桜ドライブ
飲酒検問から更に一時間程車を走らせ、ようやく目的の場所についた。
周囲を木に囲われ、人影はなく隣接する建物もない。今は使われていない孤立した祖父の家。外見も随分朽ちてきていたが、まだ建物としては綺麗に残っていた。
私は一旦、車を停め祖父の家の庭を目指し歩いた。
今日は晴れていて良かったと思った。
雲一つ無い夜空からは月明かりが綺麗に足元を照らし、夜中だというのに周りが見える程明るかった。
少し歩くと目的の庭だった場所についた。幼き日、今は亡き祖父と一緒に縁側で眺めた庭は草に覆われ見る影も無くなっていた。だが人の入らない場所としては都合が良かった。
私は再び車に戻るとビニールシートや農耕具のスコップ等をまとめ、袋に詰め込んだ。そして冷たい妻の頬を撫でるとタオルケットをしっかりと巻き直し、寒くないように用意していた毛布も上から掛けた。
私は静かに助手席の扉を閉めると再び庭を目指し荷物を担いで向かった。静かな祖父の家にガチャガチャと耕具の鉄がぶつかる音だけが響いている。
「この辺りがいいか」
私は丁度縁側から見える中央のところにスコップを差し穴を掘る位置を決めた。ここなら縁側の何処に座っても見ることが出来るから寂しくないだろう。
私は草に覆われた土を耕し穴を堀始めた。
よくドラマや映画で森の中で大きな穴を掘って埋めるシーンがあったが、実際にしてみるとあんなに上手くは行かないものだ。雑草の根が絡まり土は硬く、少し掘り起こすだけでも汗が止まらない。それでもこれは私がしないと行けないことだ。どれくらい掘ればいいのか何て分からない。でも、浅いと駄目なことだけは分かる。私は少しづつでも深く、深く穴を掘った。
夜中から堀始めた穴は東の空が白み始めた頃、ようやく何とかなりそうな程のものとなった。
ここからが本番である。
私は車へと向かうと助手席へと向かった。佳乃は昨日の姿のまま静かに寝ていた。
「佳乃、起きてくれ。佳乃」
佳乃と付き合い結婚を意識するようになった時、佳乃が笑いながら「私、結婚してあなたの名字をもらったら染井佳乃。ソメイヨシノになっちゃうね」と笑いながら話したあの日。「子供が出来たら最初は女の子がいいな」と、はにかんだあの日。
私は色んな事を思い出し佳乃を起こそうとした。妊娠と心労とで疲れている佳乃は中々起きない。それでもこの後は二人でしないと駄目なんだと、私はもう一度佳乃を揺さぶり起こした。
「佳乃、起きてくれ。準備が出来たんだ」
うっすらと佳乃は瞼を開け身体を伸ばした。
「健二さん、おはよう。あなた一人で準備したの?起こしてくれれば良かったのに」
佳乃は少し寂しそうな顔をしながらゆっくりと助手席から降りてきた。
「ごめんね。だけど身重の佳乃には最後だけ手伝ってもらいたかったから」
私はそう話ながら佳乃の手を引き掘った穴へと向かった。佳乃のお腹は随分と大きくなっていた。余り無茶をさせたく無かった。
私は佳乃を連れ、穴の前に立つと一株の桜の苗を植えた。そして二人で土をかけ、回りの草を引き抜いていった。その間、私達は何も話さず
「桜。植え終わったね。健二さん、そろそろ帰りましょうか」
佳乃の震える声で私達は祖父の家を後にした。
七年後。
私は一人娘の
「ママ!綺麗なおうちだね!誰のおうちなの?」
「ここはね、パパのお爺ちゃんのお
桜羅はわぁっと、キラキラした目で走り回った。そんな桜羅の手を引き私は庭に咲く小さな桜の木のもとに連れてきた。
「ママ!小さな綺麗な花が咲いてるね!これは何て言うの」
桜羅は嬉しそうにキャッキャッしながら小さな桜の木の回りを駆け回っていた。私はその様子を見ながら胸がきゅっとなるのを感じていた。
「この木はね、ソメイヨシノって言う桜の木なの」
「そめいって桜羅の名字とおんなじたね!よしのもママとおんなじ名前だ!桜の木って
「そうよ。この木はね、パパとママと桜羅の三人の木なんだよ。そしてこの木はパパでもあるんだよ」
「パパ?」
桜羅は不思議そうに小さなソメイヨシノを見ていた。
そして私はあの日の事を思い出していた。
妊娠が分かり幸せに溢れていた日。
健二さんに
これからの事にどうしようもなく不安を抱えた日。
健二さんが明るくしようとすればする程、切なかったあの日。
病院を抜け出し桜を植えに行こうと健二さんが言ったあの日。
二人で桜を植えて病院に帰ったあの日。
健二さんや私のスマホには病院からも親からも友達からも親戚からも沢山の連絡が入っていた。病院に帰った時には沢山の人に怒られ、健二さんは子供みたいにシュンとしていたあの日。
桜羅が生まれて誰よりも喜んでいた健二さん。桜羅のパパには数ヵ月しかなれなかったけど、寂しいと思う暇の無い程の子育てと、桜の世話とお爺ちゃんの家を綺麗にする事であっという間に時間が過ぎていった。
そしてようやく今日、桜羅を健二さんの前に連れてくることが出来た。
まだまだ小さいソメイヨシノの木。
桜羅のパパとしてはまだ七歳の木。
ソメイヨシノは少しづつ大きくなって私達を見守ってくれる。
だって、桜羅はこの小さなソメイヨシノをちゃんとパパって呼んでいるのだから。
小さな苗を植えにいったあの日の最期の桜ドライブ。
私はずっと寝ていてあの日、健二さんがどんな気持ちで車を運転していたか分からない。だけど家族を想い、自分も生きていこうとした事は分かる。そしてこれからも一緒にいれることも分かる。
健二さんが遺してくれた一本の小さなソメイヨシノは一生懸命に小さな花を咲かせ、春風と共に小さく揺れていた。
了
桜ドライブ ろくろわ @sakiyomiroku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます