第七十四話 正義
後日。月のない夜更けに、ロンはネドの町外れにある場末の酒場を訪れた。
たいして広くもない店に客はすでに疎らで、一番奥のカウンターで安酒のグラスを傾けている男は、私服でもよく目立った。
ケチな旅商人か、さもなければただの遊び人といった風体だが、内面から滲みでる冷艶な気品と威厳は、容易に誤魔化せるものではない。
さらに注意して見れば、店内の客もバーテンも皆、服の下に短剣を隠し持っていて、入口に立つロンにさりげなく意識を集中させている。
全員が男の護衛であり、技量の確かな精鋭であるのだろう。
「やあやあ、英雄のご登場だ」
ロンの姿に気づいた男は、いつもの、素晴らしく魅力的だが恐ろしく空虚な笑みを浮かべつつ、グラスを掲げてみせた。
「何にします? ここの酒は、値段の割に美味しいですよ。お好きなだけ飲んでください。もちろん僕の奢りです」
「……」
ウェン・べリアレイズの笑顔に刺すような眼差しだけを返して、ロンは隣の席に腰を下ろした。
「おや……? ふたたび歴史に名を刻む偉業を成し遂げたばかりだというのに、ご機嫌があまりよろしくないようですね」
怪訝な顔をしてみせる男は見もせずに、ロンは冷えた声音でいう。
「一度しか訊かない。よく考えて、慎重に答えろ」
「何です?」
「今回の一件、裏で糸を引いていたのは、お前だな」
一拍の沈黙の、後。
「ええ。もちろんそうです」
ウェンは、すまし顔で答えた。
「といっても、僕はサーレイに必要十分な情報を与えただけ。黒幕などとは呼ばないでくださいね」
「……っ」
あまりにもあっさり白状されたものだから、ロンのほうが面食らって一瞬言葉を失ってしまう。
「……。前にも訊いたが、お前は、一体何を考えてる? 目的は、何だ?」
「目的? そんなものはひとつしかないでしょう」
ウェンは笑顔のままだったが、その眼はもう笑っていなかった。
「正義ですよ」
「何だと?」
ロンは、湧きあがる怒りをまだ両の拳の中に閉じ込めたまま、目を細めた。
「俺を餌にしてイグニアの族長を操り、マキシアを攻めさせたのが正義だというのか」
「その通りです」
ウェンは、やはり落ち着いて答える。
この場でロンに殴り殺される可能性など、微塵も考えていないようだ。
「落ち着いて考えてみてください。今回僕が動かなくても、サーレイ・レガ・イグニアはいずれ、世界征服のため
「……」
ロンは、相手の言葉を否定できなかった。
確かに、サーレイの野心、野望は本物だった。
もし、あの男があのまま順調にアンヴァドールで力をつけ、いずれ魔王となってしまっていたら、この世界はふたたび暗黒の時代に逆戻りしていたはずだ。
「僕は、何としてもそれを阻止しなければならなかった。けれど、使える手は限られていました」
ウェンは、瞳の奥に澄みきった狂気を宿したまま、淡々と語る。
「いつか世界征服を企てるかもしれないから、という理由だけでこちらからアンヴァドールに攻め入り、あの男を抹殺する、などということは出来ません。そんなことをすれば、それこそまた世界大戦が勃発してしまう」
「……だから、俺を使った、ということか」
「はい。どの国の軍にも属さず、しかも単騎で一軍団を遥かに上回る戦力となる存在……そんな規格外の人間は、この世界にあなたを置いて他にはいません。あれは、はじめからあなたにしか出来ない仕事だったのです」
「俺にサーレイを殺させる……そのためだけに、奴をマキシアへおびきだし、アラナとベイエルの町の人々を犠牲にしたのか」
男は、ひょいと肩をすくめた。
「アラナさんも町の人々も無事でしたよ。死んだのは、老いた領主と僅かな数の守備隊の兵たちのみ。得られた成果から考えたら、まったく微々たる犠牲です」
「っ!」
ついにロンの怒りが爆発し、反射的に伸ばした右腕がウェンの胸倉を掴んだ。
その気になれば、そのまま一瞬のうちに首を圧し折ることもできた。
多少腕がたつ程度の護衛など、問題にもならない。
しかし、その恐ろしい考えを実行はしなかった。
いや──、
「無理ですよ。あなたは、僕を殺せない。というより、あなたは誰も殺せない」
「……っ」
きつく奥歯を噛みしめたロンは、またウェンの言葉を否定できなかった。
「あなたを選んだもうひとつの理由が、それなんです。サーレイを徹底的に叩きのめす必要はありましたが、殺したくはなかったのです。彼を悲劇の英雄にしたくはなかったし、五大氏族の族長のひとりを殺されたとあっては、さすがにアンヴァドールも報復に出ざるを得なかったでしょうからね」
いいつつ、意外なほど強い力でロンの手を払いのけて、男は続ける。
「マキシアもそのあたりは心得ているでしょうから、サーレイたちを処刑したりはしないでしょう。じゅうぶんな恥辱を与え、相応の報いを受けさせたあと、時機をみてアンヴァドールへ返すはずです。魔族の恥晒し者となったサーレイが、彼の国でふたたび権力の座につくことはありませんからね」
「……つまり、すべてはお前の計算どおりというわけか」
「いえ、そういうわけでもありません。僕の予想では、ベイエルの町はほぼ全滅するはずでしたから。あなたと、あなたが育てた少女たちが、僕の想定をはるかに超える活躍をしたのです。あなたたちは今回、本当に素晴らしい仕事をしてくれました」
ウェンは、心の底からそう思っていると言うように、微笑みながら大きく頷いてみせた。
ロンの胸中で黒い怒りがさらにぶくぶくと膨れあがり、強い吐き気すらもよおした。
「……お前のやったことをマキシアへ報告する」
「無駄ですね。僕が何の対策も取っていないと思いますか? 僕はサーレイに直接会ったわけではないし、僕に繋がる情報も一切与えていない。確たる証拠は何ひとつ残していません」
「俺が証人だ」
「やめておいたほうがいい。これは忠告です。万一、僕自身に危険が迫った場合、僕は迷わずゼーラ氏族を売りますから」
「……っ!」
ロンは、己の愚かさを呪った。
その可能性を全く考慮していなかったのだ。
「僕がゼーラ氏族と交流があり、彼らから非公式にさまざまな情報を得ていたことを知る人間は多い。僕が、今回の事件の黒幕はゼーラ氏族である、といえば皆それを信じます。あなたの愛弟子、カイリ・ラム・ゼーラが事件に関わっていたという証拠もたっぷり用意していますよ」
「く……っ」
ロンは打ちのめされ、そして、思い知った。
ウェン・べリアレイズは、ロンの思考を読み、弱点を知り尽くし、常に彼の数歩先をいっている。
魔王ヴァロウグを倒した元勇者であっても、このカラド王国の元老院議員には、まったく手も足も出ない。
この男には、勝てない──いまは、まだ。
「アルクワーズさん。もう一度言います。僕は、正義を為したのですよ」
男は笑みを消して、真顔でいった。
「この世界を滅ぼしかねない大戦争を、未然に防いだのです。己の義務と責任に背をあなたに代わって、この手を汚したのです。世界平和のためにね」
「……」
「誰にでもできる仕事じゃない……。周りにいるのは、綺麗事だけを叫ぶだけで何かを為した気になっている無能ばかりですからね。僕がやるしかなかった。僕にしかできない仕事だったから、僕がやった。それだけです」
言いきった男の眼には、確たる信念が宿っていた。
何者にも打ち砕けぬ、強靭な意志。
その奥底には、冷たく凍てついた絶望が巣食っている。
ロンは、理解した。
この男は、自分に似ている。
だからこそ恐ろしく、許しがたく、そして──。
「アルクワーズさん。僕はこれからも、必要とあらば今回と同じことをしますよ。何度でもね」
いって、男は席を立った。
「それが許せないというのなら、元勇者の肩書など捨てて、ふたたびこの世界の守護者として立ってください。それができないというなら、あなたにこの僕を責める資格などない」
ロンの背中に向かって冷たく言い放ったあと、ウェンは足早に店を出ていった。
護衛の者たちもすぐその後に続く。
相手の言葉に反論も抗議もできなかったロンは、しばらく傷だらけのカウンターをじっと見つめたままでいた。
ウェン・べリアレイズの正義など認めることはできない。
だが、実際のところ、彼のやり方以外でどうすればサーレイを止められたというのだろう。
血に塗れて戦うことしか知らないロンは、その答えを持たない。
けれど──。
目を閉じると、個性豊かな愛弟子たちの姿が浮かびあがる。
この世界に生まれた、新たな希望。
いずれ最強となるにちがいない、七人の《剣聖》候補たち。
あの子たちなら、あるいはロンやウェンには見つけられぬ道──すべての敵を滅ぼすことで平和を守ろうとする非情な正義とはちがう何か──を見出すことができるかもしれない。
今すぐではなくとも、いつか、きっと。
その時が来るまで、あの七人を命懸けで守り抜く。
それこそが、己に与えられた使命。
この世界で生き続ける、たったひとつの意味だ。
そうだろ?
店を出て、暗い夜空を見上げたロンは、湿った夜風に髪をなびかせながらひとつ頷くと、人通りの絶えた通りをひとりゆっくりと歩き出した。
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いつも拙作にお付き合いいただき、本当にありがとうございます!
今作は、これをもちまして第一部完となり、ひとまず完結とさせていただきます。
途中、長期の休載を挟んでしまい、随分と時間がかかってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
「面白かった」「続きも読みたい!」と思っていただけましたら、★などで応援していただけると、とても嬉しいです!
それではっ、また第二部(あるいは次回作)でお会いいたしましょう!
それまでどうかお元気で!
七剣聖の指南役 クロナミ @kuronami
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