つの結論に至った。

 曰く、妖精の呪いを完全に消すことは不可能ということ。

 宝剣の力により抗体が出来た人間界でさえ、常に妖精の呪いは付きまとう。なぜなら、ヒトの心から感情が消える事は無いからだ。喜ぶし、悲しむ、そして誰かを憎む。

 妖精界の王、ロランが王となってまず着手したのは、妖精界を治めることだった。妖精界は人間界へ侵略を企てていた。それは防げたものの、二度と起こらないとは限らない。

 妖精界と人間界の因縁は、たった数百年で消えない。

 だが逆を言えば――それを忘れてしまえるほどに、時が経てば。妖精の寿命は長いが、世代は受け継がれていく。互いが……妖精が、人間が。認識されなくなれば、呪いなど何の意味も持たない。

 結果として、両国は路を閉ざすことにした。

 妖精が人間界へ行くことが出来ないように。人間が妖精をいつまでも夢物語と語り紡ぐように。

 全ての路を完全に閉ざすまでに、七年もの長い月日が経った。


 *


 世界歴1418年。妖精界、妖精城の執務室にて。

 王とは、玉座にふんぞり返り指示をする者ではない。ラルド・レ・ロランは、そんな信念に基づいて、ここ七年、王としての責務に追われていた。

「今思えば、王を継いだあのときは大変だった。僕は兄と違い城を追い出された身。それを突然戻ってこい、あまつさえ王になれなんて……横暴すぎない? ねぇ、君もそう思うだろう、ディオ」

「…………」

「そりゃあ、確かに、人身売買されていた人間のみんなを、手を回して敷地で保護していたのは隠していたけど。でもそれは悪いことじゃない。兄さんに出来ないことを僕がしていただけだ」

「…………ひとつ、聞いても?」

 ロランは手を止めた。彼はいま、机上に置かれた数多の書類を二つに分けている。

「なに?」

 ロランは、赤色の双眸を瞬かせた。ディオより幾つか歳が若い彼は、その顔立ちもやや幼い。城を出て、別邸で暮らしていたロランとは、ディオもほとんど面識はなかった。とはいえ、ディオがロランの――妖精王の補佐をするようになって、七年も経つ。

「書類が山盛り過ぎる」

 片方は押印が必要な書類が山盛りになっていた。それはディオの目の前に置かれている。唸り声のような低さで呟いた彼の心境は、何とも言えないものになっていた。

「なにもディオが処理しなくちゃいけないものじゃないだろう」

「それはそうだが……」

「いよいよ、路を塞ぐ作業も最終段階。やる事は山積みだけど、それさえ終わればひと段落つくんだ」

 ね、とロランは笑う。ディオは肩を竦めると、山盛りの書類を両腕に抱え込んだ。


 ディオが想像していた以上に、ロレットの弟――ロランは、有能だった。いや、兄や父、更に人間界を治めていた叔父を思えば有能でない訳が無いのだが。

(妖精界にとって救いだった。……ロランは、人間と生活をしていた。彼は妖精の呪いから遠ざけられていた)

 ロランを妖精城から別邸へ移した、先々代王の考えが意図的のようにも思えた。本人には言わないが……聡い彼は気付いているだろう。

 だが、ロランの言う通り、彼だけで王の業務がなせるわけではない。一人では国を治められない。過激派や人間界とのやり取りで、問題は山積み。

 妖精の呪いを知った妖精界の者たちは、危うく恐慌の渦に陥りそうになったのだが、ロランが予め、呪いとは人を憎む心を肥大化させるものだと伝えた事、対抗策などを早期に伝えた。それでも、混乱が収まるまで五年は掛かった。

「……本当に忙しかった」

 妖精城を歩く。大量の書類を抱えるディオを、妖精達が遠巻きに見ていた。

八年前、ディオがこの城に乗り込み、ロレットと対峙した件について――ロランはそれを処罰しなかった。

 ――兄を助けてくれました。貴方は妖精界に必要だ。それに……既に罰は受けたでしょう。

 ディオには、彼の好意を跳ね除ける理由なんて一つも無かった。

 執務室から離れた個室へ向かうにつれて、少しずつ人の気配が減っていく。入り組んだ地下への道を通れば、とうとう周りは誰も居なくなった。

 書類を落とさないように気を付けながら、ある部屋の前に立ち、ドアノブを捻る。

「――ロレット、書類を持ってきた」

 あまり広くはない部屋。地下にあっても信用できる使用人が定期的に出入りしているお陰で、清潔を保っている。以前は書斎として使われていた場所だ。数多の書物が保管されているものの、滅多なことで人が出入りしない。自然の光が入り込まないため、ランプが常に用意されていた。

 部屋の奥には豪奢なベッドが置かれている。木製の机には、どこか退屈そうな目をした青年が座っていて、ディオの声に顔をあげた。

「また沢山持ってきたね……」

「お前の仕事だ」

 ロレットは、苦笑して目の前の机に置かれた書類の山に手を伸ばした。

 ――現在、彼の中の妖精の呪いは比較的落ち着いている。心に芯がある者ならば、完全に呑まれることはない。

 王として判断を誤ったロレットは、自ら王位を弟に譲る決意をした。

「私が王になる代わりに、兄さんは私を手伝ってください、か。兄離れして貰いたいなぁ」

 微苦笑を浮かべながらも、ロレットは嬉しそうにしている。

 表に出るのはロランだが、裏方を支えているのはロレットだ。実質、今の妖精界は二人王が居る、というところだろう。本人の希望で、ロレットは民の前に顔を出すつもりはないらしく、治療中という扱いになっている。

ディオは、ロレットの邪魔をしないように退出しようとして――そこで、ロレットの手が止まった。

「……路……」

 呟いたロレットが、「ディオ」と呼びとめる。

「君、これからどうするんだい?」

「どういう意味だ?」

「人間界への路が閉じてしまう。そうなれば、もう、二度と行き来は出来ない。良いのかい? 人間界でやり残したことがあるんじゃないのか」

 ディオは気まずそうに顔を逸らした。それを見て、ロレットは鼻で笑う。

「図星だ。その様子だと、これまで何度か人間界に行った際にも目を背けていたね?」

 ――ネモとの約束。

 彼女との旅の話はロレットにしてあるが、ネモと交わした再会の約束までは話していない。

「……確かに、務めの一環として人間界へ行くことはあった。お前の言う通りだ」

 彼は部屋に備え付けられた鏡を横目で見た。そこに映る自分の顔。

 治癒術は完璧ではない。八年前に負った全身の火傷。治った部分はあるが、治療が遅れたせいで、治癒しきれなかった部分がある。それが左目の辺りだ。ロレットから受けた傷も相まって、あまり人前で見せるべきではないと包帯で覆うようにしていた。

 ――ただ、この傷は戒めだと思っている。

 ディオは……もう書き換わった未来の世界で、ロレットを見捨てた。自分の王命はもう果たせないと絶望し、ロレットに会う顔が無かったから。

「ネモに会う事は何度も考えた。けど、どうしても気が引ける」

「好きな子の前ではかっこいい自分で居たい、ってこと」

「そっ……」

 それだけじゃない、とディオは反発する。ネモは優しいから、きっとこの傷を見れば、自分を責めてしまう。一緒に着いて行けば良かったと。

 彼女には笑っていて欲しい。ディオは妖精界に居る間、会いに行く勇気が無い癖に、ずっとネモのことを想っている。

 うんうん、とロレットは頷いて、それから優しく微笑んだ。友の考えが読めず、ディオは困惑する。

「ならば尚更、君は人間界へ行くべきだ。良いかい、ディオ。人間の人生はとても短い。もしかしたらそれも、君がここで足踏みをする理由かもしれないが……約束したんだろう? 幸せに、なるべきだ」

 ロレットが噛み締めるように言う。

 路が閉じる。人間界と妖精界は行き来できなくなる。もしかしたら、数百年もすれば……再び、路が開くこともあるかもしれない。だが、そのときには、もうディオは居ないのだ。それを分かっていながら、ロレットは告げた。

「ディオ、これは王命だ。君は人間界で幸せになれ」

 妖精の都合で、振り回してしまったひとりの人間。

 背負わなくて良いものを背負って、今日まで妖精界に尽くしてくれた友人。

 当の本人からしてみれば、自分がしてきたことは“当然”だと言うかもしれないが。

「だが、妖精界は……」

 言い掛けたディオは。ロレットの真っ直ぐな、強い意思を湛えた双眸を見詰め返してから、口元を緩めた。

(……そうか、俺は)

 ようやく、世界よりも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る