第3話 星空観察!
「さて、天文部の活動は基本的に観測で成り立っている」
「ふむふむ」
「星座、惑星、月、太陽など、観測するものはたくさんあるけれど、大体は夜の間しか観測できない」
「そうですよね」
「しかし、最終下校時刻が19時までの上、天気の影響を非常に受けやすいため、日常的に学校で観測を行うのはあまり現実的ではない。ということで、天文部は基本的に学外での活動がメインになることが多い」
葉琉がそう告げると、ひなたは残念そうな表情をして肩を落とす。まるで、尻尾を下げた犬のような落ち込みようは、ひなたが本当に活動を楽しみにしていたことを伝えていた。
「それじゃあ、学校では何もできないってことですか?」
「いいや、運と条件が良ければ、限られた範囲だけど見えるものもあるよ。……ところで如月、今日はこれから時間あるかな?」
「ええ、時間はありますよ。むしろ、なるべく遅くまで居たいくらいですけど、どうかしましたか?」
「よかった。実はね、今日がさっき言った運と条件に恵まれた日なんだ。せっかくだから如月の歓迎会も兼ねて、屋上で星空観察をしようと思うんだけど、どうかな?」
ひなたはそれを聞いて表情がぱっと明るくなり、大きく頷く。
「ぜひ! やりたいです!」
記念すべき、天文部の初めての活動が決まった。しかし、雲一つない空は吸い込まれそうなほど青々としており、まだ星を見るにはいささか時間が早い。
それならばと、ひなたは待っている時間を有効活用するために、天体観測について教えてほしいと葉琉にお願いする。これまで、天体について話せる相手が中々いなくて寂しかった葉琉も乗り気で、即座にOKを出す。そういうことで、葉琉による解説が始まるのであった。
「さて、如月。肉眼で見える星は何等星までかという話は聞いたことある?」
「はい! 1等星から6等星までが見えて、1等星は6等星より100倍明るいです!」
「正解。補足までつけてくれて、さすがだね」
「ふっふーん。これぐらい余裕ですよ」
ドヤ顔で答えるひなた。ひなたの可愛らしい顔では、多少調子に乗っていても背伸びした子供のような愛くるしさを覚える。思わず、葉琉も優しい目で見てしまい、ひなたはどこか気恥ずかしさを覚える。
「ええっと、先輩? 次の問題はなんですか?」
「ん、あぁ、ごめん。では、住宅街ではどのくらいの明るさの星まで見えるでしょうか?」
「う~ん、1等星しか見えないとか?」
「惜しい。一般的に住宅街では2等星、場合によっては3等星まで見えると言われているんだ」
「意外と見えるんですね」
「ただ、ここではグラウンドの照明や校舎の明かりが邪魔をして、実際は如月の言う通り1等星しか見えないかもしれないね」
「じゃあ、半分正解ってことで手を打ちましょうか」
「……もしかして、如月って結構負けず嫌い?」
そんなことないですよ! と否定するひなた。しかし、自覚があったのか、顔は恥ずかしさで少し赤くなっていた。そのギャップがおかしくて、葉琉はクスクス笑う。
「もうっ! からかわないでください!」
「ごめんごめん、話を戻そうか。つまり、僕が言いたかったのは、星を見る時にはなるべく明るい光が少ない場所を選ぶ必要があるけど、観察する対象によっては見えるよってこと」
「じゃあ、今日これから観察するのは、明るい星ってことですね」
「そうだね。とはいえ、月が出ていると見えないこともあるから、注意しないとね」
「月がそんなに影響があるんですか?」
ひなたは不思議そうに尋ねる。月の明るさが、そんなに星を観察するのに影響を及ぼすとは考えられなかった。
「月光って案外明るいんだよね。逆に、星明かりが微弱だから、満月どころか三日月ですら星は全然見えなくなってしまうんだ」
「なるほど。ちなみに今日の月はどうなんですか?」
「ちょうど運良く新月。空も快晴で、星を見るには絶好の機会だ」
「だから、先輩はさっき、今日は条件に恵まれているって言っていたんですね」
「そういうこと」
その後も、葉琉による天体観察講座は話が弾んだ。身近だけどあまり気にしていなかった天体の知識をつけることは、ひなたにとって楽しいものであった。葉琉にとっても、興味を持って聞いてくれる存在は嬉しいもので、気がつけば18時を過ぎて空は赤くなり、屋上で準備するには良い時間になっていた。
「わー、広いですね!」
普段、訪れることのない屋上に来て、興奮気味のひなた。その後ろから、望遠鏡を担いだ葉琉がゆっくり追いかける。
この高校は住宅街の端に建てられており、周りに校舎より高い建物はない。そのため、周囲を見渡せば空一面が綺麗に見渡せる。今となっては屋上に上がる機会なんて滅多にないが、旧校舎が使われていた当時は立ち入りが認められていたようで、屋上の端には転落防止用の鉄柵が設けられていた。
「さて、今回の観察対象はあの星だ」
葉琉は、まだ夕日の赤さが残る空を指さす。そこには、黄昏に負けずまばゆく輝く1つの星があった。
「西の空ってことは、宵の明星とかですか?」
「大正解! 宵の明星として知られる金星だね。太陽を除けば、全天で最も明るい恒星であるシリウスの見かけの等級が-1.46等なのに対して、今日の金星は-4.1等。つまり、金星はシリウスの約7.6倍の明るさなんだ!」
「へぇ~、そんなに明るいんですね」
ひなたはしばらく金星を眺めていたが、急にふふっと笑いだす。
「どうかした?」
「いや、先輩、楽しそうだなと思って」
「そんなに僕、はしゃいでたかな?」
葉琉の質問に答えないまま、ニヤニヤとして葉琉を下から覗き込むひなた。困ったように頬をかく姿を見て、ひなたの頬もますます緩む。さすがに、葉琉もいたたまれなくなり、咳払いをして話を変える。
「コホン。ところで、如月は望遠鏡を使ったことはあるかな?」
「えっと、たしか小学生の頃、学校でちょっと月を見たことあるくらいです」
「おっけー。それじゃ、導入は僕がするからちょっと待っててね」
「導入?」
「望遠鏡の視界中心に見たい目標を入れることだね」
葉琉は望遠鏡のファインダーを覗きながら、手慣れた手つきで動かして金星に視界を合わせる。あまりの手際の良さにひなたは舌を巻く。私も慣れたらできるようになるのかと思っている内に、導入が完了したことを告げられる。
「はい、これで見えるよ。覗いてごらん」
葉琉からそう言われ、ひなたはそっと望遠鏡のレンズに目を近づける。
「あっ、欠けてるのが見える!」
ひなたが望遠鏡を覗くと、金星が月のように一部が欠けているのが見えた。自ら光を放つ恒星とは違い、惑星は月のように太陽の光を反射して光って見える。そのため、金星は地球との位置関係によって大きさと形を変えて見える。
すごいすごいとはしゃぐひなたの反応に、葉琉はひとまずほっと胸をなでおろした。
「お、シリウスも低い位置だけど、ちゃんと見えるな」
「確か、おおいぬ座のシリウスは、オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオンと共に冬の大三角を形成しているんですよね、先輩?」
望遠鏡から目を離し、シリウスを探しながら言うひなた。あれですか? と指さした先には、金星には劣るが眩しく輝く星があった。しかし、葉琉からの返事がない。不思議に思ったひなたが振り返ると、そこでは葉琉が目を見開いて驚きの表情を見せていた。
「冬の大三角をちゃんと知っている!?」
「そこですか! 教科書で見たことがあっただけなので、そんなに驚かなくても」
「いや、そうだとしても、冬の大三角を覚えている人は珍しいからね。僕は本当に嬉しいよ」
周囲に天文趣味の人がいなかったため、語れる人をずっと求めていた葉琉。ひなたが葉琉の予想より知識を持っていたために興奮してしまった。一方でひなたも、葉琉との距離が縮まった気がして嬉しかった。
その後も、春の大三角や冬のダイヤモンドについて教わったり、オリオン座を見つけたりと、星空観察は大成功で幕を閉じる。知識が経験としてつながる感覚は、ひなたにとって、とても心弾むものだった。しかし、ひなたの中で心残りを覚える。
日もすっかり暮れて夜の闇が濃くなり始め、屋上から戻る支度を整えている時、思い切ってひなたは葉琉に問いかける。
「あの! えっと、先輩がこれまでで、一番綺麗だと思った星空は何ですか?」
葉琉はそうだなぁと言って瞼を閉じて少し考える。これまで見てきた景色を思い出してみるが、心に表れるのは葉琉にとって原風景とも言うべき景色だった。
「やっぱり僕が小さかった頃に、父と母と妹と4人で見たあの星空は忘れられないな。きっと、一生ね」
ゆっくりと開いた葉琉の目には、あの零れ落ちそうな星空が広がっている。そう、それはひなたが惹かれた目だった。
その目を見て急に、悔しいような寂しいような、それでいて嬉しいような、ごちゃまぜになった感情が心をつくのを感じる。ここに居るのに、葉琉が遠く離れてしまったような錯覚を覚え、ひなたは引き留めるように呟く。
「……いつか見てみたいです。その星空を」
「そうだね。きっと、如月を連れていくよ」
「絶対、約束ですよ?」
ひなたは小指を立てて葉琉に向ける。葉琉は少し笑って小指を差し出す。
太陽にも月にも隠れて交わされた指切りは、春の星だけが静かに見守っていた。
いつか星座になるまで 松野椎 @matsuno41
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