洋館

宿木 柊花

第1話

 天使あまつか優羽ゆう、孤島にいた。


 髪も服も濡れ、好奇心旺盛に覗き込む太陽の前に大の字で転がる。


 気分は魚市場の干物。


 小型とはいえ船を荒々しくもてあそび、優羽を呑み込もうとした海とは対照的に空は青く澄み、そこを泳ぐ雲はない。

 高いところを旋回するのは鳥だろうか。

 遠くから木々と鳥たちの合唱が聞こえてくる。


 ━━これが癒しか。


 殺意とも取れる仕事量を淡々とこなす事だけを重視してきた優羽とは縁遠いもの。


 優羽は目を閉じ自然に溶けていく。

 草の触れ合う小さな音、小鳥の井戸端会議、風の囁き、同士を打つ高い音。

 太陽の眩しさはまぶたを透かし、視界を赤く染める。

 全身を包む温もり、地面の温かさ、服の冷たさ、が足に当たる。

 深呼吸をすれば潮の香りと湿

「のどかだな」






 遡ること数時間前。

『目的地は不明。期間は無期限。途中帰還は認めず、確実に遂行すること』

 日課のジョギング中にワイヤレスイヤホンがハッキングされた。

 任務を告げる自動音声が脳中を土足で走り回ると言語化しにくい気持ち悪さを残して消えた。

 上司からの指令。

 一方通行の命令といった方が的確かもしれない。

 イヤホンを踏みつけ、ごみ箱へ投げる。


 しかし、今は一つ問題がある。

 ペットのことだ。

 この子はどうしても留守番ができずに会社の許可を得て連れてきている始末。

 長期間の留守番なんて完全に無理だろう。しかし、任務の邪魔をすることは確実。


 ほら、また黒石に悪戯してる。

「やめなさい! わらし」

 あーあ、可哀想に。やっと五分の仮眠休憩なのに溺れたみたいに苦しんでいる。

 後ろではわらべが楽しそうに走り回る。


 この制御不能の悪戯っ子が優羽のペット、座敷わらしという珍しい種類らしい。性別は不明。

 前に住んでいたアパートに付いていた。そして今は優羽に憑いている。

 ちなみに前に住んでたアパートは建築法違反と不審火で炎上してなくなった。

 それは優羽が退去してすぐのことだった。


 今は特定の個人に憑いているため、そういった事は起こしていない。と思う。


 優羽は荷物をまとめ、一応わらしに留守番をするよう言い付けてから会社支給の小型船舶に乗り込んだ。海に乗り出すとき、陸でわらしが手を振ってくれるのが可愛らしい。






 服も髪も乾き、白い結晶を落としながら空に呟く。磯の香りが染み付いた髪を軋ませて海藻などを取り除く。

「わらし、いるんでしょ?」


 それはもう確信だった。

 いくら荒れていたとしても小型船舶が蛇行して大波にサーフィンのごとく乗ったり、スーパーカー並みの時速を出したりはまず不可能だろう。ましてや大海原の真ん中で目印もなく船から放り出されたのに無傷で、しかも予定より早めの到着している。

 これには確実に人智を超えた力、否、座敷わらしの幸運が働いているに違いない。

 海の中でホホジロザメに囲まれた時は生きた心地がしなかった。護身術が必須でなければどうなっていたか分からない。

 あの獲物を見る目は当分夢に出るに違いない。


「怒らないから出ておいで」

 背後で木炭を床に落としたような音がした。乾いて隙間の多くなった木は高く響く。

「そこね」

 勢いよく振り向き、そのまま前へ向き直る。

 見なかったことにすべきか俊巡しゅんじゅんし、今度はゆっくりと振り返る。


 そこにはが立っていた。

 向こうにはよくいるガイコツの魔物。こっちでは骨格標本を専門職にすることで有名だ。


 ところどころにまだ土が付き、白くないそれは細枝のような腕をしなやかに振っている。

 あの三つ目小僧の骨かと思ったが、すぐに違うと分かる。頭蓋骨の右側に大きく穴が開き、眼孔が三つあるように見えるただの人骨だった。

 火葬が主流だと聞いていたがこんなにも見事に全身の骨が残っていることなどあるのだろうか?


 スケルトンはそんな優羽を嘲笑うように口の開け肩を上下に小刻みに震わす。


 だが、こんな場所にスケルトンはいない。


 ……ということは。

「わらし! 悪戯はやめなさい」

 誰かの遺骨で作られたスケルトンの後ろからゆっくりと座敷わらしは顔を出す。

 その手が離れた瞬間にガイコツは地面に散らばり、骨の山を作った。

 無表情で骨と優羽を交互に見る、わらし。

「わらし、元の場所に帰してあげましょう?」

 きっと墓地から取ってきたのだろう、そんな安易な決めつけが優羽を苦しめることになるとはまだ気付かない。






 スケルトン(わらし)に連れられて島の山を登っている。

 標高は低いが腐葉土の上は歩くだけでかなりの困難だった。柔らかいだけでもバランスが取りにくいのに最近雨でも降ったのか水を吸った枯葉たちはとても滑る。

 わらしはモデルウォークで足取り軽く、もう米粒ほどのサイズになっている。

「わらしそこで待って」 


 ようやく合流すると、そこには大きな穴が開いていた。土と影でよく見えないが底の方にも色々あるようだ。

 なるほど、任務の詳細が見えてきた。

 顔を上げればすぐ近くの洋館と目があった。

 遠くからは分からなかったがかなりのつたが巻き付いている。


『誰かいるのか!』

 森をつんざく咆哮のような怒鳴り声。飛び立った鳥が静かに落下した。銃声はない。

 優羽たちは慌ててその場を離れた。




 スケルトンは目立つ。

 優羽は羽織っていたシャツワンピースを着せる、ロング丈なのでほぼ全身をカバーできた。

 だがまだ足は骨のまま。

 こういう時は浜辺へ行く。

 漂着物は何かと役に立つ。ちょうど漂着していた長靴を履かせることにした。

 ワンピースに長靴。雨が多いようだからおかしくはないだろう。優羽は一人で納得する。

 わらしも嬉しそうに長靴を揺らして遊んでいた。



 島を探索した結果。

 洋館以外に人間がいない。

 屋根のない家が数軒あるだけで住民と思われる人間も動物もいなかった。

 もしここに住んでいるとしたら本土と往来する港が整備されているはずだが、それもなかった。

 自給自足している様子もない。

 座敷わらしの特性なのか、わらしは迷うことなく水を泳ぐ魚のように島を案内してくれた。おかげで荒れ果てた島を歩いても擦り傷一つ作らずに済んでいる。


 任務はやはりこのスケルトンの素材のことだろう。

 それはきっとあの洋館の人たちが知っている。




 作戦を構築する優羽の上に激しい雷鳴が轟く。

 バケツを返したようなというより滝行に近い大雨で目の前が白くなる。

「わらし雨宿りしよう」

 スケルトンに薄いワンピースが張り付いた姿はもはや即身仏だった。

 これは絶対人間に引かれる。


 またしても漂着物を物色。

 すると驚くべきことに海でなくした荷物を発見。

 詰めてきた衣類の中からマウンテンパーカーとロングスカートを出して着替えさせる。ウエストは書類に付いていたクリップで留めた。

 その姿を見たとき、優羽の頭に一つの案が浮かぶ。

「わらし聞いて。これからあの洋館でお仕事だから良い子にできる?」

 わらしはスケルトンを使って大きく頷いた。

 優羽の胸中には一抹の不安が渦巻く。




 雨のベールをまとった洋館は一層不気味に立ちはだかる。

 優羽は大きな扉の前に立っている。

 フードを目深にかぶり直し、気合いを入れる。

 意を決し、扉の中央でライオンが咥えた輪を数回打ちノックする。

 中で小さく悲鳴が上がると、ほどなくしてゆっくりと扉が開き、無精髭を生やした男性が顔を出した。

「どうされましたか?」

 優羽が考えておいた(ドラマで見た)台詞を口にする。

「海が荒れて船が座礁してしまいようやくたどり着いた島で、この雨です。どうか雨宿りをさせてくださいませんか? 」

 漂着物の量から座礁した船や難破船から人が漂着することも不思議ではないはずだ。

「それは災難だったな。俺たちがいなかったら危なかったぞ」

 大柄の男性は無精髭をひと撫でし、快く受け入れてくれた。


 玄関を抜けるとそのまま広間になっていた。

 中央の柱には緻密な彫刻がされており、その奥に大きな暖炉が焚かれていた。

「変なの連れ込まないで!」

 女性が金切り声を上げる。さっきの悲鳴も彼女のものだろう。

「そう怒るなよ」

 細身の男性が宥める。

「漂流者は助けるって決めただろ?」

 無精髭を撫でながら、すみませんね、と男性は告げる。


 多分この中に犯人がいる。


 暖炉の前を借りてカップ麺を貰った。

 わらしの分は目を盗んで半分減らす予定だ。

「不思議な島ですね」

 出来上がるまでの数分、優羽は世間話から始めることにした。

「確かに不思議に思うかもしれませんね。店もなく廃墟ばかりの中に洋館が一つなんて」

 細身の男性が上品に笑った。

「雰囲気あるだろ? ここの持ち主は俺たちの仲間だったんだが、今連絡が取れなくて探しにきたんだ」

 無精髭の男性は自慢気に話す。

 ここの人たちは大学の映画サークルだったらしい。よくロケ地に使っていたと、右手でメガホンを振るジェスチャーを交えて熱く教えてくれた。


 隣でわらしは大人しくしていてくれて助かる。

 不意に肩に重みがのし掛かった。わらしだ。

 わらしが優羽の肩に頭を預けて眠っている。

「あら? その子寝ちゃったの? ならそのカップ麺もらってもいいかしら」

「寝ちゃいましたね。どうぞ」

 女性がカップ麺を右手で受け取る。

「ちょうど時間だ」

 左腕の腕時計を確認し、細身の男性が教えてくれる。男性は食べないのだという。


 犯人の目星はついた。後は物的証拠を集めて報告するだけ、ちょうど雨も上がったようだ。

 早急においとますることにしよう。



 その時不意に、わらしが立ち上がった。

 天井を見ると黒石が頭を出したところだった。


「どうかしたの?」

 このままでは女性がわらしの視線を追うように天井を見てしまう。黒石が見つかってしまう。

 ━━待って。

 その拍子にフードが取れてしまった。もし顔を見られても問題はないよう顔を変えている。


「どうして」

「なぜだ」

「なんであんたが」

 全員が驚いている。

 これは完全にのだろう。

 島の記憶からとうに死んだ人間を選んだつもりだったが、地雷だったらしい。

「洋館はもう俺たちの物だ! 今さら還ってきたところでお前のものじゃねー」

 無精髭が怒鳴る。

「あり得ないあり得ないあり得ない……あの高さの穴に埋めたんだ自力で脱出なんて……あり得ないあり得ない」

 細身は頭を抱えて念仏のように呟いている。

「復讐にでも来たってこと? せっかく弔ってやろうと集まってあげたのにひどいわ。今度はしっかり殺して二度と上がってこられないようにしてあげるから」

 女性は悲鳴にも似た声を上げる。

 女性は折り畳みナイフを広げて震える手で構えた。無精髭もピストルを構える。

 一線を既に超えている人間には理性というストッパーは効かない。


 面倒なことになったと優羽は天を仰ぐ。

 今回の任務は死傷者を出して良いと言われていない。

 ━━どうするか。


 天井で黒石が気まずそうな顔している。その隣で黒石のペット枠の怨霊ちゃんが鬼の形相でこの三人を睨み付けている。

 その時黒石が突然百面相を始めた、あれは……くしゃみだ!

 まずい、この張り詰めた空気の中でくしゃみなんてしたら一発で気付かれる。

 無精髭のピストルなら黒石なんて一発でお陀仏だぶつだ。


「偽物だと思ってんのか?」

 苛立った無精髭のピストルが黒石の方へ向けられる。本人は威嚇射撃のつもりだろうが、そこには人間がいる。誤射にしても殺人は殺人。

 引き金にかかった指に力が込められる。


 ━━黒石が危ない!

 通じたのか怨霊ちゃんが黒石を庇うよう中央に浮き、瞬間髪の一束一束が広がり個々に意思があるよう蠢きだす。

 電球が一つ弾け、黒石は反射的に身を屈めることで弾丸を避けることに成功。

 ターゲットを失った弾丸はその後ろの電球を弾けさせ、怨霊ちゃんは怒りのままに次々と残りの電球を割った。

 連鎖的に割れていく電球は星が降るようにきらめいて床に散らばる。

 女性がまた悲鳴を上げ、無精髭が細身と女性の上に覆いかぶさった。


 暗闇と静寂が洋館を満たす。


 怨霊ちゃんのおかげで黒石を気にしなくてよくなり、三人の関係性も掴めた。グッジョブ!



 この島の天気は変わりやすい。

 今度はゲリラ雷雨が始まったようだ時折強い閃光が室内を映し出す。


「子どもだ」

 誰かが言う。

 ちいさな足音が広間を駆け巡る。

 優羽の隣のスケルトンは服の形を保ったまま山になっていた。

 ━━わらし……飽きちゃったか。

「なんでなんで、こんなのおかしい」

 女性がナイフを振り回す。

「どういうことだ」

が死ねば死ぬはずだろ」

 沈黙が流れる。

「どういう……ことだ?」

 止まった無精髭のピストルを蹴り上げる。それは旋回しながらどこかへ消えた。


 優羽と無精髭では体格差がありすぎた。

 次々に繰り出される腕を避けるので精一杯。

 背後に立つ女性がナイフを固く握り直していることに気が付かない。女性はガラスを引っ掻くような声を上げながら突進する。

 優羽が気付くのは遅すぎた。

 避けるには距離がなく、横からは無精髭の太い腕が迫っている。

 身体に衝撃が走る……ことはなかった。

 目の前に白い頭がある。

「わらし!」

 わらしが庇ってくれた。


 女性は言葉にならない叫び声を上げ、またナイフを振り回す。

 フードの取れたスケルトンに男性二人も同じように叫ぶ。

 細身は高笑いをしながら走り回り、無精髭は懺悔の言葉を叫びながら柱に頭を打ち付ける。



 優羽はスケルトンを抱いて洋館を後にする。

「わらし、さっきはありがとう」

 スケルトンは首に腕を回すと一瞬抱き寄せ、崩れた。

「わらし?」

 わらしの気配が消えた。

 雷雨の中で優羽は一人遺骨を集めてわらしの着ていたロングスカートで包む。






 雲の切れ間から光が射し込む。


 わらしは怨霊ちゃんと手を繋いで現れた。

 その時、優羽は本当の任務を理解した。

 怨念の抜けた怨霊ちゃんは確かに優羽の顔にそっくりだった。


 離れたくない思いを押し殺し、地表に陣を描く。

 旅の安全を祈って丁寧に。

 未来の安寧を祈って力強く。

 そしてこの時が終わらないようゆっくり、ゆっくりと描いていく。


 最後の一文字が優羽にはどうしても書けなかった。

 これが完成してしまえば二人とは会えなくなってしまう。

「いやだ、いやだよわらし」

 わらしは優羽を覗き込むと満面の笑みを浮かべる。

 止まらない涙で陣を濡らさないように気をつけて精一杯、思いを込めて最後の一筆を添える。


 陣は光を放ち、二人を包み込む。

 怨霊ちゃんは一礼し黒石を見つめる。その瞳に宿る想いはきっと黒石にしか分からないのだろう。

 わらしは目一杯手を振った。

 怨霊ちゃんを見上げてははにかみ、時には抱きついたりしながら、無邪気にあどけなく笑っている。

 優羽もしっかりと笑って手を振る。

 大丈夫。安心して。心配しないで。頑張って。良かったね。元気でね。また会おうね。

 たくさんの想いを込めて雲間に消えていくまで全力で手を振る。


 優羽の任務は完了した。






 天使あまつか優羽は天使である。

 天使でありながらブッタを推したことで天の怒りを買い、とある探偵事務所の下請けをしている。

 主な仕事は未練の解消。

 優羽は今日、新しい目標を掲げる。


 それは【出世】すること。

 昇り詰めて輪廻の業務もしくは天界勤めになれば、わらしとの再会も夢ではない。



 優羽は脱出に苦戦する黒石を置いて自前の羽で一足先に帰還する。優秀ではない優羽は一瞬たりとも無駄にはできない。

 それに今の段階で天界に一番近いのは、黒石。

 強力なライバルを倒さなければならない。

 優羽は加速する。

 涙がきれるまで。

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