第2話 天文部の秘密
ひなたが天文部への入部を決めた翌日。電車に乗って登校してきたひなたは、まだ誰も来ていない朝の教室で、1枚の紙を眺めていた。
「入部届か~。なんかワクワクしちゃう」
眺めていたのは昨日、帰りがけに葉琉からもらった入部届だった。ひなたは、入部届を受け取ったその場で書いてしまう勢いだったが、どうしてもそこでは埋められない欄があった。捺印欄だ。もちろん、普通の高校生が印鑑を持ち歩いているはずもなく、次に天文部を訪れた時に葉琉へ提出することになった。
葉琉は、いつでも来たくなったらおいでと緩く言っていたが、ひなたはやる気に満ち溢れており、放課後すぐにでも持っていく気満々だった。
「部活名、名前、住所、電話番号、これでよし!」
真新しい紙には、小さくて丸みのある文字が綺麗に並んでいる。垂直に押された印鑑もかすれ一つなく、ひなたの天文部に入部したいというまっすぐな気持ちが感じられるようだった。
完成した入部届を満足げに眺めて、机の上に置く。それから、紙を汚さないようにしながら、机に肘をついて天文部への期待を膨らませるひなた。天文部ってやっぱり望遠鏡とか使ったりするのかな。星を見るなら星座とか調べてみようかな。それから、先輩の見ていた景色を見てみたい。など、楽しそうな笑みを浮かべながら、柔らかい春の光が差し込む教室で朝の時間を過ごす。
「ひ~なた! おはよっ! 相変わらず早いね~」
「あ、みーちゃん、おはよう。今日も朝練?」
足をゆらゆらさせながら今後の部活動について想像していると、みーちゃんと呼ばれる一人の女子に声をかけられる。気付けば、クラスも半分くらい埋まっていた。
「いやー、今日も今日とてサッカー部の朝練ですよ。マネージャーにも来てほしいって言われちゃってさ。ま、おかげで私も
「陽月先輩って、3年生のキャプテンの人だっけ?」
「そうそう! マジイケメンで、サッカーもうまくて、優しくて人気者! 完璧超人と言っても過言じゃないね、あれは!」
目をキラキラと輝かせ、口元には幸せそうな微笑みが浮かべて、興奮気味に熱弁するみーちゃん。実際、彼の人気は凄まじいようで、彼目当てにサッカー部の女子マネージャーになる人が後を絶たない。おかげで、選手とマネージャーの人数が逆転しかかっており、さすがに募集を停止しようかという話が出ていると、ひなたも聞いたことがあった。また、そのせいかはわからないが、ラグビー部や柔道部に女子が来ず、血の涙を流している男子がいるとも。
「ひなたも部活入ればいいのにー、って、それ入部届じゃん!」
「バレちゃった? えへへ、やってみたいことができたんだ」
「まさか、ひなたもサッカー部に!?」
「ち、違うよ! 天文部だよ!」
「なぁ~んだ、ひなたも陽月先輩を狙い始めたのかと思った。でも、天文部か。いいね、楽しそう! あ、そういえばさ、昨日――」
とりとめのないおしゃべりの話題は、あっという間に移り変わっていく。しかし、朝の時間はあまりに短く、話の花はつぼみのまま時間が来てしまう。担任の先生が入ってくると、それぞれ席に戻ってHRが始まる。
暖かな春の陽気につられ、先生の話をぼーっと聞き流していたみーちゃんは、そういえばこの学校に天文部なんてあっただろうか、と首をかしげるのであった。
放課後、ひなたはクラスメイトから遊びに誘われながらもそれを断り、はやる気持ちを抑えながら旧校舎を訪れていた。相変わらず旧校舎は古くて埃っぽかったが、天文部の教室だけは綺麗に掃除されており、窓も開け放たれて爽やかなものだった。
「葉月先輩! 入部届書いてきました!」
「いらっしゃい、如月。昨日の今日でよく来てくれたね」
「来ますよ! 楽しみにしてたんですから」
「はは、ごめん。そんなに天文部に興味を持ってくれて嬉しいよ。ありがとう」
葉琉は、読んでいた本を机に置き、ひなたの方を向く。その顔は本当に嬉しそうな微笑みを浮かべており、葉琉も楽しみにしていたことをうかがわせる。
「よろしくお願いします!」
やや緊張した面持ちで、入部届を両手で差し出すひなた。葉琉は恭しく受け取り、丁寧に目を通して不備がないか確認する。そして、訂正が必要ないことを調べ終わり、静かに頷く。
「はい、確かに受け取りました。それじゃあ改めて、天文部へようこそ! これからよろしくね、如月」
「はいっ! お願いします!」
まるで合格通知を受け取った受験生のごとく、嬉しそうなひなた。葉琉は大げさだなと思いながらも、初めて後輩ができたことに頬が緩む。教室に吹き込む春の風は、新たな天文部の門出を祝っているようだった。
「そういえば、入部届を部長に提出するのって珍しいですよね。こういうのって普通、顧問とかに提出するものじゃないんですか?」
少し時間が経過し、ひとまず椅子に座ってお茶とお菓子を用意して一息ついた頃、ひなたは葉琉に疑問をぶつける。
「確かに、顧問か担任に出すのが一般的だね。ただ誰に出そうとも、うちの高校では結局生徒会執行部に集まるだけだから、僕が代わりに出しておこうと思ってね」
「それだと先生方は、誰がどの部活に入っているとか把握できないと思うんですけど、大丈夫なんですか?」
「それも、というか、その辺を含めて部活動全般を管轄しているのが生徒会執行部なんだよ。詳しい説明する?」
「……いや、いいです。そういうものだと思っておきます」
ちょっと悩みながらも、さして興味があるわけでもなかったので断るひなた。葉琉も、先生を通さなくても問題ないから心配しなくても大丈夫だよ、と太鼓判を押す。
「それに、天文部には顧問いないんだよね」
衝撃の事実を告げられ、時が止まる。静寂を破ったのは、ひなたの絶叫だった。
「えええええっ! そ、それって部活として大丈夫なんですか?」
「大丈夫ではないね。正直に言うと、天文部は部活として認められる要件を満たしてないんだ」
「で、でも、先輩はこれまで天文部として活動してきたんですよね?」
「不思議な話でしょ? 実は、天文部は廃部の要件も満たしていないんだ」
「ちょっと詳しい説明をしてください!」
さっきとは打って変わって、葉琉に説明を求めるひなた。まぁ、そうなるよねと焦った様子もなく、葉琉はひなたに説明する。
この学校の生徒会規定によって、部活として認められるには、構成人数が5人以上かつ教職員の顧問が確保されている必要がある。しかし、廃部にするには生徒会役員会への申請及び審議の後、生徒総会での同意を得なければならない。
生徒手帳に書かれてある文章を見せながら、葉琉は解説する。ひなたはそれを聞き、自分の頭の中で咀嚼して理解したようで、なるほどと納得の声を上げる。
「つまり、天文部は惰性で存続している状態ってことですか」
「そういうこと。でも調べてみたら、この廃部の手続きによって無くなった部活はひとつもなかったんだ。だから、安心して大丈夫」
「よかったぁ」
せっかく部活に入ったのに、何も活動しないまま帰宅部に逆戻りとならなくて、ほっと胸をなでおろすひなた。しかし、安堵が少し落ち着いてくると、疑念が浮かび上がる。
「それにしても、生徒会の規定って穴だらけなんですね」
「ん~、多分逆かな」
「逆?」
「わざと穴だらけに作っているってこと。後から柔軟な対応ができるようにね」
「……頭いいですね」
納得し、素直に感心するひなた。
「はい、この話おしまい! それじゃあ、天文部の具体的な活動について話そうか」
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