いつか星座になるまで
松野椎
第1話 旧校舎の天文部
「天文部?」
放課後、人がいなくて時間をつぶせる場所を探していたひなたは、誰も立ち寄らない旧校舎へと足を踏み入れていた。旧校舎は立ち入り禁止にこそなっていないが、古く薄暗い。おまけに掃除が行き届いておらず、廊下の端では埃が花道を作っている始末。
なるほど、これでは人も来ないはずだと、ひとり納得して歩いていると、ふと吊り下げられた木製の看板が目に留まった。看板は日焼けして黒く染まっており、相当年季が入っていることを示している。しかし、そこに墨で書かれた文字は今もなお力強く主張していた。天文部と。
「ちょっと中に入ってみようかな」
旧校舎にある天文部という存在に不思議な魅力を覚え、教室の中がどうなっているのか気になるひなた。あいにく扉の曇ったガラスからでは中の様子を窺うことが出来ない。この扉の向こうには、もしかしたら何かが残っているかもしれないと思うと、高校生という年ではまだ消えていない子供心をくすぐられる。そう、気分はまるでダンジョンを探索する勇者だ。
誰かに見られてまずいことをしている訳ではないが、ひなたは横断歩道を渡る園児のように周りを見渡して確認する。
――誰もいない。
いや、でも一応ノックぐらいはしておこうかと、扉を軽く叩いてみる。
――返答はない。
誰も知らない秘密基地を見つけたような感覚に、むふーと口角が自然と上がるのが抑えられないひなた。期待に胸を躍らせながら、おじゃましま~すとゆっくり扉を開ける。
瞬間、目が合った。
「わひゃああああああああ!!」
「うわぁ! びっくりした!」
予想外の出来事に悲鳴を上げるひなた。教室の中に居た男子生徒も、いきなりの悲鳴に仰天したようで、手に持っていた本を落とす程度には動揺したのであった。
「少し落ち着いたかな」
「はい……。勝手に入って、驚かせてごめんなさい」
「こちらこそ、ノックしてくれたのに返事しなくてごめんね。いつもの遊びに来る面子かと思っちゃって」
お互いに肝を冷やす羽目になった悲しい事故の後、思わず逃げ出しそうになるひなたを引き留めて、二人は机を挟んで話していた。
「自己紹介をまだしてなかったね。僕は3年の
「私は1年の如月ひなたです。部活はまだ入ってないです」
「お、帰宅部だったか。ということは、あの部活勧誘の猛攻を凌ぎ切った猛者だ」
「猛攻って……。確かに、何としても部活に新入生を入れるぞっていう気迫にはびっくりしましたけど」
入学式の後、新入生獲得を目指す各部活が嵐のようにやってきて、気付いた時にはチラシの山が手元にあったことを思い出す。つい、2週間前のことだが、少しだけ懐かしく感じる。
「そういえば、天文部は配らなかったんですか? たしか、チラシもらった記憶がないんですけど」
「逆に聞くけど、欲しい?」
「いえ、いらないです」
「はっきり言うねぇ。ま、そういうことだよ。わざわざ作って配ったところで、興味が無ければただの紙屑だからね」
「先輩こそ、あけすけに言いますね」
葉琉のばっさりとした物言いに、自分と似たものを感じるひなた。少しだけ親近感を覚える。
「でも、よくこんなところまで来たよ。今、お茶とお菓子出すからね」
ニコニコと、人によっては胡散臭いというであろう笑顔を浮かべながら、葉琉は棚から色々取り出す。茶筒から茶葉を取り出して急須に入れる。それを見て、ペットボトルのお茶を想像していたひなたは、目を丸くする。
「結構、本格的に淹れるんですね」
「もしかしてコーヒーとかの方が良かったかな」
「いえ、そういうことではなく。というか、コーヒーもあるんですね」
「3年もやってるから、結構色々揃えたかもね」
そう言われてひなたは教室の中を見回してみると、手入れが行き届いた小綺麗な望遠鏡や赤いセロファンが貼られた懐中電灯といった天文部らしいものに混じって、コップや皿などの食器類。ポットや急須といった道具。挙句の果てには、漫画本がぎっしり詰まった本棚まである。
「これ、先生から怒られたりしないんですか?」
「ん~多分見つかったらアウトだね」
「ダメなんじゃないですか」
「その辺はほら、バレなきゃ問題にならないから、ね。それに、過去に所属していた先輩達も割と好き放題やってたみたいで、僕が初めてここを見つけた時はガラクタで部屋が埋め尽くされていたよ。っと、はいどうぞ」
ひなたの目の前に湯呑とせんべいの入った菓子鉢が置かれる。おばあちゃん家で見るやつだと内心思いながら、いただきますと言ってお茶を一口すする。少しぬるめのお茶は飲み心地がよく、心を落ち着かせてくれた。
「それで、如月はどうして旧校舎に? 探検?」
「ざっくり言えばそういうことです」
「へぇ~、ここは生徒から近づくのを恐れられているのに、勇気あるね」
「え?」
何気なく放った葉琉の言葉に固まるひなた。口調は決しておどかすようではなく、淡々と事実を述べているように聞こえる。そう考えると、さっきと変わらない葉琉のニコニコ顔が急に恐ろしく見えてきた。
「聞いたことない? 『旧校舎の亡霊』って」
「そ、そんな学校の七不思議なんて今どき流行りませんよ」
少し強がってみるが、笑みを深めるだけの葉琉に背筋が寒くなる。ひなたはこういう怖い話には滅法弱かった。
「『旧校舎には夜な夜な、赤い火の玉が現れる』。そんな噂が学校でまことしやかに流れていた時期があった。そうなると確かめたくなるのが人の心ってものなんだね。ちょうど如月と同じように、今の時代にそんなことあるわけないと考えて肝試しに来る人がでてきた。……深夜の旧校舎に意気揚々と忍び込んだ人たちはひととおり旧校舎を探索する。しかし、暗いだけで静かなものだった。やっぱり何もないじゃないかと笑っていると、コツ……コツ……と音が聞こえた。それは明らかに何かが歩いている音だった。聞き間違いだと思いたかったが、段々音は近づいてきて、ついには自分たちの真後ろで聞こえる。意を決して振り返ると、そこには血だらけの制服を着た生徒の姿が!」
「……それ、懐中電灯持った先輩っていうオチじゃないですか?」
ちらりと赤いセロファンを貼った懐中電灯を一瞥するひなた。それを見て、葉琉はちょっと悔しそうに息を吐く。
「やっぱり、わかっちゃったか~。すごいね、見破ったのは如月で3人目だ」
「途中まですごく怖かったんですからね!」
「ごめん、ごめん。ここに来た人には、必ずこの話をするようにしているんだよね」
「趣味悪いですね」
じと~とした目で、恨めしそうに葉琉の顔を見る。こういった反応は珍しいのか、あはは、ときまり悪そうにしている姿を見て、初めて表情が変わったと溜飲が下がる。
「つまり、先輩は怖い噂を意図的に流して、旧校舎に人を寄り付かせないようにしていた。しかもさっきの話では、他の部活は熱心に勧誘している中、天文部は何もしていなかった。推測するに、先輩は天文部に新しい人を入れたくないってことですか?」
「そこまで切り込むとは鋭いね。でも、残念ながら三角かな。あくまで僕は旧校舎で不必要にたむろしてほしくないだけ。天文部には是非入部してほしいとは思っているよ。入って、天文に興味を持ってくれる人が増えると、楽しいだろうな」
ふっと窓から空を見上げる葉琉。つられて、ひなたも視線を追ってみるが、そこにあるのは澄み切った青い空だけ。時間的に星なんてひとつも見えるはずがない。何を見ているのだろうと思い、葉琉の方をちらりと覗くと、そこには満天の美しい星空を目にたたえ、宇宙に想いを馳せる姿があった。目元のほくろも、まるで空から零れ落ちた星かのような錯覚を覚える。綺麗だ、と言葉も忘れて見つめてしまう。
葉月先輩は、本当に宇宙が好きなんだろうな。私にも、先輩が見ている光景が見えるだろうか。
「……じゃあ、私が入部すると言ったら、受け入れてくれますか?」
躊躇いがちに、ひなたは静寂を破る。葉琉は驚いたようで目を見開いて、一瞬だけ真面目な顔になる。しかし、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべた。先程までの胡散臭いものではなく、心から笑顔であることが見て取れる。
「もちろん、大歓迎だよ! ようこそ、天文部へ!」
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