25話 私はここにいるよ
——母さんがご飯の準備をし始めたため、その間に俺たちは宿泊荷物を来客用の寝室に運ぶことになった。
荷物を部屋の隅に置き、押入れにあった布団を二人分敷いて夜に備える。
その間、俺たちの間には暗い雰囲気が立ち込めていたが、俺にはどうこうする気力が残っていなかった。
本当は奏に、俺の過去を伝えたくはなかった。
それこそ俺が奏に隠せる唯一の弱点で、隠せば奏が無理に気を遣う必要がなくなるから。
「千智、大丈夫?」
でも、それを知ってしまった彼女は俺に気を遣う。
知ってしまった以上、もう後戻りはできない。
だから俺は、もう奏に心配をかけないように精一杯の笑顔を浮かべた。
「大丈夫だよ。もう割り切った過去だから」
「……の割には、元気なさそうに見えるよ」
指摘され、風船の空気が抜けるかのように口角が下がる。
空元気も長くは続かなかった。
布団にへたり込むと、奏が隣に腰を下ろしてくれる。
「……意外だった。あんなに交友関係の広かった千智が、彼女をつくりたくなかったなんて」
「周りが勝手に集まって来ただけだよ。でも、俺には突き放すことができなかったから広く浅く人間関係をつくることしかできなかった」
「どうして私には、大学であんなに関わってくれたの?」
「一目惚れもあったんだろうけど、きっと深層心理では奏に共感というか、同情してたんだろうな。『あぁ、あの子にもきっと他人と関わりたくない何かがあるんだろうな』って。そうやって一人でいる姿が寂しそうに見えて、気になるようになったんだと思う」
きっと一目惚れだけでは奏に関わりに行くことはなかっただろう。
だって俺の心には、大切な人を失う悲しみが刻み込まれていたから。
いつか、奏を失う日も来るんだろうか。
そんな考えが頭をよぎる。
呼吸が荒くなる。
何も考えられなくなる。
涙が出そうになる。
「奏……」
絞り出すように彼女の名前を呼ぶと、不意に暖かい温もりに包まれる。
一瞬何が起きたのか理解できなかったが、嗅ぎ慣れた甘い匂いでようやく奏に抱き締められたのだと気づいた。
「大丈夫、私はここにいるよ」
「っ——」
泣いている子供に寄り添って宥めるような、穏やかな声。
それはあまりにも優しすぎて、俺は嗚咽を零しながら奏を力強く抱き締めるのだった。
◆
——千智は涙で腫らした目を落ち着かせてから来るらしく、私は先にリビングへ向かっていた。
あんまり詳しいことは聞き出せなかったけど、千智は今まで大切な人を失う怖さと戦いながら生きてきたんだと思う。
だからあの時も、幼馴染を失う時の光景や感情がフラッシュバックして私の名前を呼んだ。
きっと、想像もつかないような怖さなのだろう。
それでも千智は私に声をかけてくれて、私を好きになってくれた。
本当に、感謝しかなかった。
「——あの、何か手伝えることってありますか?」
キッチンで千智のお母さんがご飯の準備をしていたため、何か手伝えることができればと思って声をかける。
「あら奏ちゃん。じゃあ洗い物を手伝ってもらおうかしら」
「分かりました」
「ごめんね、手伝ってもらっちゃって」
申し訳なさそうにする千智のお母さんに「いえいえ」と首を振り、私は早速洗い物に取り掛かった。
「……奏ちゃん」
「なんですか?」
名前を呼ばれて振り向けば、千智のお母さんはまた申し訳なさそうにしている。
しかしさっきまでとは違う儚げな表情に、これから話される内容が千智に関するものなんだと察した。
「千智、落ち込んでたでしょ」
「……はい」
「ごめんね、面倒かけちゃって。あの子の前であんな話をして、私も悪いとは思ってる。でも奏ちゃんにはどうしても知っていてほしかったの。あの子、たぶん奏ちゃんにずっと隠し続けるつもりだったから」
「分かるような気がします」
千智は私のことをたくさん考えてくれている。
だからここまで距離を縮めることができた。
そんな彼のことだから、きっと私が気を遣わないように黙っているつもりだったのだろう。
「同情を誘うようで申し訳ないけど、それでも奏ちゃんにはなるべくあの子の傍にいてあげてほしいの。だから、よろしくね」
千智のお母さんの無気力な笑顔を元気づけるように、私は口元に精一杯の笑みを浮かべて言った。
「千智の傍を離れるつもりは全くないので、心配しなくていいですよ、お義母さん」
——その後、仕事から帰ってきたお義父さんをお義母さんと一緒に出迎えた。
私を見たお義父さんは、さっきお義母さんたちが驚いたように、千智に失礼な驚き方をするのだった。
付き合って半年後からようやく始まる俺たちの恋愛生活 れーずん @Aruto2022
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