付箋:執事片岡の覚え書き⑤
賑わいの声が響き渡ってから数時間後。
いつもの常連客がこの店を去ってからは、打って変わったように店内はシンと静まり返っていた。
ようやく訪れた、静寂の時間。
入口の扉に飾ってあるウェルカムボードを裏面にし、『CLOSED』のサインを表示した後、カウンター席に座って自分の一番好きな香りが楽しめるグアテマラコーヒーで一息つく。
テーブルには、常連客が覗き見ていたあのスクラップブックが開かれたまま置かれていた。
大きな声が奥のスペースから聞こえたかと思うと、ドタドタと慌てるようにわたくしにこのスクラップブックを見せてきた六人の皆様。
本日も、いつものやり取りを楽しませていただきました。
さて。わたくしも、“まかない”の時間といきましょうか。
カタリと席を立つと、カウンターテーブルの下に隠すように貼り付けていた一冊のノートを取り出し、ゆっくりと右手をかざす。
すると眩い光が現れ、“あの時”描かれた様々な学校が色とりどりに映し出されていった。
「……ふふっ。やはり、皆様の発想力は素晴らしいですね。見ているだけで、身体中が満たされていきます」
「な〜に、独りでブツブツ言ってんだニッ。自分だけ“食べる”なんてズルいニッ。ネコも腹が減ったニッ」
首元の鈴をリンッと鳴らしながら、わたくしの膝にひょいと体を乗せてきた一匹のそのネコは、いつもの低い声を鳴らしながらエサをねだってきた。
「そちらこそ、何を言ってるんですか。あの六人の皆様から『専用ページ』を貰ったのでしょ? それで十分だと思いますが」
「何言ってるんだニッ。オマエは他の全部のページを丸ごと“平らげる”くせニッ。それよりも、今日はいつもより騒がしかったニッ。ってか、あんなに無造作に『証拠』を残しておいてよかったんだかニッ?」
前足をペロリと舐めながら、ネコは先ほどの出来事のことを思い出し、くねりと首を捻る。
確かに、あれほど不用心に『証拠』となる物を置いておけば、気づかれてもおかしくはないだろう。
しかし、そんなネコに対し、わたくしはふふっと不敵な笑みを浮かべてこう切り返した。
「いいのです。『アレ』はそれほど大したものではありませんから。それに、少しずつヒントを与える方が謎解きに夢中になってこの店に足を運んでくれるでしょ? まあ、いわば『リピーター獲得作戦』と言うやつですよ」
「よく言うニッ。ただ片付けがズボラなだけのくせニッ。それにしてもオマエ、今回はかなりキャラ変してたんだニッ。何で、『執事』なんてものになったんだニッ?」
「皆様を警戒させないような設定にしただけですよ。それと、世間では『執事』とやらが流行っていると小耳に挟みましたので」
「どんな偏った情報だニッ。名前も『カタオカ』になってて、最初はわからなかったニッ。しかも、ただ反対に読めばいいだけなんてフザけてるニッ。謎を残すのなら、もっと凝った名前にすれば良かったニッ」
「『ユーモア溢れる』と言っていただきたいですね。それに、小さなお子様もいらっしゃいましたし、謎解きが難し過ぎてはやる気もなくなってしまいますからね。そんなことより、そちらこそ何故そのような性格なのでしょうか? わたくしの知っている“ネコ”は、もっと大人しく、気品溢れるタイプだったはずですが」
「『ご主人サマ』の残像に合わせてるだけだニッ。今回はオマエじゃなくて、『アッチのご主人サマ』の記憶に合わせたニッ」
わたくしの膝の上からスタッと飛び降りたネコは、フンッと鼻を鳴らしながら床へ寝そべるしぐさを見せる。
昔から知っている間柄ではあるが、互いの姿や性格は『以前のもの』とまるで違う。
まじまじとそんな姿を眺めるわたくしとは対照的に、ネコはくわっと大きな欠伸をしながら、テーブルに置いてある『例のノート』へと視線を移した。
「しっかし、アイツラはそのノートにいろんな世界を生み出していったけど、結局は現実世界を変えることはできないニッ。想像するだけになってしまうのは虚しくないのかニッ? 無駄なのではないのかニッ?」
確かに。所詮は、想像を投影するだけの代物。
仮想空間で自分の思い描いた世界を体験することはできるが、現実世界を変えることは不可能だ。『無用の長物』と揶揄する者もいるだろう。
それでも。頭の中には物凄く大きな世界がある。未来がある。
「そうですね。確かに、『希求筆記帳』を使っても現実世界は変えられません。でも、自分の思い描いたことを具現化して、仮想空間の中だけでも実際に体験できるなんて、ワクワクしませんか? 今の子どもたち、いや、大人たちもそうだと思いますが、頭の中ではとても素晴らしい思いを巡らせているのに、それを『うまく外へ出す』ことが出来ていないように感じます。溜め込み過ぎなのですよ。わたくしは、その素晴らしい思いを少しでも外へ出せるお手伝いをさせていただきたいのです」
「よく言うニッ。自分が“食べたい”だけのくせニッ」
「失礼な。わたくしは、皆様の思い描いた
「物は言いようだニッ。それにしても、ニンゲンの心は複雑過ぎて、ネコには難しいニッ」
「ふふっ。そうてすね。確かに、自分の心ですらよくわからなくなることがあるようですからね。でも、人間とはそういうものなのです。さあ、また明日から新たなお客様を獲得していきましょうね。今回は子どもたちが怖がらないようにあまりアレンジした世界にはしませんでしたが、次は妖精やドラゴンが出てくるようなファンタジー要素が強いものにするのもありですね。あっ、貴方はこの喫茶店の“看板猫”なんですから、これからもキビキビと働いてくださいね」
「ニッニッ!? いつからそんな話になったんだニッ!? 勝手に決めるんじゃないニッーーーー!」
ここは、町外れの小さな古びた喫茶店。
誰でも自由に自分の思いを描き出し、共有できる温かな居場所。
そして、ごくごく稀に、異世界へと導いてくれる不思議な所。
「ご利用、ありがとうございました。またのご来店を、お待ちしております」
(完)
(長編物) 十人十色の学校ノート たや @taya0427
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