契約、そして実現への第一歩
「……やっぱり。あなた、まだまだ子供ね」
ソフィーは右手を伸ばし、ユリウスの頭をなでる。
婚約者とはいえ、年上の女子から言われては、ユリウスも素直に受け入れるしかない。
「そういうのはね、周りの人は言ってはくれないものよ。例え使用人であっても。……『戦いは第三者ほどよく見える』って聞いたことない? あれは戦いだけじゃないわ」
「じゃあ……ソフィーだけじゃなくて……」
「初めて話をしたあたしが勘付いたぐらいだからねえ……そういう意味では、契約のこともそこまで秘密にしておく必要は無いのかもね」
「そんな……」
それとこれとは話が別だろう。
あの契約があったからこそ、ユリウスは婚約を受け入れたのだ。
「まあ、そんなことはしないつもりだけど。あたしにとっては得にならない」
――伯爵家から、すぐ結婚してほしいと話を受けたとき。
「少し、二人だけで話をさせてくれないかしら。使用人もみんな外してちょうだい」
そうソフィーが人払いして、ユリウスに持ち出した契約。
1……互いに、どれだけ相手に不満があったとしても、三年間は離婚しないこと。その間は、公の場では貴族夫婦として違和感なく、仲良く振る舞うこと
2……互いに、相手が自分以外の異性と親しくなったり、何か関係を持ったりしても、それを直接非難しないこと。できる限り相手の異性関係には干渉せず、無関心でいること
すなわち、ユリウスがソフィー以外の女性といくら仲良くしようが、三年だけ離婚さえしなければ、夫婦の体裁さえ守っていれば構わないと言っているのである。
「なんで、そんな契約を……?」
「いいじゃない。どうせこの結婚に、恋心なんて無いんだし」
あのときは、そうやって理由をはぐらかされた。
でも今なら、ソフィーが早く結婚する……早く男爵家に入るため、こんなことを言い出したというのがわかる。
そうしないと、ソフィーの告発より早く伯爵の偽金貨製造が明るみに出るから。
そして、この契約は、ユリウスの秘めた思いを利用して……
「とにかく、正式にあたしへの処分が無かったことで、晴れてあたしたちの夫婦生活が始まる。……といっても、やることが多いのはあなたの方よね。次期当主としての勉強は続けなければいけないし……彼女にアタックもしなきゃだし?」
「そ、それは……」
駄目だ。これからもきっと、自分はソフィーの手のひらの上なんだと、ユリウスは自覚する。
「そうそう、シャルさんにはあたし、これからもお世話になるかもしれないわ」
「へ?」
「だって、契約で制限されてるのは『異性関係への干渉』だもの。あたしが自分の目的のためにシャルさんの能力を使わせてもらう分には、構わないはずよ」
そう言って、本棚から本を一冊取り腰掛けるソフィー。
「ベース法、あれは本当にすごいわ。世界をひっくり返すようなものになるかもしれない。そんなことを考える人間の利用価値が無いと思ってる?」
……最後のソフィーの言葉に、背筋が寒くなるのをユリウスは感じた。
***
「さて、一辺1キロベースの正方形の面積が1平方キロベースです。では、1平方キロベースは何平方ベースでしょう?」
「1000……じゃないのですか?」
「そうなんです。少し難しいですが、仕組みを考えてみて、確認しましょう」
数日後、真夏の陽気が街を覆い、市場には新鮮な夏野菜が並んでいる日。
学校には再び先生として、他の生徒の前に立つシャルがいた。
「1平方ベースの定義は、何でしたっけ?」
「一辺が1ベースの正方形の面積……」
「そうですね。では、一辺1キロベースの正方形の中に、一辺1ベースの正方形はいくつ入るでしょうか?」
「……あっ」
生徒の中から、気づいたように声を出すものが何人かいる。
「1000じゃない……」
「そうです。正方形の横に、1ベースの正方形が1000個並びます。縦にも、1ベースの正方形が1000個並びます」
シャルは黒板のような板にマス目をたくさん書いて説明する。
でも、やっぱりみんな察しが良い。生徒が増えて大丈夫かな、と考えたけど全くその心配は不要だったみたいだ。
――モートン男爵家側とリブニッツ伯爵家側という、セーヨンの商会の間にあった見えない線引きが無くなったことで、今まで男爵家の資金援助が入っていたこの学校にも、元伯爵家側商会の子どもが通うようになった。
生徒数は倍近くになり、それに合わせて先生の人数も増えたが対応しきれてないようで、シャルが授業を受けてても先生たちの苦労が目についてしまう。
それでも生徒数を増やした理由の一つには、みんなにシャルのベース法を学ばせるというのがある。
シャルがジャンポールと話したとき、真っ先に出た提案だ。
以前のように伯爵の妨害を心配する必要は無くなった。
ただ生徒数が増えるというのは、教えるシャルにとっては単純に不安要素だったのだが……
「とすると、1ベースの正方形は何個入るでしょうか? では、そこのあなた」
パラパラと手が上がった中から、シャルは適当に一人を指名する。
結果としては、こうやって手が上がっていることそのものが、シャルの授業が上手く行っていることの証明だろう。
「百万個?」
「正解です。1000×1000で1000000。つまり、1平方キロベースは1000000平方ベースです」
……順調だ。
ジャンポールによると、数日中にベース法を、セーヨンでの公用単位として正式に導入する予定だという。
その時に、新しい単位の有用さを知る人間が多ければ、それだけ住民への普及は早くなる。
幸い、エリストールのようにベース法にわかりやすく反対している人もセーヨンにはもういないはず。
半年という時間制限はあるが、それだけあれば少なくともセーヨン全体の人にベース法を分かってもらうことはできるはず……それがシャルの計算だ。
国王陛下のお言葉通り、まずは半年でセーヨンにベース法を行き渡らせ、使えることを証明する。
それを持って、他の街にも広げていき、正式な法案成立も目指す。
その一歩が、この学校の、この授業だ。
「同じように考えると、1平方ベースは1平方ミリベースと言えますね」
ユリウス様のことだって考えてないわけじゃない。
ペリランド商会の発展にも協力していきたい。
「では、少し練習問題を解いてみましょう」
だけど、わたしにとって一番やりたいのは、単位を簡単に換算でき、計算が楽になる世界の実現だ。
理系女子大生、異世界でメートルを作る しぎ @sayoino
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