4-③

 ディオの目の前に迫る刺突。後ろに飛び退きながら、氷柱を天井に向けて生み出すことで逸らした。互いの間に分厚い氷柱。すぐにロレットが起こした風で粉々に砕け散る。

「……お前」

 困惑の色を言葉に込めて、ディオは白い息と共に吐き出した。

「――人間に裏切られたのか?」

 自分が、居ない間に。

「人間は! 恩を仇で返す生き物だ! 優しさを無下にして、差し伸べた手を振り払う! そうやって、昔も妖精を……僕らを、裏切って……」

 返答の代わりに、ロレットは憎悪を口にした。

「君を倒して、僕は昔の自分と決別する。大切な妖精のみんなを守るために、人間界を侵略する!」

 ロレットの剣先は、ディオを着実に追い詰める。元々、ロレットは妖精界でも随一の魔術の使い手なのだ。ディオの体は何度も斬られ、少しずつ動きも鈍くなる。

(人間は美しくなんかない……だが、醜いばかりでもない。それは妖精も、同じだ。妖魔も……みんなそうだ)

 肩で息をしながら、ディオは何度目か分からない、氷の剣をもう一度生み出した。

 互いに距離を取る。打ち合いの末、ディオとロレットの立ち位置は反対になっていた。入り口は遠ざかり、逃げる事は出来ない。その予定も無いが。

「どうして、頑なに侵略に拘るんだ……それは本当にお前の意思なのか?」

 人間を許せない。憎い。妖精の呪いは、奥底に眠るそんな負の感情を膨らませる。

「全ての妖精が、お前のような意見を持つ訳じゃない。……俺は俺の大切な同胞を、妖精の為に、戦う。それに」

 少女の顔が浮かぶ。妖精界へ送り出してくれた、あの、別れ際の笑顔も。

「人間界には大切な人が居るんだ」

 斬られた脇腹の傷口を押さえようと無意識に指を添えたところで、ふと、鈴の音を聞く。

(……ヒエンの)

 ロレットとの打ち合いで、体は何度か切り傷を作っているのに、髪飾りが入る袋は少しも傷ついていない。その存在を思い出せば、結び紐を抜くのに躊躇いは無かった。

(あの妖魔は大事なことを言わない! だが、無駄なものは寄越さない……!)

 ――本当に必要になったときだけ、その袋を開けると良い。

 今がそのときだ。

 薄紫色の袋の内側が歪に膨らむ。すると、狭まった場所が窮屈とでもいうように、赤い半透明な蝶が飛び出した。

「ヒエンの蝶……?」

 赤い。紅色の――炎を感じさせる魔力。

 何をすればいいのか理解した。ほんの一瞬、迷う。今はネモが居ない。だが、逡巡したのは数秒にも満たなかった。

 ロレットが、風を纏って床を蹴った。迫る刺突。ディオは切っ先を逸らす為に目の前に氷の壁を張る。

 容易く打ち破られる。勢いは止まらない。割れた氷の向こうで、

 ゴォッ! と炎が猛る音がした。

 振り上げられたディオの手には、焔の剣が握られていた。

「……!」

 ロレットはその剣を受け止めるか、避けるかを瞬時に判断した。

 もとより避ける余裕はない。躊躇いさえも焼き尽くすように、劫火のような魔力が迫る。

これまでと比べ物にならない暴風のような魔力を以て、ロレットが焔を受け止める。

 熱に炙られる、焦げ臭い匂い。ロレットの頬に飛ぶ火の粉と、金色の髪が焼かれる。

 視界が紅く、翡翠が映えた。

「くっ……正気か? 氷の術師の君が?! 反する属性を使えば、自分だって!」

「これをやるのは二度目だ! それに……ッお前よりは正気だ!」

 ヒエンの魔力を基に生み出した剣。ネモの治癒術があってこその自傷行為。だが、ディオの実力だけではロレットに敵わない。

 ……これを知れば、あの子は怒るだろうな。漠然と、そう思った。

 大蛇を一刀両断した、全長一メートルを越える剣から繰り出される焔だが、ロレットはそれでも更に上をいく。焔を取り込むようにして、ロレットの剣からも嵐が起こる。

 『貴人の間』に置かれた彫像が風に裂かれて、燃やされる。濃い魔力が周辺を覆い尽くし、互いの魔力越しに相手を捉えている。

 拮抗した状態が、数秒だけ続いて。

 唐突に終わりを告げた。

 焔が完全に嵐に呑まれる。ロレットが、ふ、とそれを見て口角を上げる。あとはこのまま、風圧で圧し潰せばいい。

(それで、僕は……昔の自分と、決別できる……!)

 何が間違っていたのか、と言われれば。

 ――ディオと出会った事が間違いだったのではないだろうか。

(侵略に対していつまでも生ぬるい父を退かして、人間界を念入りに調査して……あと少しなんだ。そうすれば)

 四百年前に元居た世界から追い出された妖精たち。人間に裏切られ、失った数多の命。彼らに報いることが出来る。

 ロレットは、まだ見たことが無い……父や母の、沢山の妖精たちの故郷を取り戻すのだ。

「……?」

 ふと、違和感。濃い魔力で視界は煙り、未だ燻るような炎が周囲で揺らめいている。渦巻く風の向こうには、青年のシルエットが映っていた。ロレットは、まさか、と思う。

 ディオが、焔と風の中を踏み込む。

「チッ!」

 嵐の中を搔い潜るようにして、閃いた氷の刃。すぐにロレットが自身の剣で迎え撃つ。


 そこまでは、ディオも予想出来ていた。

 

 ディオは奥歯を噛み締める。全身の痛み。火傷と、暴風を潜り抜けた際に出来た幾つもの裂傷と。割れた額から垂れた血で視界も悪い。

(もう一歩――! 氷も炎もこいつには当たらない!)

 あと、使えるものは。

 考えを巡らせるまでもない。

 目の前のロレットが、困惑したような……それでいて、驚愕に色を染めて目を見開いている。一撃目に弾かれた剣の先端は上へ。次いで、その勢いで返ってきた氷の剣が振り落とされる。

 何の制御も出来ていない――ただ暴力的な風。およそ美しさとは程遠い魔力は、氷の剣に渦巻いて、構えたロレットの剣ごと叩きつけられた。

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