桜ドライブ

ろくろわ

最後のドライブ

 大通りを抜け、郊外を目指し急ぐ一台の車。

 夜の街をさっきまで明るく照らしていた灯も少しずつ消えて行き、並走していた車のヘッドライトも気が付けば減っていた。

「どうしてこうなってしまったんだろうか」

 健二けんじはハンドルを片手にチラリと助手席に視線を移した。

 肩までタオルケットに覆われ瞼を閉じたままピクリとも動かない妻、佳乃よしのの姿がそこにはあった。車内のラジオから流れる陽気なパーソナリティーの声がより一層、健二の気持ちを落ち込ませてくる。


 佳乃はいい妻だった。

 月並みの言葉ではあるが、優しくおっとりとしていて料理も美味しい。小柄な姿からは想像もつかない行動力は昔からだった。待望の子供を授かった事が分かった時には「これからはお母さんになるんだ」と色んな本や動画を見て勉強する姿も学生の頃のままだった。


 そんな佳乃の様子が変わったのは数ヵ月前からだった。

 私の些細な一言で苛立ち、感情は不安定になり、よく落ち込んでは怒り塞ぎ込むようになった。少し笑ったと思った後は必ず隠れて泣いていた。

 佳乃がそうなってしまった原因を私は知っている。全て私の所為せいであることも知っている。どうにもなら無いことも知っている。それでも何とかしようとしたのだが、結果は全て裏目に出てしまい私が何かをすればする程、佳乃は悲しむばかりであった。

 そして少しずつ私たちの関係は変わってしまった。


『ピコン』

『ピコン』


 LINEの通知音で私はふと現実に戻った。

 車を走らせる振動がタオルケットで覆われていた佳乃のか細い腕をだらりと落とすのが見えた。

 私は右手でハンドルを握りながら、左の手で佳乃の手に触れてみる。冷たい温度が私の指先に伝わる。

私はタオルケットからこぼれた佳乃の腕を隠すように再びタオルケットを掛け直した。

 四月の夜はまだ肌寒い。せめて少しでも佳乃が寒くないようにと、そんなことを思いながら。


 何も考えないようにしていても、気が付くと変えようの無い過去ばかり考えてしまっていた。

 車を走らせて既に一時間ほど過ぎた頃だろうか。いつの間にか車内のラジオパーソナリティーも変わっており聞きなれない音楽が流れ始めた頃、私は少し車の流れが悪くなっているのを感じ嫌な予感がした。

 そしてその予感は進行方向で赤色せきしょくに光る棒を持った人達を見付けたことで当たってしまった。

 私は一刻も早く目的の所に向かいたかったが、そんな私の思いとは裏腹に警官は車を一台ずつ止め声をかけており、私の車も例外ではなかった。

 先程から鳴り止まないLINEの通知音と着信音。警官の吹く笛の音が耳障りだった。

「すみませーん、飲酒運転の検問です。お酒は飲んでませんね?」

 私よりも幾分若く見える警官の一人が業務的に声をかけてきた。

「ご苦労様です。お酒は飲んでいませんよ。飲んでいたら運転出来ませんもんね」

「そうですよねー。ただ、お兄さん少し顔色が悪いように見えますが大丈夫ですかー?一応この機械に息を吐いてくれますか。後、免許証の提出もお願いします」

「顔色悪いように見えますか?大丈夫ですよ。あっ、これ免許証です」

 私は免許証を財布から取り出し警官に渡した後、アルコール検知器に向かいハァーと息を吐いた。

 当然アルコール等飲んでいない為検知器は正常値を示していた。

「ご協力ありがとうございます。えっと、染井そめいさん。染井健二さんですね。今はご帰宅中でしたか?」

「いえ、今日はこのまま祖父の家に行く途中でして。もうそろそろ宜しいでしょうか?」

 私は警官に対しひきつった表情をしていたのかもしれない。

 警官に会いたくない、早く終わらせたい。そんな気持ちを感じたのか、警官はやたらと話しかけてきた。

「申し訳ない。この時期は飲酒運転だけじゃなくて色々とあるもんですから。もう少しお話いいですか?」

 警官の視線は私から車内を見回すように外れていた。


『ピコン』

『ピコン』

『ピコン』


 警官と話している時もLINEは鳴り続けていた。

「先程からずっとスマホが鳴っていますが見なくて大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。家族のグループLINEです。どうせくだらない事のやり取りをしているだけです」

 私はスマホの通知音をオフにしながら答えた。

「そうでしたか。すみません、ところで後部座席に置いてある新しいスコップやシャベル、くわ。そしてビニールシート等は何に使うものでしょうか。それとお隣にいらっしゃるのは奥さまですか?随分よく眠られているようですが」

 随分と嫌な聞き方をするもんだと思った。

「それは明日祖父の家の庭を耕すのに使う道具を買って置いているものですよ。それに隣にいるのは妻ですが、幾分疲れており寝ています。もう本当に宜しいでしょうか」

 警官の質問に緊張した私は渇いた声でそう答えた。

「…分かりました。お時間頂きました。お気を付けてお帰りください」

 警官の疑いのある目で見ているのが分かるが、私はその目を後ろに車を走らせた。ルームミラーから遠ざかる赤色せきしょくの光がまだ私の後を追ってくる。そんな気がした。

 そして隣の妻はこんな状況だと言うのにやはりピクリとも動かずよく寝ていた。私はそれを寂しそうに見つめるのであった。




続く。

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