ユリウス、ソフィーに問う


「なんでしょうか」

「ベース法を成立させるにあたって、実績が欲しいとのことだ。まずはセーヨンで、ベース法に基づく新しい単位を人々に使わせることはできるか……そうおっしゃられている」


 なるほど、実績か。

 前世で大学の先生方が、実績がないと研究費がもらえないと嘆いていたのを思い出す。


「セーヨンの規模の街でベース法を導入することができるなら、国全体でも実現可能という強力な説得力となる。そのうえで、街の人々が有用性を認識すれば、反対派の貴族も納得せざるをえないだろう……それが国王陛下のお考えのようだ」

「わかりました。……しかし、それならわたしを通さずに、直接セーヨンに国王の指示という形で通達すればいいのでは……」


「いや、まだ法として成立してはいない以上、それはできないらしい。あくまで主体はセーヨンの街であって欲しいとのことだ。モートン男爵家と協力して、これを行って欲しいと」


 国王陛下の協力は、得られないということだろうか。


 シャルの頭の中に、国王陛下の顔が思い浮かぶ。

 ベース法について話したら、ニヤリと笑みを浮かべたあの顔。


 

「期限は半年。半年後に、結果をまとめてほしいと……」


 具体的なタイムリミットを出され、シャルの頭の中の霧がまた少し晴れる。


 

 ……成果報告まで義務付けられた。これはもう、社会実験をやって欲しいと言われているのだ。


 そして思い浮かぶ国王陛下の顔が、厳しくかつ真面目になっていく。




 ――もしや、わたしは試されているのではないだろうか。


 国王陛下は、実際はセーヨンに向けて強権を発動できたとしても、あえてしなかったのかもしれない。


 ベース法が本当に信頼に足るか……それを確かめるために、わたしの本気度を見ているのだとしたら。


 まずはセーヨンの街からやってみなさい、と言っているのだとしたら。



 ……ならば、行動はすぐ起こさないと。

 セーヨンの支配が男爵家によって統一された今のタイミングは、間違いなく好機だ。



「……わかりました。今すぐ、男爵様たちとお話しなければいけませんね」


 シャルは立ち上がる。

 その目が輝きを取り戻していることに気づき、モーリスは安心した。


 


 我が娘を元気にさせるのは、やはりこれなのだ。


 あの時、伯爵の誘いを断ってまでシャルがこだわったベース法。


 その成立という目標の前には、ユリウス様やソフィー様への心配など、ささいなことなのだ。



 

 ――ユリウス様。うちのシャルは、強敵ですよ。




 ***




「ソフィーさ……ソフィー」


 シャルが自分の目標に向けて、元気を取り戻したのと同じ頃の男爵邸。


 ユリウスは、家具職人との話し合いを終えて自室の前まで来たソフィーを呼び止めた。


「どうしたの? 公的な打ち合わせは、今日はもう終わりだったはずだけど」

「でも……ソフィーは……いったいどこまで、予想通りだったんだ?」


 言葉を絞り出すユリウス。

 ソフィーに対して敬語を使わないのも、だいぶ慣れてきた。


 昨日、国王陛下からの連絡を聞かされてから一晩考えた。

 そしてその結果として、やはり直接聞くしかない……そう決めたのだ。



「……それは、処遇の話? それとも、あたしたちの生活に関する話?」


 突然聞かれても、ソフィーは何も動じていない。

 まるで聞かれることさえ想定済みだったかのように。


「……全部」

「ふうん……立ち話もなんだし、部屋で話しましょう」


 ソフィーはユリウスの方を向くことさえせずに、ドアに歩を進める。


 ついてきていた使用人が部屋のドアを開けようとすると、ソフィーはそれを左手で制した。

「あたしは大丈夫だから、あなたは他の手伝いへ行ってなさい」


 ……言われた使用人が去っていくのを確認して、ソフィーは自分でドアを開ける。




 ――伯爵家から引っ越してきたばかりのソフィーの部屋は、ベッドや家具こそ一通り揃っているものの、貴族の娘らしい華やかな物は少ない。


「答えから言うと、まあ大体予想は合ってた、というところかしら」


「伯爵が国外追放になることは?」

「少なくとも当主の座を追われるぐらいの処罰になるかなとは思っていたわ」

「ソフィー自身に何も無かった、ってことは?」

「そっちは予想以上ね。一応、一年ぐらい牢に入る覚悟はしてたんだけれど」


 恐る恐る聞くユリウスに対し、ソフィーはテーブルの上に置かれた焼き菓子をつまみながら、世間話みたいな感覚で話す。

 


「じゃあ……その予想は、いつから立ててたんだ?」

 どの段階で、すでに自分は婚約者の手のひらの上にいたのか。


 やはり婚約を早めてほしい、となったときからだろうか。あるいは……


 

「……最初という意味で言うなら、父に言われてあなたと婚約者になったときね。もちろん、その後何度も予想外はあったけれど」


 ……その段階から、なのか。

 


「予想外?」

「いくつかあるけど一番は、偽金貨が発見されてしまったこと。あれによって、父のところまで捜査の手が及ぶのが時間の問題になってしまった」


 ユリウスは思い出す。

 伯爵家と関係ある商会からだけ偽金貨が見つかったり。逆にペリランド商会のような、伯爵家と取引のないところからは見つからなかったり。


「さらに、偽金貨を見分ける方法なんてものが考え出されてしまった。これで調査は一気に進む。だからあたしは予定を早めることにしたの」


 

「予定……」

 ユリウスの頭でも、もう察しがついていた。

 多分、それは……



「ユリウス、あたしを恨んでる? 急に婚約をさせられて」


 ソフィーはそう言って、ユリウスへ向けてぐっと一歩踏み出す。



「別に……そんなことない。伯爵家から色々言われたら、こっちは断れないし」

「そうかもしれないけど、それはそれとして思うところはあったでしょう。……お気に入りの子がいるあなたには、特に」


「……」


 かすかに笑みを浮かべるソフィー。

 すべてを見透かされているような気分がして、ユリウスは言葉が出ない。


 

「だから、あなたには損をさせない婚約にしたつもりなんだけど、不満はある?」


「無い。無いけど……」


 けど、気にはなる。


 ……今なら、ソフィーの当時の行動に納得は行く。

 でも、そんな行動を取るには……




「その……俺の気持ちに、気づいたのは……」

「最初に話した時からよ。……自覚無いの? あなた、シャルさんの話ばかりしてたじゃないの」


「……」


 そんなの……



 

「今まで誰も教えてくれなかった」


 二人の声が、ハモった。

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