投身少女

氷雨ユータ

想いは望郷の如く

屋上から見下ろす風景は存外に目を瞠るモノがあった。技術革新が進み、ビルばかりとなった世界でも、こうして高所の一つにでも上れば、吹き荒ぶ風も気持ち良く感じる。まるでこれから投身自殺をしようという自分を、祝福している様でもあった。

 考えすぎ?

 どうせこれから死ぬのだから、少しくらい感傷に浸っても文句を言わないでほしい。誰が何をどう言おうが、死ぬったら死ぬ。たとえドラマによくいる様な熱血先生が止めに来たって、死ぬものは死ぬ。自殺に至るまでに精神を追い込まれた人間が、容易い説得如きで自殺を止める筈があるまい。こっちだって、簡単に死のうと思って死のうとしている訳じゃないのだ。

 何日も何日も考え抜いて。死ぬのはいけない事だ、生きていればいい事がある、そう信じて耐えて。それでもどうにもならなかったから、こうして屋上の縁に立っているのである。生半可な覚悟を舐めないでほしい。趣味が自殺でもない限り、自殺する際は、これくらいの緊張を持つのが普通なのだ。

「有村君、ひょっとして自殺しちゃうの?」

 背後から背中を押す様に投げられた声。しかし体は前へ倒れず、代わりに後ろへ振り返った。そこに立っていたのはクラスメイトである姫已鏡子ヒメミキョウコ。日本人にしては随分と珍しい赤目が特徴の、少し地味な女子である。

 地味というのは、決して外見的特徴を話している訳ではなく、精神的な話。彼女はいつも教室の角を選んでは読書をするだけの、近寄りがたい存在だ。同じ地味同士面識はあるが、それでもまだまだミステリアスな部分がある事は否めない。鏡子は背後で携帯を弄りながら、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

「何調べてんだ?」

「ん。自殺の止め方」

「ネットに書いてあるか?」

「ふざけた事しか書いてない。ネットって役立たずね」

「そりゃそうだろう」

 自殺の止め方なんて調べている内に、自殺しようとしている人間はとっくの昔に自殺している。そもそもネットで聞いたらいつ答えが返ってくるかも分からないというのに、真面目な答えを期待する方が馬鹿なのだ。話の脈絡的に、どうやら彼女は自殺を止めに来たらしいが、クラスメイトが来たって無駄だ。

 今日、自分は飛び降りる。

 一発で死ねるかは不安だったが、ここは校舎の五階。頭から落ちれば幾ら何でも即死は免れない。微妙に恐ろしくはあったが、その程度の躊躇で思い留まれる程悩みが軽いと思ったら大間違いだ。恐ろしく感じているのも、死ではなく痛み。もしも即死しなかったらと思うと、微妙に足が竦んだりする。

「ま、嘘だけどね。私、今日は一緒に自殺しに来たの」

 …………

 あんぐりと口を開いたまま立ち尽くすこちらをよそに、鏡子が話を続ける。

「有村君、とあるサイトに書き込まなかった? ほら、思い出してみてよ。あの黒い背景が特徴のサイトだよ」

 記憶の片隅にそれはあった。ネットサーフィンをしていて偶然見つけたサイト、出会い系投身サイト、『死が二人を別つまで』。興味本位で飛んでみると、そこには確か、こう書かれてあった。

『当サイトは、お客様の自殺を支援するサイトです。ご要望の日時、時間、場所を書き込みいただければ、直ぐに当サイトの従業員を派遣いたします』

 どうせ釣りサイトだろうと思ってはいたが、この時も大分精神をやられていた自分は、どうにでもなれという勢いで書き込みをした。

 今日、この日、この場所で。自分は自殺をするのだと。

 あれから一週間。絶望の淵に立たされ続けていたせいですっかり忘れていたが、まさか、あのサイトの従業員が彼女だとでも言うのか。話の脈絡ではそうらしいが。

「ひょっとして、『死別』サイトの事か?」

 大正解とばかりに彼女は跳ねて、こちらの手を握ってきた。女性特有の柔肌が直に伝わってきて、ちょっぴり恥ずかしい。

「そうそう! 私ね、あのサイトに従業員として登録してたの。それで、いつか私とぴったりな人と自殺しようかなって思ってたの」

「それが、俺?」

「……本当はね、有村君より前に幾らかサイトから打診が来たんだけど、大体断ったの。あ、一回だけ行ったけど、その際は『死ぬ前にセックスしたい』って人が襲い掛かってきたから、その人には上手い事勝手に落ちてもらったんだけどね」

 おいおい。

 上手い事とは気になる言い方をするが、差し詰め闘牛の要領で落としたのだろう。車は急には止まれない。宙をバックに突進を躱せば、自ずと身体は重力に支配される。自分と同じ年の癖に、実質的な殺人を目の前で告白されてしまったが、意外や意外。心は平静を保っていた。自分がもうすぐ死ぬという境地に居るからだろうか、目の前に実質的な殺人犯が居ても、全然怖くない。不思議な気分である。

「でも、有村君って分かった時に、いいかなって思ったの。だって有村君、優しいじゃん? この前も、女子の下着を盗んだっての、私のせいにされかけたけど、有村君が罪を被ってくれたお蔭で、被害は全部有村君に言ったし」

「あれは……別にそういうつもりじゃ」

 あれは自分に自殺を考える要因を作らせた友人三人に脅迫されて奪っただけで、その時にたまたま疑いが彼女に掛かっていたから自白しただけだ。彼女を守る為にやったつもりは毛頭……無くもないが、それは彼女が本当に全く何にも関係なかったからで。人としては当然では無いだろうか。例え話になるが、一体何処の誰が無関係の人物を裁判で証人として登壇させるのかという話である。

「でも、守ってくれたでしょ。私、あれが嬉しくてね。機会があれば有村君に告白しようかなって思ったんだけど……自殺しちゃうんでしょ? そして、それは誰にも止められない」

「……そうだな」

「だから一緒に死んでもいいかなって思ったの。サイトに依頼もきてたし、これ以上ない好条件でしょ? 押し売りしたら気分も悪いけど、書き込んだのは有村君だし」

 そもそも従業員が来た所で何をするのか分からなかったから、興味本位という面が多くを占めるが、彼女がそう思ってくれるのならもうそれで良い気がする。まさか一緒に自殺をしてくれる人物をマッチングさせるサイトとは思わなかったが。

 出会い系投身サイトとは納得のネーミングである。何故投身なのかは議論の余地があるが。

「……本当に良いのか? 一緒に自殺なんて、お前の人生はどうなってもいいのか?」

「―――私は、どうでもいいよ。どうやら生まれる世界を間違えちゃったみたい。死んで生まれ変わって、またやり直すよ」

「いや、それはいいんだけど。どうして俺と一緒にしてもいいって思ったんだ? 肝心のそれを聞いてない」

「だって私、有村君の事好きだもん。死ぬ時くらい、好きな人と一緒の方が良いでしょ」

 呆れた理由だった。今更手遅れなのだろうが、彼女は一度、小学校に戻って道徳の授業を受け直した方がいいのかもしれない。普通の人間ならば、生ける時を好きな人と一緒に過ごしたいと思う筈だ。死ぬ時でさえも、看取られたいと思う筈だ。それがまさか、一緒に死んだ方が良い等とは。

 これから自殺を敢行しようという自分が言う権利はないが、生命への冒涜である。彼女の恋愛観は、明らかにとち狂っていた。

「有村君はどうなの? 私の事、好き?」

「え…………」

 どうなのだろう。胸が苦しくなった覚えも、食事が喉を通らなくなった覚えもない。けれど、女性では彼女が唯一の友達である。お祭りの時も、プールの時も、気づけばいつも彼女ばかり探していた。教室で少し会話する程度の仲だったかもしれないが、それでも視線は、頻繁に彼女を見据えていた様な気がする。心の底では、もっと近づけたらと思っていたのかもしれない。そして幸運な事にも、今この状況が、精神的にも肉体的にも、最も彼女との距離が近い。

「…………好き、なのかな。分からない。明確に恋ってのは無いと思うけど」

「けど?」

「……文化祭でメイド喫茶をやった時のお前は、凄く。可愛かった。うん」

 言っていて直ぐに分かったが、頬が上気しているらしい。きっと彼女から見れば、耳まで真っ赤になっていてもおかしくは無いだろう。鏡子を見ると、彼女はそれこそ鏡の様に真っ赤になって、硬直していた。湯気が出ても、全くおかしくない表情である。尤も、仮に湯気が出た所で、こちらの表情が曇る事はない。

「そ、そっか! 私、凄く嬉しい! 一緒に死ぬ人と両想いになれるなんて!」

 陽気な足取りで、鏡子がこちらに歩みを合わせる。後もう一歩踏み出せば、お互いの身体は宙へと放り投げられる。軽く息を整え、いよいよ踏み出そうとした時、鏡子が手で制止した。

「何だ?」

「せっかくなら……さ。キスしながら飛ばない? …………恋人みたいに」

 横目に見る彼女の表情は、妙に艶やかに見えた。

「いいけど、俺キスの経験とか無いぞ。下手かもしれないけど、いいのか?」

「それを言ったら私だってないし。それに、ほら。死が二人を別つまでって言うけど、私達は死によって出会い、死によって結ばれるって感じでさ。ロマンチックだと思わない? 普通の夫婦は死んだら他人だけど、私達は死んでから恋人なの。そして夫婦なの。時を経ても枯れない愛、盛者必衰の理から外れた、万物流転の理から外れた愛……すっごく、素敵だと思わないッ?」

 何やら難しい話が挟まれたが、言いたい事は分かる。自分と彼女は『死が二人を別つまで』というサイトで知り合い、こうして今、恋人同士となって身を投げる。或いは夫婦でもいいかもしれないが、とにかくそのまま死ねば、死んでも尚その状態は続く。死すらも引き裂けない様な愛に包まれて、死ぬのだ。

 何だか自分もロマンチックに感じてきて、終いにはすっかり彼女のテンションに毒されたか、返事の代わりに、精一杯のキスを送り付けた。

「ん…………んッ!」

 最中に彼女は持っていた携帯を足元の草むらへと放り投げる。草むらの面積はごく僅かなので、どうか安心して欲しい。ここから落下すれば、その先はコンクリートだ。

―――それじゃ、行こっか?

 視線だけで返された問いに、またも自分は行動で示す事にした。わざとバランスを崩し、宙へ身を放り投げた瞬間、彼女もまた自分の手に引かれてバランスを崩し、宙へと身を投げたのだった。




―――愛してる。




―――私も。




 二人が最後に交わした視線には、きっとそんな意味が込められていた。



































 数日後、二人の遺体が発見され、学校は騒然となった。学校敷地内での自殺という事で校長などは責任を問われ、連日連夜、テレビを騒がす事となった。

「いやあー今日も掃除だけでいいなんて、楽だなあ」

 学校が休みになるという都合の良い事は無かったが、それでも短縮日課が組まれて、男子生徒は幸せだった。今日は自殺現場の傍という事もあって少しやりにくいが、草むらの方を掃除していれば、祟りに遭う事も無いだろう。そう思って、竹箒を片手に草むらへ足を踏み入れると、何やら人工的な感触が足元に伝わった。

「何だこれ?」

 気になって拾い上げる。スマホの様だ。自分が踏んでしまったからか画面が多少割れているが、電池はまだあるようだ。パスワードも掛かっておらず、何とも不用心な携帯である。今のご時世に中々お目に掛かれるものではなく、興味本位から、男子生徒はそれを開いた。

 最初に飛び込んできたのは、どうやら検索エンジンの検索画面。そこには何も書かれていないが、何も調べていない筈が無いだろうと、男子生徒は履歴を開いた。

「…………何だよ、これ」
















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投身少女 氷雨ユータ @misajack

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