3 君がいない世界の中で
永い眠りについて、寝たまま死んだのかと思ったが、ちゃんと起きることができた。
ベットから降りて、洗面所に向かおうとしたが、身体に違和感があった。急いで鏡の中を覗くと、明らかに背が高くなっている。
顔も全く違う。少し面影はあるが、言われないと気づかないくらい、顔が違っていた。どう言うことだ。夢なのか?夢であって欲しい。
頬を殴る。赤くなっても殴り続ける。痛すぎて、下唇を噛み、血が出ても殴り続けた。
痛い感覚はあるのに、気づかなかった。信じたかった。夢であってくれと。そう願うばかりだった。
人生で四回は、自分が夢を見ているのではないか、と頬を叩いてきたが、今回こそは、心の底から夢であってくれと願った。
僕はリビングに行った。「なんか、僕顔変わってない?」そう声を掛け、キッチンに立っている母が振り返ると、そこには別人が立っていた。
「何言ってるの?とうとうおかしくなっちゃった?」一体、今何が起こっているのか。僕の脳では追いつかなかった。
「それに、今日入学式でしょ?早く家出なさいよ」疑問符が増え続ける。
夢は見ていない。特殊能力でも付与されたのか。原因はわからないが、とりあえず学校へ行く準備をする。
自分でも、状況の飲み込みが早すぎるのは百も承知だ。だが、わからずにうずうずしてばかりじゃ何もできない。
もしかしたら、住所も変わっているかもしれない。家は変わってないが、ただのアパートだ。こんな構造なんて、そこら中にある。
スマホを開き、現在地を調べようとしたら、年号が違っていた。栄杞十五年。
西暦を確認しようと、ドアに貼り付けられているカレンダーを見ると、そこには二一二一年と記されていた。これは一旦、飲み込む。
気を取り直して、マップを開く。もと住んでた家と同じだ。学校への行き方はわかる。
七時五分僕は家を出た。もしかしたら、卓也と出会うかもしれない。僕はいつもと同じように、駅につき、電子カードで改札を抜けてホームで電車が来るまで待つ。
いつもならここで卓也と出会うはずなのに、それっぽい人が来ない。
七時二十分、3番乗り場に電車が到着して、電車に乗る。もし、運命が変わらないのなら、教室で会うだろう。いや、確か帰りの電車で声をかけられたのだった。
入学式で一人一人名前が読み上げられ、遥斗がこの学校にいることを確認。僕は名前が変わっていないことに気づく。もちろん、卓也もだ。
一三時、帰りの電車が到着した頃には、僕は自分が生まれ変わっていたこと自体、忘れてしまっていた。
ふと、スマホを触っていた時に、今後の予定が表示されて、今が二一二一年だと言うことを思い出す。
そして、卓也に声をかけられる、と思ったのだが、誰にも声をかけられず、二十分が経つ。電車を降りて、自転車置き場まで歩いていた時、肩を叩かれた。
「おいお前、佐野だよな?」
振り返ると、卓也に似た誰かが立っていた。
「え?もしかしてだけど、卓也だよね?」僕はこう返す。
「うん、なんか自殺して死んだはずなのに、起きたら今日になってたんだよ。前の家だったし」卓也も僕と同じ境遇に会っていた。卓也もかなり落ち着いた様子だった。
「とりあえず、帰るか」僕はそう言って、自転車の鍵を開け、家に帰ろうとした。
「あ、そういえば遥斗は?」
「名前は呼ばれてたけど、僕らみたいに前の記憶があるかどうかはわからない」僕は、遥斗の記憶が残っているなら、すぐに化け物と化すと思う。
だから、こっちの都合としては記憶がない状態でいて欲しい。
それから特に話すこともなく、僕らは帰った。
卓也には、出来るだけ早く実父にあって欲しいが多分、今はそれどころじゃない。いち早く、遥斗の殺しを止めなければ。
とりあえずは明日、遥斗と話してみるしかない。既に友人だ。顔が別人でも、遥斗だと思えば難なく話せる。
起きたら元の世界に戻ってないか、と願ったが、世界は変わらなかった。
少し早めに学校に着き、卓也と作戦会議をする。
「どうする?もし遥斗の記憶が残ってるなら、俺たちは今日死ぬかもしれない。まぁ、どっちにせよ死ぬ運命なんだろうな。状況が違くてもね」卓也は、真剣な眼差しを僕に向けながら言った。
「うん、そんなのは分かってるけどさ、とりあえず、卓也は実父の所に早く行けよ」
「分かった。じゃあ、遥斗の件に関しては、僕らは記憶が残ってない体で、俺が話しかけるわ」
「分かった」話が終わった後、僕らは教室に戻り、遥斗が来るのを待った。
「皆さん、おはようございます。1限目のLHRは、一人一人の自己紹介を簡単にしてもらいます。名前、趣味、その他言いたいことがあったら自由に言ってもらって構いません。それじゃ、有田さんから順番にお願いします」それから自己紹介が始まる。
僕はまだ、遥斗の顔をちゃんと見てなかった。
「次に天沢さん。お願いします」担任がそう言うと、遥斗であろう人は教壇に立った。
「初めまして、天沢遥斗と言います。趣味は漫画を描くことです。三年間よろしくお願いします」顔は遥斗に似ている。声は同じで、僕らの方を見ていた。
記憶があるかもしれない。
僕はこの時間が終わった後、卓也とともに遥斗の元へ駆けつけた。
「初めまして。俺卓也って言うんだけどさ、漫画見せてくれない?」あまりに唐突で、遥斗は少し困惑していたが、卓也の目を見てノートを開いた。
「はい、まだまだ三流だけど、いつかは世界中で人気になるから。それまで覚えておいて」遥斗はそう言って、教室を出た。
「おい、あれ記憶残ってると思う?台詞が同じだったかは覚えてないけど」
「うん、とりあえずこれであいつから話すと思うから、様子見だな」
翌日の朝、早速遥斗から僕らに話しかけてきた。
「ねー、僕さ漫画を描く時に大事にしてることがあるんだけど、それがリアリティとオリジナリティなんだよね。僕は結構暴力的な表現が多いからさ、自分で2階から降りてみたり、交通事故にわざと遭ってみたり、その時の痛みとか、怪我の具合を描くんだけど、結構辛いんだよね」なんか、自慢しているような感じだったが、この性格、遥斗と同一していた。
だが、ここで分かった。遥斗は記憶が残っていない。詳しい理由はないが、この勘は確実だろう。
「なるほどね。でも、あんまりリアリティを求めすぎるなよ。いつか死ぬぞ」僕は、以前言ったであろうことを繰り返して言った。
「遥斗、今度家行って良い?」卓也が遥斗に言った。
「うん、もちろん」遥斗は、前と同じように、笑顔で言った。
まだ、この時までは人間だったのかもしれない。一体、いつからあの化け物と化したのか、僕にはわからない。
これから遥斗を観察してみて、少しずつ変化していく姿を調べていくとしよう。
電車を降りて、自転車を押しながら卓也と話した。
「卓也は遥斗の記憶残ってると思う?」
「いや、残ってないと思う」卓也は全て理解しているような顔で言った。
「だよな。まぁ、これからじっくり観察していって僕らはどうしたら良いのか考えよう」
「そうだな」この会話が終わった頃には、家に着いていた。
明後日は土曜日。多分土日のどちらかで卓也は遥斗の家に行くだろう。
ここで卓也の実父に会ってほしいが、運命は変わらない。前と同じく十月に判明するかもしれない。
土曜日、卓也からラインが送られてきた。
神谷:お前も遥斗の家行ったら良いじゃん。
佐野:行くつもりだよ。
僕らの家も変わってない。遥斗の家も変わっていないはずだ。
一三時、遥斗の家のチャイムを鳴らす。
「入って良いよ」スピーカーからそう声が聞こえ、僕らは家に入る。
遥斗が部屋まで案内してくれたが、正直、部屋などわかっている。家の構造も、地下室があることも。
「僕さ、いつもここで漫画描いてるんだけど、良い案が思いつかないんだよね。なんか良い案ないかな。最近、全くネタが思いつかなくてね」この台詞、家で言ったか?学校の食堂で言っていた気がする。
「え?デスゲームとかは?」卓也は前と同じように答えた。卓也も異変には気づいているだろう。
「んー、佐野は小説を書いてるんだろ?ネタ余ってないかな?」僕は、前何もいえなかったことを後悔した。しかも、あそこでデスゲームで決定してなければ、あんなことにはならなかったはず。
「んー、輪廻転生とかは?特殊能力的な感じで姫を助ける的な」遥斗は少し顔を顰めた後「デスゲームにするわ」と言って、漫画を描き始めた。
「ちょっと待て、あまりリアル過ぎたら読まれづらくなるよ。遥斗なら面白いと思うかもしれないけど、世間一般的に見たら、結構気持ち悪くなる人も多いと思うよ」僕は率直に言った。
「んー、それはわかってるだけどさ、僕はこのスタイルで書いていきたいんだよね。次の新人賞もとりあえずは神谷のデスゲームを題材にして書こうと思ってる。これでダメだったら、佐野が言ってくれた輪廻転生で描いてみるから」遥斗はそう言うと、再度漫画を描き始めた。
「ただいまー」玄関から声が聞こえた。
「え?遥斗のお父さん?」卓也が遥斗に問う。
「うん」遥斗は漫画を描きながら、それだけ言った。
僕は卓也の前で、玄関がある方向に向かって指を差した。卓也は「お父さんに挨拶してくるわ」とだけ言って、部屋を出た。
僕も着いていく。
「お父さん?」まだ靴を脱いでいる遥斗の父に向かって卓也が話しかける。
「は?」遥斗の父は少し困惑しながら、卓也の方を向く。
「えーっと、俺神谷卓也です。多分、あなたの息子です」卓也が真実を叩きつけるような声で言う。
後ろから足音がする。遥斗が追いかけてきた。
「これ、どう言う状況?」遥斗は僕の耳元で話す。
「黙って見とけ」僕はそう言って、卓也と実父の会話を聞く。
「いやいや、知ってるよそんなこと」僕は困惑する。卓也は何かを察したのか、実父を外へ押し出す。
「ちょっと待っておいて」僕はそう言って、靴を履かずに玄関から外に出た。
「父さん、今何が起こってるか、分かる?」卓也は父に聞く。
「いや、何もわからない。でも、仕事仲間の顔が全部変わってたんだ。疲れてるのかと思って、無視してたけど」卓也の父は、朝四時に出勤する。家族誰の顔も見ずに仕事場へ向かう。残業続きで、家族と触れ合う時間もなく、何も気づかなかったらしい。
「それだよ!それ!」卓也は近所迷惑になるくらい大きい声で言った。
「えっと、僕から説明させていただきます。多分ですけど、僕らは転生、もしくは死後の世界にいます」僕はここまで説明すると、卓也の父の顔の上に疑問符が浮き上がる。
「原因はわかりません。とりあえず、状況はマズいです。スマホのカレンダーを開いて見てください」僕はそう言うと、卓也の父は、スマホを取り出し、操作をする。
「え?二一二一年?」思わず声に出てしまったのだろう。かなり驚いてる反応だった。
「一旦これは置いていただいて、遥斗が連続殺人を犯したのは覚えていますか?」
「は?」卓也の父はそう言うと、フラッシュバックしたようだった。
「はぁ、はぁ」卓也の父はキツそうに息を切らしていたが、直後に話し出す。
「なぁ、早く遥斗を救わないと、また俺らは地獄を見るかもしれない。早く捕まえよう」
「僕らも考えたのですが、遥斗はまだ犯行を犯していません。確か、最初の被害は七月の後半でした。あと一ヶ月くらいあります。それまでに止められたらいいんですけど」卓也の父は納得したような様子で家に戻った。
卓也は、前と同じように今住んでいる家を出て、遥斗とともに探すらしい。
新人賞の発表の日、僕はいつも通りに学校に行った。
「ねー、この前応募した作品、受賞したよ」これもまた、軽く言ってきた。あの時と同じように。
これで漫画家デビューされたら、すぐに化け物になる。僕らがいち早く遥斗を捕まえないと、被害者が増え続ける。
最初の被害は、夏休みに入る直前だったっけな。
もし、これで自殺のニュースがあったら、確実に遥斗の仕業だろう。その日は一日中付き纏ってみるか。
でも、遥斗が僕らにネタを求めた時、場所と時間が違っていた。
運命は変わらない。
そのはずだ。
七月一五日、あのニュースが流れた。
「昨日十六時ごろ、中島川にて、一八歳の高校生、山田 大翔さんが溺死している状態で発見されました。警察は自殺と見ており、遺族は『何が不満でこんなことをしてしまったのか、分からない』と語っています」
日時が違う。何故だ。遥斗の時、卓也の実父の時も違ったのに。
遥斗の記憶は残っているのか?
いや、そんなことはないはず。
一四日、遥斗は何をしていたのか、卓也にLINEで聞いた。
佐野:一四日、遥斗ってどこにいた?
神谷:確か、その日は新人賞の授賞式だった気がする。
佐野:ありがとう。
僕は卓也の家に向かった。
チャイムを鳴らして、返事を聞かずに中へ入った。
「遥斗はいないよ。今新幹線で帰ってきてる」都合がいい。
卓也の父も居るようだし、ゆっくり話すことができる。
「卓也のお父さん、わかっているとは思いますが、遥斗が動き始めました。日時は違いますが、被害者と自殺と思わせたことは変わりません」僕がそう言うと、卓也の父は難しい顔を浮かべた。
「んー、このままだと前と同じだよ」卓也がそう言った。
「最近、遥斗の様子は変わってましたか?」
「いや、特には無いよ。でも、忙しそうだったように俺は見えたな」
そうなると、遥斗の記憶は戻ってないのはほぼ確定だ。遥斗は早めに捕まらせたい。
でも、この調子で前より早いペースだと、僕らの命も長くは持たないだろう。二年になる前に攫われるかもしれない。
警戒はしておくが、いつ動き出すのか、全く見当がつかない。
前は、一回殺して見てから様子を見て二年になる頃に徐々に徐々に殺していた。僕らが攫われたのは、二〇二二年の六月中旬だった。
とりあえずそれまでは警戒しておく。
夏休みに入り、卓也が僕らに「佐賀へ行かないか?」と誘う。
卓也は遥斗が事故に遭うのかを試しているのだろう。
僕は誘いに乗り、遥斗もまんまと誘いに乗ってきた。
当日、遥斗が事故にあった現場にて、僕らは集合し、集合時間十分前に僕らの前方五〇〇メートル先に遥斗が見えた。
僕らはバレないように変装をし、遥斗が目の前で事故に遭うのかを見ようとした。
思い通り、遥斗はわざとかバレないように自転車を車道に出して、前からくるトラックにぶつかった。
一応、救急車を呼んで、遥斗を運んでもらう。
遥斗の意識が回復し、僕らは遥斗に問いを投げる。
「おい、お前わざと交通事故に遭っただろ。それは金欲しさなどでは無い。漫画のためだ。よりリアリティ溢れる作品を描くために、交通事故に遭った。そうだろ?」僕らは鋭い目線を遥斗に向けて言った。
「うーん、バレたか。最初に言わなければよかったな」遥斗はそう言って、ベットに付いているテーブルを出して、漫画を描き始めた。
「あの絶望した運転手の顔、傑作だったよ」遥斗はそんなことを言いながらスラスラと漫画を描く。
やっぱり運命は変わらない。
一週間に二回は卓也の父と話す。遥斗の様子、異様な行動は見られないか。そして、地下室は二度と使えないように全て埋めた。
だが、僕らはこの時気づいてなかった。また、遥斗に洗脳されかけていることに。
特に変わった出来事はなく、三ヶ月が経ち、あの連鎖が起こる。
それと同時に、文化祭で火事も起こった。完全に忘れていたせいで、防ぐことができなかった。
二日に一回は自殺のニュース。警察は動かず、僕らはいつ攫われるかわからない。
警戒はしていた。
でも、少し考え直している自分がいた。本当にあの遥斗がやったのか?信じられない。卓也もこう思っていた。
そんな時に、僕らは以前同様攫われた。遥斗にハンカチで口を抑えられ、意識を失った。
「早く起きてー」遥斗がスクリーン越しに言ってきた声で僕は起きた。
「またかよ」卓也が小声で呟く。
「この前みたいに逃げるか?」遥斗は家の地下室を使っていない。構造など何も分からない。
「うまくいけばいいけどな。分からないよ。ほんの一ミリの可能性で記憶が残ってるかもしれない。もし残ってるのなら、僕らは一瞬で死ぬだろうね」
遥斗は、以前と同じように僕らに拳銃やナイフなど、殺傷能力の高い武器を渡してきた。
「はい、今配ったやつで殺し合ってよ」遥斗がそう言った直後、僕らは動き出す。
後ろポケットに入ってあるスマホで、親に電話する。親とはスマホ同士でGPS機能を登録している。
「助けて、誘拐されてる」僕は怪しまれないように、それだけ言って電話を切った。
二〇分ほど経ち、警察がゾロゾロと入ってきた。僕らは安全に保護され、遥斗は逮捕された。
ニュースでも大きく取り上げられた。
「一一月二六日一六時ごろ、長崎県佐世保市Tアパート周辺で、行方不明だった天山高校一年生の佐野傑流さんと、神谷卓也さんが、同級生である天沢遥斗容疑者が個人で所持している倉庫にて、発見されました。外傷はなかったそうです。
天沢容疑者は、『漫画のネタになるかと思って、皆に認知して貰えるような漫画を描けると思って、やってしまった。あの二人以外にも、何十人と誘拐して殺してきた。長崎県内で多発していた、自殺と思われたものも、全部僕がやったんだ。だからあの漫画が描けたんだ。』と、語っており、一ヶ月以内には、裁判が行われる予定です。」前は病院でこのニュースを見た。
今回は、怪我なく逃げることに成功したが、遥斗は既に化け物になっている。もう手遅れだ。
もう一度、入学式の日まで戻れたらいいのに。僕はそう思った。
遥斗は元からあんな化け物では無いと、僕は思っていた。だからこそ、遥斗を救いたかった。化け物になる前に。
でも、そんなこともう不可能だと言うことなど、分かりきっていた。
もう一回、遥斗が死んでくれれば、戻るかもしれない。遥斗の死刑の日時は、前と変わらなかった。
もう一回福岡留置所に行って、福島さんに交渉をする。以前と同じように、卓也は半ば強引にお願いをした。
「なぁ、俺が死ななきゃ生まれ変わらないって可能性ない?」卓也が少し汗を流して僕に言った。
「いや、そんなことはないと思う。これは僕の予想だけど、遥斗が死んだ時、生まれ変わると思うんだ」僕は卓也を少し落ち着かせるような声でそう言った。
僕らはずっと顔を合わせてなかった遥斗の面会へ行った。
「調子はどう?」卓也が聞く。
「うんー、だいぶ元気にやってるよ」遥斗はこう答えた。
もう煽るような声ではない。
でも、僕は遥斗がその言葉を口にした時の顔を見ていた。少し余裕が浮かび上がっていた。
もう少しで脱獄するだろう。
脱獄する分には別にどうでもいい。だが、その後僕ら以外にも他の人間が被害に遭うのが良くない。
つまりは、遥斗が脱獄するのと同時にあの場所へ行かなきゃいけない。結局遥斗は、どうやって脱獄したのかを死ぬまで教えてくれなかった。
止め方が分からない。
毎日面会に行くか?どうにかして僕らが監視するか?どんな案が出ても問題視される部分が現れる。
どうしたことか。
とりあえずは、毎日遥斗に会いに行くとしよう。そうしないことには何も変わらない。
そして、八月一九日の朝、ネットニュースであこ報道を発見する。
「十代にして、死刑宣告され、福岡留置所にて収監されていた天沢遥斗脱獄。
八月一八日、午後一三時ごろ、見回りに行った看守が、焦った表情で見回りから帰ってきた。天沢死刑囚が居ないと上部に連絡をし、現在も警察が捜索している」
しかし、いつ脱獄した?そんな時間、無かったはずだ。
死刑宣告されてたらそんなに警備が甘くなるのか?僕はそんなこと信じられなかった。
僕はニュースを確認した直後、卓也にLINEをする。
佐野:卓也、今すぐ駅集合な。
神谷:分かった。
卓也もちゃんと確認してくれていたらしい。
もう朝八時、とっくに通勤ラッシュは過ぎている。僕らは席に座って、福岡に着くまで遥斗がどうやって脱獄したのかを考えた。
僕は過去の脱獄例をGoogleで調べた。「日本 脱獄例」調べた結果、全て遥斗程度の脳で考えることができそうなものはなかった。
味噌汁で手錠を錆びさせたり、針金で檻の合鍵を作ったり、トンネルを作ったりなど、その考え方は遥斗の脳で考えることは出来ないと思った。
となったら、どうやって脱獄したのか、また考えなきゃいけない。面倒臭い。
そもそも檻の中がどんな構造なのか、わからない。考えたところで無駄。僕らが過去に戻ったのも理由がわからないし、もう頭がどうかしてしまいそうだ。
もう諦めて遥斗に殺されようと思った。僕と卓也の、『生』の糸は今切れた。
早く楽になりたいと思った。
せっかく『死』を克服したと思ったのに。
僕はもう諦めていた。生きたところで無駄。だが、運命は変わらない。遥斗に捕まったところで生き残るだろう。
でも、そんな中で、僕は蜘蛛の糸より細い光が見えた。
スマホで福岡留置所の構造を調べれば良いのだと。焦りでこんなこと思いつきもしなかった。
しかし、調べたところで遥斗はすでに脱獄している。とりあえず卓也と相談して遥斗を捕まえるとしよう。
「卓也、早く遥斗を捕まえなきゃ、僕ら以外にも被害者が出る」
「分かった」時刻は午前八時半、福岡まであと一五分。
遥斗をどう捕まえようか、僕は必死に脳を働かせた。考えて、考え直してを繰り返して、ある一つの事実に気づいた。遥斗の映画公開になっていない。そもそも物語も終わってない。
つまり、遥斗が福岡にいる可能性は限りなく低い。どうしたことか。計算外だった。
「ねー、遥斗は福岡にいないかもしれない」僕は卓也へ素直にそう言った。
「なんで?運命は変わらないはずだ」
「遥斗は漫画と同じ状況にするために福岡を選んだ。だけど、漫画が描き終わる前に遥斗は捕まった」
「なるほどね。どうしようか」卓也は困ったような顔を見せた。
僕は卓也に遥斗を殺したいのかを聞いてみたかった。でも、ここで遥斗が死刑執行される話はしたく無かった。
今からそいつに会うというのに。
「なぁ、卓也は遥斗の死刑執行するの怖い?」僕は勇気を振り絞って卓也に聞いた。
「んー、緊張はするよ。でも、俺らがやらなきゃ、ダメな気がするんだ」卓也は真剣な眼差しでそう答えた。前も同じだったのだろうか。
僕は遥斗を憎く思ってるわけじゃない。だが、人としてやってはいけないことを平然とやっている遥斗が僕は許せない。
でも、あいつに殺されるのが僕の本望だ。
多分、卓也もそうだし、遥斗も僕らに殺されるのが本望だろうな。本人の気持ちはわからないけど、なんとなくわかる気がする。
僕らは遥斗を殺さなきゃいけない。
そういう運命だと。
「次は、福岡です」そうアナウンスが聞こえて、僕らは席を立つ。遥斗を捕まえるための作戦会議は何もしてなかったが、なんとかなるだろう。
まず最初に向かったのは、前僕らが捕まったところに向かった。
「いたら良いな」卓也がそう呟く。僕は「そうだな」と返した。
「え?あれ遥斗じゃ無いのか?」驚いた。
電柱に、遥斗に似た誰かがもたれかかってる。体格、顔が遥斗だった。
静かに捕まえなきゃ、またあの反社に捕まる。あいつらが出てきたら数的に遥斗を捕まえるのは不可能だろう。
「お前ら遅すぎな。もう少し早く来いよ」遥斗はあの時と同じ声のトーンでそう言った。気づかれてしまった。
卓也が後ろからまわり込もうとしているのはバレていない。
「お前、どうやって逃げた?」僕は遥斗に前この場で会った時に聞いた台詞を使いまわした。
「それは言えないな。だって、もし君たちが捕まった時にこの作戦を使われたら困るんだもん」相変わらず、口調は変わらない。本当にムカつく。
あの時と同じ気持ちだ。
あの顔面に拳の一つでも入れてやりたい。
でも、今はそれを堪える。遥斗を捕まえないといけない。
僕は話しながら遥斗に近づく。まだ卓也はバレていない。
この調子だったら、遥斗は捕まえられそうだ。
「ってか、なんでここに僕がいるって分かったの?卓也にしか漫画のラストは言ってなかったはずだけど。それに、肝心の卓也もいないし。どういうことだ?」遥斗は僕に鋭い視線を向ける。
「卓也に聞いた」僕は純度百パーセントの嘘をつき、遥斗に向かって殺意を向けながら走り出す。
遥斗の顔には余裕の表情が浮かび上がっていた。
建物の影から遥斗の仲間が飛び出し、僕を押し倒す。
だが、僕は倒される直前に見えていた。卓也が後ろから遥斗に向かって一直線に走っている。運動神経が良い卓也は一瞬で遥斗の死角を取った。
よし、今だ。
僕は押さえつけてくる反社に、唯一動かせた手首だけを使って、催涙スプレーを振りかける。反社は僕を離し、目を擦る。
その瞬間、僕らは挟み撃ちの形で遥斗を押さえる。
「おい、何してくれてんだ」遥斗はそう言って、足をジタバタさせる。
「お前を地獄に突き落とす」多分、あの時僕らと一緒に拉致されてたのは僕らが倉庫に向かっている時に、テキトーに選んだ人だろう。
なんせ、あいつはそんなことにこだわる性格じゃ無い。そこら辺の人間で良い。考えて選んだら面白く無いだろうからな。
僕らは勝ったと思った。
だが、僕の対応が薄かった。反社が怒声を上げて、僕らを再度襲いかかる。
三対二だった。しかも相手は大人。勝てるはずがなかった。
簡単に僕らは捕まった。口元にハンカチを押さえつけて、僕は意識を失った。
またここだ。
僕は熱湯をかけられる直前に目が覚め、避けることができた。なかなかに運がいい。
まぁ、捕まってしまったことに変わりはない。とりあえず、すでに遥斗に洗脳されているやつを殺す。
後は前と同じように逃げる。
運命は変わらない。つまり、僕らは未来がわかるも同然。
頭上からナイフや拳銃が落ちてくる。
「前と同じ感じでよろしく」そう言って、卓也は遥斗が常時映っているスクリーンに、拳銃で穴を開け、フリークライミングのように、軽々と、五メートルはある置物の上に乗っかる。僕はその間に遥斗に洗脳されている人達を撃ち殺す。
卓也が、僕含め、生き残っている三人に向かって「俺が今やったみたいに上に登ってきてください」と言った。
登れそうにない、女や中年の男の下半身を押し、強引に上に登らせ、僕が最後に登ろうとしたところを銃で、僕の足を撃った。
振り返ると、片手に手榴弾を持った遥斗が不気味な笑みを浮かべながら立っていた。力が入らなくなり、僕は三メートルほどの高さから落ちた。
「ごめん、僕高所恐怖症で上には登れないんだよね。もういいよ。君たちは逃がしてあげる。でも佐野、お前だけはここで確実に殺す」そう言った遥斗の顔に鉛玉をぶち込みたくなった。
僕はもう、あんな奴に洗脳なんかされない。その気持ちで僕は生きていた。
「うるせーよ」そして、五メートルの高さから、卓也は降りてきた。
「俺は佐野と約束したんだ。守れるものがあるなら、命ごとき欲しくないって」そう言うと卓也は僕に合図を送る。
上を見上げると、誰もいない。無事に上まで登っていた人達は外へ出ていっていたらしい。
「いや、今からこれを投げて僕が出て行ってもいいんだぞ?そんな死にたいなら、今すぐにでもやってあげてもいいよ」遥斗は余裕そうな表情を見せながらそう言った。
「佐野、頼んだよ」卓也が全速力で遥斗に向かって走り、僕の横を通り過ぎる瞬間に早口で言った。
「お前調子乗り上がって」遥斗はそう言って、手榴弾のピンを抜き、卓也に投げた。
だが、卓也はそれをキャッチし、誰もいない場所に向かって豪速球で投げ、爆発による被害は抑えたが、この倉庫はそんなに広くない。爆風によって、僕ら三人は吹き飛ばされた。
卓也はすぐに立ち上がり、遥斗に馬乗りになり、首を絞め、失神させた。僕は一瞬てま卓也の元へ駆けつけ、遥斗のポケットに入っていたスマホで警察を呼ぶ。
十五分後、警察が僕らが逃げ出そうとした出口から、七人ほどで一斉に入ってきた。
「なんとかなったな」卓也が安堵した声で僕に言った。
卓也も相当緊張していたらしい。失敗したら死んでもおかしくないからだ。
「そうだな」僕もそう返して、電車に乗った。
遥斗が逮捕されて、死刑執行の日時も変更されず、僕らはその日が来るのをただひたすらに待った。
何もすることがない。暇だなー、と思った。
でも、僕は運命を変えるためにしなきゃいけないことがある。卓也の恋人、西村を助けなきゃいけない。
卓也が西村に出会うまで後四ヶ月ほどだろう。早く年を越したい。
僕らはただひたすら、その時が来るまで待ち続けるしかなかった。
年が明け、二一二二年元旦、僕はあの山に登った。この世界になってから、ここにきてなかったな。やっぱりここは心が落ち着く。
小説は書かなかった。というか、書けなかった。
前みたいに僕らの身に起こった話を書こう思ったのだが、手が進まない。何故だ。遥斗に頼まれてないからか?
僕は山を降り、その足で卓也の家に向かい、卓也と一緒に遥斗に会うことにした。
「どうしたんだよ急に」
「いや、なんとなくね。会ってなかったし」
「そうだな」卓也はそう言って、スマホを取り出し、いじり始めた。
電車に揺られて三〇分。ホームに降り、呼んでいたタクシーに乗る。
留置所に着くまで、僕らは一言たりとも喋らなかった。
「本日はどのようなご用件でおいでなさいましたか?」
「天沢遥斗の面会に来ました」僕は質問に対してこう返した。
一五分ほど待ち、僕らは呼び出された。
「久しぶりだな」卓也がそう言った声色は少し怒りがこもっていた。
「散々俺らを傷つけたくせに謝りもせずによ」確実にキレている。
「ごめん。でも」
「でもじゃねーよ」僕も卓也に合わせて声のトーンを少し下げてそう言った。
「来た意味なかったわ。佐野、帰ろうぜ」卓也が呆れた声で僕に言った。
「ちょっと待てよ。佐野にお願いがあるんだ。僕が死んだら今までの話で小説を書いてくれないか?自分で言うのも何だけどさ、こんな人生そこら辺の凡人でもそんななだろ。お願い。どうかこんなクソみたいな世界を世界中に知らしめてくれ」またお願いされた。
こんな死んで当然の人間の願い事なんか、僕は聞く耳を持たなかったが、最後の願いだし、小説を書けなかった僕を最後に救ってくれたのも遥斗だ。願いの一つくらい叶えてやってもバチは当たらないだろう。
それ以降、僕らが死刑執行まで遥斗に会うことはなく、夏休みよりも暇な日々を過ごした。
二一二二年四月八日の朝、西村が来ることで僕らはかなり緊張していた。
「俺、華奈と付き合うのやめるわ。あいつ巻き込みたくない。俺の守りたい人だから」卓也が僕にそう言った
「はい、静かに席に座ってください。えー、今日は朝の学びの時間がありません。なんと、うちのクラスに転校生が来ます。」分かりきっている。誰が来るのか、この後何が起こるのかも。
廊下に向かって指を差し、教室に入れ的なジェスチャーをする。
「初めまして。西村華奈と言います。富山から来ました。私、ある事故に遭って、左目が見えないんです。いろいろ迷惑かけると思いますが、この二年間、どうかよろしくお願いします。」
「はい、お願いします。じゃあ、あの人の後ろの席に座って。」そう言って、卓也を指差す。
ここまでは僕だって全てわかっていた。
だが、朝のHRが終わり、予想外のことが起こる。
「卓也くん、私何が起こっているのかわからない。どうしたら良いの?また死ななきゃいけない?」西村が卓也に抱きつくような声で助けを求める。
「え?え?何が起こってる?ちょっと佐野、来てくれよ」卓也がトイレに渡り廊下に向かおうとする僕にそう言った。
「えーっとー、西村だよね?記憶があるの?」僕は西村に質問を投げる。
「うん、でもあまり覚えてない。何が起こってるのか分からないよ。助けてほしい」
「とりあえず、遥斗に会いに行くな。西村は洗脳されて自殺に追い込まれていたんだよ。ただの興味本位のつもりだったのかもしれないけど、それが運命を決めたんだ」僕は今までに起こったことを全て話した。
「そしてこの状況、非常にまずい。卓也が西村と会う運命じゃなければ、二人は死なないんだけど、運命は変わらない。でも、僕らは二人でずっと過ごしてきて分かったことがある。自分だけの運命なら、気持ち次第で変えることができる。つまり、君たちは死なないで済む」僕は二人を安心させるようなひと言を最後に言った。
「ありがとう。とりあえず天沢さんに会わなければ良いのね」西村は安堵した声で言った。
「あんな奴にさんなんかつけるな。どうせ殺しにくる運命なのだから」卓也は西村に向かって少し強くそう言う。
まぁ、これで二人が死ぬことはないだろう。
それから、僕らは気持ちを落ち着かせるために遊びまくった。三人で遥斗のことを忘れられるように。
「なぁ、これからどうする?俺ら、遥斗を殺さなきゃいけないんだよな?その事実は消えないんだよな?」卓也が涙目になりながら、僕に訴えかけるように言った。
「そうだな。まぁ、それまでは楽しもうよ。遥斗こことなんか忘れて」遥斗のことを忘れようとするための旅だったのに、こんな話をしてちゃ、意味がなくなってしまう。
学校に行く日はちゃんと行って、休みの日は少し遊ぶ。これの繰り返し。
やっと遥斗のことを忘れかけていた時のこと、福島さんから連絡が来た。
「天沢の死刑は二一二四年の二月下旬に行われる予定です。詳しい日時が決定したら再度連絡します」せっかく気分も乗っていたのに、これじゃ台無しだ。
まぁ良い。思い出した時のダメージを考えたら今思い出したほうがマシだろうから。
それからは何も覚えていない。楽しんだのだろうが、全て忘れてしまった。いきなり年を迎えた。時間が飛ばされたのかと思うくらい、自然にその日を迎えた。
二一二四年二月二九日。
家を出て駅に行く道のりでさえも、ただの道路がすごく長く感じた。大雪の中、駅に入り、切符を通してホームへ入った。
今からすることが、現実かどうかもわからなかった。
僕と卓也は今向かっている駅に着くまで、必要最低限以上の会話はせず、約30分間ほど、電車内での静寂を過ごした。
「次は、武雄温泉駅です。」
「よし、乗り換えるか。」
その後も僕ら二人は、口を開かないまま新幹線に乗った。
その後は、一時間ほど新幹線に揺られる。
なんだか、自分が今なにをしたくて、何をしたくないのかが分からなくなってきた。
「次は、博多駅です。」ホームに降りて、武雄温泉駅のホームで呼んでいたタクシーが、駐車場にわかりやすく止まっていた。
「お客さん、本日はどちらまで?」おそらく還暦を迎えているであろう男性ドライバーが僕らに、どこか懐かしい声で聞いた。
「えっとー、福岡留置所までお願いします。」どちらとも口に出したくはなかった。このドライバーに何を思われるかがわからないからだ。
「福岡留置所ですね。」そう言いながら、車の中にあるカーナビのモニターで福岡留置所と調べていた。
「シートベルトの方よろしくお願いします。」そう発した直後に、タクシーは動いていた。
本当は、福岡に知人がいれば、車で行きたかったのだが、あいにく、そんな都合よく世界は成り立ってない。
「ところでお客さん、なんで本日はこんな朝早く、留置所へ?」
「留置所の近くにあるご飯屋さんに行きたくて。」僕は前と同じ嘘で乗り越えた。
「あー、そうなんですね。でも、今日は平日ですけど、学校は大丈夫なんでしょうかね?私から見たら、高校生に見えますので。」
「今日、僕らの学校、休みになったんですよ。ほら、昨日全国的に大雪になったでしょう?校長が今日は学校を閉鎖するって言ったんですよ。」
「へー、そうなんですね。」そんな、僕らが今から何をするか分かるかもしれない、ぎりぎりの質問攻めをしてくるドライバーと30分間話していてる途中、
「はい、着きましたよ。えー、ご料金の方が、千と九十円ですね。」
「はい。」そう言って僕の財布からピッタリ千九十円を払って、ありがとうございましたの一言も言わずに僕らはタクシーを降り、目の前にある留置所へ入っていった。
「本日はどんな御用件で?」受付の人が、僕らに聞いた。なんか今日はやけに質問が多い。
「あのー、福岡警視庁の福島さんに会いにきたんですけど」
「あー、かしこまりました。少々お待ちくださいませ。」それから五分ほど待っただろうか。その時間は永遠に感じられた。
「佐野くんと神谷くんで合ってるかな?」その見た目とは裏腹に、声はすごく優しそうで、いつでも寄り添ってくれそうな口調だった。
「はい、そうです。」
時刻は九時、僕と卓也は長い廊下を歩いたその先に天沢の姿があった。
「とうとう時間がやってきたな。」その声にはまるで、恐怖心がなかった。今から『死』の感覚を味わうと言うのに。
「そんじゃ、卓也、佐野、よろしくね。今までありがとう。楽しかったよ。」その声を聞いた瞬間、僕の肩から感触がなくなっていく。今なら、右腕を切断されても気づかないくらい。
そして、僕はボタンを押した。二回目なのに、この感覚は人生で初めて経験したような感じだった。
何故か、自分が押した感覚はないのに、押した瞬間に全てが戻るように、少し重たく、数年使っていなかったのだろうか、すごく冷たかった。
指先から手首へ、手首から肘へ、肘から肩へ、肩から因数分解されたかのように、全身へ伝わるこの感覚はなんとも言えなかった。
僕ら以外、同じ空間にいる人間はガラス越しに見える警察だけだ。その状況下、卓也が抑えて、僕と卓也だけが泣かずに、死刑を執行した。
遥斗の死刑が執行された。
今回は失神せずに済んだ。
一五分後、医師が遥斗の死を確認し、その場を離れた。遥斗の葬式は行われたが、僕らは行かなかった。
「これから俺ら三人でやっていけると思う?」卓也が唐突に聞いてきた。
「うん、やってやるよ。僕も頑張って小説も書くから。二人も頑張って生きてくれ。僕からのお願いだ」これは心の底からの願いだった。
帰ったら僕らが主人公の小説を書こう。遥斗にも頼まれた小説を。
翌日から張り切って小説を書いた。驚くほど筆が進む。
応募したらまた受賞したりしないかな。出来ることなら前書いた作品を応募したいところだが、今書くからこそ意味があるのではないか、と僕は思った。
一ヶ月で書き終えた。自分でも驚いた。
前までは承認欲求のためだけに小説を書いていた。でも、僕は再度知らされた。小説は、誰かに読まれるためにあるのだと。大事なのはリアリティなんかじゃない。
この瞬間は忘れられない。小説の存在意義を知るために今があるのだと、僕はそう思う。
小説は人を変えるためにあるのだと、僕は今この瞬間感じた。これと同じで遥斗も人を変えるために、漫画を描いていたのだと。
応募したのは四月、結果は十月、僕は結果発表までの時間が待ち遠しかった。
その時が来るまでは、話が思いつかず、小説なんかちっとも書けなかったが、こんなにも楽しい待ち時間は人生で初めて体験した。卓也にも読ませてみた。
「そうそう、俺が読みたかった小説ってこれなんだよ。まさにこれだ」その顔は、あの時と同じ笑顔だった。
そして十月になり、自分の家で、ドキドキしながらサイトを開く。受賞者を、下から見てみる。
銀賞 土井 拓人 『この海が枯れるまで』
金賞 中野 杏奈 『あなたの笑顔』
大賞 佐野 傑流 『百回目のサヨナラ』
僕の名前が、あった。何度見ても信じられず、ページを再読み込みする。
運命は変わらない。
小説本来の有り様をやっと理解したのにも関わらず、受賞してほしくなかった自分もいた。でも、この小説が世に出回るとなると、嬉しかった。
僕は急いで支度して、卓也の家まで走った。
家に着き、チャイムを鳴らして中に入る。卓也の部屋まで一直線で走って行った。
「おい、結果見たか?」息が切れていたが、声を出せるだけ出して、卓也に言った。
「うん、見たよ。運命は変わらない。だけど、これはお前のやる気次第で変わると思うんだ」卓也はやけに落ち着いていた。
一週間後、東京へ出た。もちろん卓也と西村も連れて、人生三度目の東京に行った。
メールで送られた、会場までタクシーで向かい、「スタッフ」と書かれているネックストラップを掛けてある人に、案内してもらった。
「君、名前は?受賞されてる方だよね?」あの人だ。あの日僕らを救ってくれた人だ。
「佐野傑流です」
「あー、あの大賞の方ね。では、お隣にいらっしゃる人は?」
「僕の相方です」卓也と西村のことを何て言おうと迷ったが、やっぱりこの二人、そして遥斗のことは相方としか言いようがなかった。
「申し訳ないんですけど、中に入れるのは関係者のみでして。三人では入れないんですよ」
「いや、卓也と西村は僕の関係者なので、どうかお願いです。スタッフ側でも良いので、いさせてください」
「そんなに言うんだったら、良いよ。あまりバレないように、これ付けときなよ」そう言って、自分がつけているネックストラップを卓也に渡し、胸ポケットに入ってあるネックストラップを西村に渡した。
「すみません。ありがとうございます」僕らはスタッフに礼を言った。
「俺から他の人には言っとくから」それだけ言って、スタッフは受賞者控え室に入って行った。
僕らは、授賞式がある部屋に入り、自分の名前が書かれている椅子に腰をかけ、五分待ったら、他の受賞者や、スタッフ、今回審査した審査員が入ってきた。
それからは、各作品の好評だったり、賞状の贈呈があり、最後に受賞者一人一人の感想を言わなければいけなかった。銀賞から言っていき、最後に僕の番が回ってきた。
「まず、審査員の方々、今回の私の受賞に携わっていただきありがとうございました。そして、私がこの作品を書いたきっかけとしましては、亡くなった友人が、今までの人生を書いてくれ、と頼まれたからです。その友人は、皆さんご存知であると思われる、天沢遥斗です」僕がその名を出したら、眠りかけてたスタッフや他の受賞者も一斉に振り向いた。
だが、僕はまだまだ続ける。
「あいつは、人として、やってはいけないことを犯してしまいました。だけど、僕はそんなあいつと関わってても、幸せでした。本当の幸福はここにあると、初めて思いました。そして、書いていくに連れて、気づいたことがあります。それは、小説の存在意義です。小説は、その作品を書いた人が有名になるための道具ではない。小説は、人を変えるためにある。僕はそう思います」僕はそう言った後、審査員の顔を見てみると、涙してた。
卓也と西村の方を向いても、泣いていた。
僕が話終わった後、授賞式は終了し、僕らはさっき卓也達を会場に入れてくれたスタッフに挨拶をして、家まで帰ろうとしたが、一人の審査員に止められた。
「君、来年で二十歳だろ?すごいな。君はうちの会社で今後小説家として活動していくけど、今日言ってくれた話を忘れないで小説を書いてくれ」そう言われ、僕は頷いた。
僕が小説で大賞を取ったことなんかどうでも良い。卓也と西村が生きててくれれば僕はそれで良いんだ。
遥斗が死んで八ヶ月が経ったある日、卓也から連絡があった。
神谷:華奈、生きてるよ。ありがとう。
佐野:なら良かった。
人を救うのはやっぱ気持ちがいい。遥斗に洗脳されてたから気づかなかったが、人間らしい事でもしないと、頭がおかしくなりそうだな。
僕らはその日、福岡のホテルに泊まり、二〇時に寝た。起きたら自分の部屋にいた。何故だ?夢なのかもしれない。
もしかしたら現実に戻っているかもしれない。今までのは全部夢だったんだ。遥斗が死刑になったのも、何故か百年後の世界にいたのも、全部僕の妄想の中での出来事だったのだ。
そう思わざるを得なかった。この精神状況でネガティブなことを考えられる余裕なんてなかった。にしても、随分と長い夢だったな。
僕はベットから起き上がり、スマホでカレンダーを開く。もし現実世界に戻っていた時の日時は調べなきゃいけない。卓也と西村が死んだ後の世界かもしれないから。
右上に書いてある数字を見て、僕は驚愕した。
二二二一年四月八日。まただ。戻っている。正確には、時間は進んでいるのだが、出来事自体が変わるわけじゃない。
自分の運命は変えられても、遥斗の運命が変わらない限りは遥斗が死ぬ運命は無くならないだろう。
僕は学校の時間など気にせず、卓也の家に向かって自転車を漕いだ。
チャイムも鳴らさずに家に入る。
「卓也、ヤバいって。またなんだよ」僕は早口でそう言った。
「わかってるよ。本当にまずい状況だ。でも、なんとかするしかないんだよ」卓也は諦めている感じではなかったが、冷静だった。
「遥斗を救いたい?」僕は卓也に確認するように聞いた。答えなど分かりきっていたのだが。
「もちろん。遥斗を救いたい気持ちは山々だよ。だけど、どう救えばいいのかわからないんだ」そりゃそうだろう。出来事はわかるとしても、その対処法が思いつかなければ、意味がない。
「とりあえず学校行こう。遥斗に真実は伝えたらいけないよ。ダメな気がする」卓也の勝手な限界なのだろうが、僕もそう思っている。
「僕、制服に着替えてから行く。先に駅行っておいて」僕はそう言って家に戻って支度が終わった後、駅まで自転車を漕いだ。
僕が着いた時、卓也はすでに駅のホームに入っていた。
「今日は遥斗をつけよう。いつあんな風になるか分からないからな」卓也の言う通りだ。
でも、遥斗は僕らと関わり始めてから化け物になりかけていた。入学式早々化け物になるとは限らない。
「うん、そうだな」僕はそう言って、なんでこんな世界に僕らが放り込まれたのかを考えた。
既に二回世界が変わっている。原因をちゃんと調べれば二度とこんなことにはならないはず。
今回の世界はどう生きて行こうか。
どうせ変わるくらいなら一度くらい死んでみたいな。そんなことを思ったりもした。
僕は生きることなんか、簡単なことかと思っていた。でも、人生は山あり谷あり。
そう簡単に幸せになれるはずがない。
『幸せ』の基準は人によって違うのだろうが、僕にとってそれは、幸せな家庭を築くことなんかじゃなく、『生』を感じられる今この瞬間だと僕は思う。
僕は僕の生きたいように生きてみようと思う。他人の言うことなんか、絶対に聞きたくない。
でも、改めて考えてみたら一つ前の人生が一番マシだったかもしれない。あれと一緒の出来事が起こる人生を今回は歩んでいこう。
卓也も僕と同じ気持ちらしく、この時間が一番楽しいらしい。
僕らは今まで生きてきた中で一番の幸福を手に入れた。
僕らの生き方が変わらないなら、運命は変わらない。つまり、今回も犠牲者は少なからず出てしまった。
僕らは関係ない。そう信じながら生きていた。僕が死んでも、卓也と西村が死なないでくれれば,、れで良かった。
「俺たちどう生きるのが正解か分かる?」
「遥斗を助けられるなら、そりゃ助けてやりたいさ。でも、僕らにそんな能力はない。これが答えなんだ」僕は卓也に現実を叩きつけるようにそう言った。
「そうか、そうだよな」
遥斗に関わってメリットはあったが、それ同等いや、それ以上のデメリットがあるのも事実。でも、遥斗に洗脳されていたから、メリットに見させられていたかもしれない。
真実がどっちかはわからない。
ただ、ひとつだけ言えるとすれば、僕らの心は誰にも負けないほどの強さがある。その強さは一般人にはない強さの分類だと、僕は思う。
結局どう生きても変わらないと思い、なんとなく生きて、テキトーに遥斗を殺した。遥斗を殺す時は、いつも新鮮に感じられる。
遥斗が死んだ後に小説を書くときも、あの快感を得たいがために僕はこの世界を楽しんだ。今回は遥斗が殺人鬼にならない世界線で小説を書いてみた。
どうなるかわからなかったが、なんとか僕の作品が大賞に選ばれた。三日後には、次の世界になっていた。
「まただよ。これ、五億年ボタンよりキツいんじゃ無いのか?」
「そうかもな」卓也も僕も、この世界に慣れてきた。
でも、少し飽きたな。少なくとも三年は過ごさなきゃだし、殺されかけてもどうせ生き残る運命なんだ。そしたら少しでも楽しみたい。
なんとなく過ごし、夏休みを迎えたある日、僕は微かな異変を感じていた。
いつになっても第一犠牲者が出ない。何故だ?僕は今までの行動を振り返る。
「なぁ、これどういうことかわかるか?」
「いや、何が起こっているのか俺にもわからない」
一体どういうわけかがわからない。
これ、僕が書いた小説と状況が一致している。そういうことなのか?でも、もしこれがそうなら遥斗は死なずに済むだろう。
僕の予想は正解だったらしい。二四二四年になっても誰一人犠牲者は出ていない。つまり、今までのも全部僕の頭の中で勝手にできていた物語だったのだ。
やっとだ。やっと解明できた。解放される。あの地獄からやっと。
解放はされたものの、やっぱり何か物足りなく感じてしまう。小説を試しに書いてみる。
上手く書けない。何故だ。遥斗にお願いされてないからか?そんなことはどうでもいい。とりあえず遥斗が助かってよかった。
今気になるのは、遥斗が死ななくても、またあの時間に戻るのか、だ。僕は自分を殺す勢いで小説を書いた。
少しは自分で小説を書けるようにならなきゃいけない。僕は新しい物語を考えた。遥斗は殺人を犯すが、死なない。これでもし新しい世界に行けなたら、Win-Winだ。
それで全て解決するならもうどうなってもいい。僕は希望を乗せて、応募をした。
結果は大賞。
起きたら自分の部屋にいる。まだわからない。一応カレンダーで年を確認する。
二〇二一年四月八日、戻っている。全てが戻っている。僕は焦った。その足で卓也の家に向かう。
「なぁ、これどうなってんだ?すべて、夢だったってことなのか?」
「分からない。今どうすればいいか、何をしたらお前を救えるのかを考えてるよ」焦りの声はない。しかし、卓也の額には明らかに汗が滲み出ていた。
「どうするよ。ていうか、もしお前がこの前言ってたことが本当なら、今回が最悪になるんじゃないのか?だって、遥斗は殺しても、殺されないんだろ?なら、一番ダメな展開になるじゃないか。せっかく問題が解決されそうだったのに。」
卓也が少し怒ってしまった。そんな気はさらさらなかった。僕はすぐさま謝る。
「ごめん、まさか今回戻るなんて思わなかったんだよ。」僕は頭を下げるが、卓也は見向きもしない。
「いや、もういいよ。何があろうと、俺は遥斗を殺す。ついてくんじゃねーぞ。そのうちお前も殺してやるからな」
そういうと、卓也はバックを持って家を出て行ってしまった。
僕は追いかけようと家を出たが、見える範囲ではもう、卓也の姿はなかった。いったん自宅に戻り、駅へ向かう。
走って学校へ向かう途中、遥斗の姿が見えた。僕はその後姿が見えると、ブレーキをかけて止まり、ゆっくり歩きだした。
違和感に気づいたのは、遥斗との距離が100メートルを切った時だ。ほぼほぼ等速的に歩いていたはずなのに、どんどん近づいているように見えた。遥斗の姿が大きくなっていく。
遥斗までの距離約2メートル。僕は崩れ落ちた。
死んでいる。
背中から血が流れ落ちている。止まらない。僕は体の正面に回り込み絶句した。ちょうど心臓ととらえた包丁が、遥斗の胸に刺さっていた。救急車を呼ぼうとは思わなかった。
これが運命だと、僕は思った。
ここは田舎だ。人通りは少ない方だ。僕が座っているのを見た男が、大声で叫ぶ。
「救急車だ。救急車を呼んでくれ」死に物狂いだった。
どうせ僕が犯人扱いされるのだろう。なんせ、僕が刺さっている包丁を抜き、遥斗の首を切ろうとしていたのだから。
叫ばれたと同時、僕は一瞬だけ我に返り、包丁を手放した。本当に一瞬だった。彼をまたいで、もう一度包丁を手に持つ。
僕は勝手にこの世を去ろうとした。罪も償わず、僕が死ねば、卓也も幸せになるだろうと思った。
包丁を天に大きく振りかぶり、自分の胸に突き刺そうとした。
「ちょっと待ってください」さっきの男が止めに入った。
僕はもうどうにでもなれと、男を刺してやろうとした。しかし、男の方が圧倒的に力が強い。
僕は諦め、地面にうずくまった。
「人を殺して、自分も死のうなんて、そんな人生甘くないですよ」
僕は伏せていた顔を上げて、初めて男の顔を見る。
これが「奇跡」と呼べたなら。 松清 天 @sora_1226
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。これが「奇跡」と呼べたなら。の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます