最終話 甘えたい
牧瀬が逮捕されても俺の日常は特に変化がない。変ったことと言えば学校とバイト先以外の時間の大半を母の見舞いに費やした。まるで母親に甘えるように通い詰めていた。自覚はないがそれなりに参っているのだろうか。怪我がなかったとはいえナイフを向けられる非日常を経験し恐ろしい思いをしたのだから無理はない。
「まだいたのか」
伯父が病室に入って来るや否や、ベッドの傍でレポートを書いている俺に腕時計を見ながら言う。つられて脇に置いていたスマホで時間を確認すると二十二時を超えていた。
「夕飯は食ったのか?」
かぶりを振った。昼にコンビニの明太子おにぎりを一個食べてから何も口にしていない。食欲が麻痺しているようで指摘されるまで気付かなかった。
「全く…」
伯父は俺の近くに丸椅子を持ってきてどかっと座る。観察するように俺をじっと見るからなんだか恥ずかしくて、伯父から目をそらして母の方へと顔ごと視線をやる。叔父が何を言いたいのか予測はつく。
凶器を向けられたことは誰でも恐ろしい。話すことで少しは楽になるぞ。お願いだから心のうちを明かしてくれ。せめて心療内科の受診はしてくれよ。
伯父の気遣いを何度も跳ね除けてきた。簡単に心を開いて、もし嫌われたらどうしよう。優しい伯父に限ってそんなことあるはずないと思っていても不安になる。恐怖心は木の根がからみつくように心を支配している。時々ふと思い出す。子供の時に手を伸ばしても振り払われた大きな手が恐ろしい。
今は心を開くなんて大それたことが出来ないことの方が安心なのである。伯父が優しく心配してくれて俺はそれを受け入れない。それでも伯父が俺から離れないでいてくれればそれでいい。そんな子供じみた俺を呆れたのか、はたまた子供だから仕方ないと思ったのかひとつため息をついてから口を開いた。
「怪我はどうだ」
「だいじょうぶ」一文字ずつゆっくりと答えたせいか子供っぽい声になった。叔父は「そうか」と言って右肩に手を置いて指の腹で二度叩いて立ち上がった。ぐいっと両腕を上にあげて一日の疲れをほぐすように背伸びする。
「ああ、腹減ったな。飯食いに行くか。好きなもん奢ってやるよ」
俺は強張らせていた顔を緩めて鞄を持ち立ち上がった。
病をうつす人 桝克人 @katsuto_masu
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