第4話
「生き延びて、脱出してやる」
隆一は屈辱に拳を握りしめた。愛する家族は偽りだった。元の社会では酒とギャンブルに溺れ、妻に暴力を振るって子供を連れて離婚され自暴自棄になり、正職員だった会社をクビになって日雇い労働で食いつないでいた。
もともと実り豊かな島だ。生活しながら脱出の手立てを考えるには十分に時間もある。 隆一は身体中に生きる気力が漲ってきたのを感じた。
***
翌朝も眩しい太陽は降り注ぎ、海はどこまでも透明なブルーだった。
ベッドは広かった。いつも隣にアイリスがいた。そして、日が昇ると同時に早起きのエミリオが起こしにきた。いや、彼らは偽物の家族だ。隆一は混乱する記憶を振り払う。
隆一はロナウドの鶏小屋へ行き、鶏を殺して焼いて食べた。落ちていた卵はゆで卵にした。マテウスの家で収穫された果物をかじり、薬棚にあるロゼッタの調合した傷薬をいくつか拝借した。
賑やかだった集落には誰もいない。隆一は浜辺に向かった。白い砂浜にピンク色の貝殻を見つけ、拾い上げる。エミリオが拾ったのはこのくらいの大きさだっただろうか。椰子の木陰に座って美しい海を眺めていると、この島から本当に出られるのだろうか、と底知れぬ不安が押し寄せてきた。
何度か沖へ船で漕ぎ出したことがあった。どれだけ漕いでも島影も船も見つけたことは無かった。
食べ物には困ることはなかった。各家庭にあった食料のストックで食いつないだ。幸い、漁の腕には自信があった。鶏も飼育できたし、果物が収穫できる木も見つけた。しかし、孤独だった。
隆一は森の中にある大きながじゅまるの木の下へやってきた。自分が殺したエンリケ老人を埋葬した場所だった。石を積み上げたささやかな墓標があった。
「くそじじい、何てことしてくれたんだ畜生」
「それでも俺は楽しく生きてるぜ」
「悔しいか、バカ野郎」
いつしか墓標に向かって話しかけるようになっていた。そうしなければ、孤独に押しつぶされそうだった。何せ、エンリケ以外の人間は存在ごと消えてしまったのだから。
苛立ちから墓標を蹴り倒し、小便をかけたこともあった。しかし、また石を積み上げて新しい墓標をつくった。
この島は終身刑を言い渡された罪人のための監獄なのだ。誰にも知られず、この島で朽ちていくのか。
隆一は孤独に絶望した。愛する家族を失う悲しみを知り、もはや存在意義を無くして死を覚悟した。岩山へ登り、深いブルーへ向かって飛ぼうと考えて踏みとどまった。
ふと、最期にエンリケ老人に謝りたい、という気持ちが芽生えた。老人の怒りと苦しみ、孤独が隆一の中にリアルな感情となって嵐のように吹き荒れた。
隆一は転がるように崖を駆け下りた。椰子林を抜けて、森のがじゅまるの木の根元に膝をついた。
「じいさん、すまなかった」
掠れた声で振り絞るように呟いた。そのまま何度も地面に頭をぶつけ、滂沱の涙を流した。初めて心から流す熱い涙だった。隆一は心の中でエンリケに謝り続けた。
その夜は初めて穏やかな気持ちで眠りについた。隆一は彼の墓を守りながらここで命尽きるまで罪を償うことに決めた。
***
それからどれほどの月日が流れただろうか。
竿を手に釣りをしようと浜辺にやってくると、鈴が転がるような笑い声が聞こえた。いよいよ幻聴でも聞こえてきたのか、隆一はおかしくなって鼻を鳴らして笑った。
浜辺には白い服を着た少女が立っていた。頭にはハイビスカスの花をつけて。隆一は我が目を疑った。老人との離別を最後に、初めて見る人間だ。成長して美しい顔立ちになっていたが、ひと目見た瞬間、ソフィアだと分かった。
ソフィアは隆一の姿を見つけて微笑み、両手を広げて駆け出した。
「パパ、会いたかった」
ソフィアは嬉しそうに隆一の首に腕を絡めた。信じられない、これは夢か。成長した娘がここにいる。
「どうしたの、ひどい顔ね」
ソフィアは笑いながらもじゃもじゃに伸びた白いものが混じる髭を引っ張った。隆一はぎこちない笑みを浮かべる。はにかみながら腰布の裾を引っ張るのは小さかった甘えん坊のエミリオだ。
「パパ、まるでおじいさんみたいだね」
隆一はおずおずとエミリオの頭を撫でる。エミリオはくすぐったそうに肩を竦めた。
そして、波打ち際に立つのは幼子を抱いたアイリスだった。隆一の乾いた瞳から涙がこぼれ落ちた。
「どうして、君がここに」
もう何年も前に言葉を発することを忘れてしまっていた。凝固した舌を解すように、隆一はたどたどしく言葉を紡ぎ出す。アイリスの腕の中の幼子は隆一に小さな手を伸ばす。隆一はおそるおそるその柔らかな手を握る。
「可愛いでしょう。目はあなたにそっくりなの」
「名前は、名前はなんというんだい」
「この子の名前はルイ、よ」
どこか懐かしい響きがした。隆一は腕の中で穏やかな笑みを浮かべる幼子を慈しむように見つめる。
「あなたを迎えに来たの。さあ、行きましょう」
アイリスは穏やかに微笑む。どこへ行くというのだろう、そんなことはどうでも良かった。ここに愛する家族がいる。ただそれだけでいい。
「パパ、一緒に帰ろう」
エミリオとソフィアがそれぞれ両側から手を握る。忘れかけていた手の温度に、隆一の心に温かいものが溢れた。アイリスが透明なブルーに足をつける。
遠く水平線に真っ赤な太陽が沈んでいく。揺れる水面は金色に輝き始める。温かい光に向かって隆一は目を閉じ、ゆっくりと海に足をつける。清らかな水はまるでひと肌のように温かく、疲れ果て萎びた身体をゆっくりと包んでゆく。
白い浜辺の椰子の木陰で、島の最後の住人は事切れていた。長年の苦悩で深い皺の刻まれた浅黒い顔には微かな笑みが浮かんでいた。気まぐれな潮風が吹いて、苔むした墓碑の上に置かれた赤いハイビスカスの花が老人の薄い胸にぽとりと落ちた。赤い花の咲く名も知れぬ美しい島は老人の墓標となった。
美しき楽園 神崎あきら @akatuki_kz
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