4-④
魔術はイメージだ。自分が得意としない属性の魔力を、ロレットと同じように刃にしたところで威力は劣ってしまう。だから、乗せた。自分がもっとも得意とする氷の剣をベースに、渦巻く風の魔力を。繊細さは無くて良い、ただ、ぶつけるための力だ。
それを受け止めきれなかったロレットの体は、床を何度か跳ねて、滑るようにして転がり、やがて止まった。動かなくなった姿を認めて、ディオも膝をつく。
――まだ、だ。
体と心を奮い起こし、ロレットの元へ近付こうとした。ゆっくり歩を進めるだけで息が上がる。出血も、火傷の痛みも、どちらも酷いが痛みがあるからこそ、意識を保っていられるようなものだ。
ロレットは横たわって、ディオを見ている。だが戦意は喪失しているようだった。
「いい加減教えてくれないか。お前が人間を見限った理由を」
「……どうしても、聞きたいのか、それ」
「それはそうだろう」
ふぅ、とロレットは息を吐いて、自嘲気味に笑った。
「別に……面白くない話だよ。妖精国では人身売買が行われているだろう」
人間を攫う妖精たち。人間界から攫った人間を、彼らはどうするのか。妖精国内で秘密裏に取引されるのだ。そうして、売られた人間は、たいてい不当な扱いを受ける。
「偶然その現場に居合わせてね。僕は人間を救おうとした……見て見ぬフリは出来ないだろう」
「ああ、お前はそういう奴だ」
ロレットでなくとも、ディオだって、同じことをした。
「しばらく王城で匿い、怪我もしていたから、落ち着いたら然るべき場所へ帰してあげるつもりだったんだよ。その人間は良い子だった。まだ、十歳に満たないくらいの子供だったんだが、博識でね。人間界の話や、家族の話をしてくれた。食事の時間は、人間の彼が安心して食べられるように、妖精を入れないように施錠をして」
弟を思い出した、とロレットは言う。少しの沈黙の末に、彼は「でも」と続けた。
「ある日、人間は僕に刃を突きつけた。食事の席でね。なぜ、と聞いても答えなかった。ただ、目は雄弁に語っていたよ」
殺意に満ちた瞳で、彼はロレットに刃を突きつけた。切っ先を向けられた以上、身を守るために、ロレットも剣を抜かない訳にはいかなかった。
けれど腑に落ちない。
「お前の実力なら殺さなくても取り押さえるくらいは出来ただろう……!」
「……? ああ、そうだね?」
不思議そうに、ロレットは瞬きをする。その考えに至らなかったと、虚を突かれたように。
(……話が通じるから、違うのかもしれないと思っていたが。お前の中に妖精の呪いは確かにあるんだな)
「人間の彼を殺した瞬間、僕の中で何もかもがどうでもよくなってしまった。毎日、人間に対し恨み辛みを吐く妖精たちを見ていたから、納得した。彼らの言葉は正しかったのだ、と。一刻も早く人間界を僕らの手に取り戻さないと、取り返しがつかないことになる……」
だからロレットは、父を……先代妖精王を失脚させ、早々に自分が玉座についた。人間界への侵略を提言する過激派の妖精たちを擁護し、事を進めた。もともと、既に過激派の妖精達の勢いは止められるものではなかった。擁護していた妖精さえ、やがて人間界の侵略を受け入れた。
「ディオ、僕の中にある人間への憎しみは変わらない。彼らは危険だし、理解が出来ない理由で他者を攻撃する。恩を仇で返す。妖精よりも、恐ろしい生き物だ……」
――妖精の呪いは。
憎しみを肥大化させる。宝剣の力で“予防”は出来る。対策も可能だ。だが、芽生えた憎しみそのものを消すことは出来ない。
(だから人間との結びつきが鍵だった……)
誰の心にも憎しみは生まれるもの。ほんの些細なすれ違いからでも生まれてしまう。その感情を妖精の呪いが高めてしまうのであれば、拮抗する力こそ人間との関わりなのだ。
繋ぎ止めるもの。どんなものでもいい、小さな……約束でもいい。
信じられる楔があれば、妖精の呪いに冒されることは無い。
「僕は人間が許せないよ」
ディオは、ロレットが静かに、彼自身に向けて言葉を紡ぐ姿を見て呟く。
「お前の話を聞いて分かったことがある」
ディオは恵まれていた。人間界で、どんなときでも、愛しい人と優しい人に助けられた。人間にも、妖精にも。そして妖魔にも。彼らに生かされてここにいる。
ここに帰ってこれた。
「憎しみが消えないというなら、馬鹿な真似をするたびに俺が止める。今回のように。……俺はお前に話したいことが沢山あったんだ。……実は三つ程、歳をとっているとか」
「うん……?」
「妖精の女性と結婚したとか」
「そうなのかい?! ディオ……ッ! 友達なのに黙っていたのか?!」
ロレットが目に見えて動揺して、叫んだ。その反動で走った痛みに、顔を顰める。そんな彼にディオは頷いた。噛み締めるようにして……きっと無意識に口走ったであろう、ロレットの言葉を繰り返す。
「ああ、友達だな」
もしも、と考えてしまう。自分がロレットの側に居れば、こんなことは起こらなかっただろう。だが未来に跳んだから、現代の人間界でネモ達に出会ったから、今のディオが居る。この選択はすべてが繋がっている。
「……ひとつ、約束、してほしいな」
ロレットは、ポツリと零した。彼の胸内には、人間に対する噴き出しそうな嫌悪感に満ちている。それを呑み込みながら願う。
「僕は人と手を取り合う世界を見たかった。そして……妖精が、苦しまずに生きていける世界を作りたかった。人間を憎むのは、苦しいよ。みんな……きっと、そうだった。……そんな、痛みから解放される世界を」
見たかった。掠れた声で囁き、スゥ、と息を吸い込む。
ロレットが考える王の在り方――王とは、民の平和を守るためにあるのではないか。だからこそ、平穏を求める民の意に背き戦争を起こしてはならない。
「王としてあるまじき失態を冒したんだ、僕が王であるのは相応しくない。跡を継ぐのは、弟だろう。そのとき、出来る限り……支えてくれないか。君は嫌かもしれないが、こんな、……妖精が、嫌いになってしまったかもしれないけど。みんなを……守って欲しい」
どうだろうか、と目で問われたディオは、少しの間も空けずに答えた。
「妖精界は俺の故郷だ。思う事は色々ある、それでも嫌いにはならない。ロレット、自分の故郷を守るのは当然のことだよ」
約束するまでもない。ディオは噛みしめるようにそう応えると、ロレットから視線を外して顔をあげた。
いつの間にか随分と時間が経っていたようで、薄らと、空に光が差し始めている。
*
王都リッシェの城下町ルビーナ。早朝の四時頃、ネモは、宿屋の一室で空を眺めていた。
彼が、人間界を去って。緊張が解けたように、寂しくて泣いて、うたた寝をして、お陰で体がひどく怠い。
空は少しずつ白みだしていた。
「……人間界と妖精界の空が、繋がっていればいいのに……」
簡単に行き来できれば別れなんてしなくて良い。はぁ、とため息をつく。窓縁に両腕を交差させて、その上に顎を乗せて。不貞腐れるような体勢で彼女は空を見上げる。
空が繋がっていなくても、夜明けはくる。きっと彼の元にだって。
「妖精界の時間の流れも同じなのかなぁ。そう、だったら……」
ネモは微笑み、目を細めた。
「ディオさんも、同じ空を見ていたら良いな」
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