SiSSo(k)U

香久山 ゆみ

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 いつも肝心なところで出遅れてしまう。

 民間の宇宙航空事業者が、〈地球-月〉間の就航を記念して、初の民間人の月面着陸者を広く全世界から12名募集する。

 そのニュースはもちろん知っていた。数年後の就航を目指すアメリカの民間企業が打ち出したキャンペーンだ。宇宙航路が民間に拓かれるとはいえ、当初は年に数便しか出ないし、一般人が手を出せる料金でもない。だからそれはまさに夢のキャンペーンだ。詳細は時機がきたら発表するという眉唾もののニュースではあったが、私も胸を躍らせたものだ。

「そういえば、宇宙旅行の民間人クルー募集のキャンペーンってどうなったっけ」

 繁忙期の昼休みに、喫煙所で顔を合わせた同期とふとそんな話題になった。

「なに、お前興味あんの?」

 ひひ、と小馬鹿にしたように笑う根津に、「あるよ」と私は率直に返した。

「くそ忙しいから夢見ちゃうのも分かるけどさぁ」

 根津がもくもく煙を吐き出す。天井のファンが煙を吸い上げる。この換気装置は私が設計したものだ。小柄な根津よりも少し高い位置から、私も天井へ向けて煙を送る。次から次からもくもくもくと根津が煙を吐き出すので、私の煙は天井に到達する前に見失ってしまう。天井を根津の煙が覆う。もう少しファンの角度を変えてみようか。煙草を揉消し、身仕舞する。根津はまた新しい一本に火を点けている。

「確か来年に詳細発表があって、それから募集だろ。まったく気の長い話だよ。こちとら日々の仕事に追われてるっていうのにさ」

 そんな根津の台詞を真に受けて、ちゃんと自分で確認しなかった私が悪い。日々の仕事に追われていたことは言い訳にもならない。

 残業や休日出勤がデフォルトの日々に嫌気がさし、トイレで何気なく検索した。現実逃避だ。――すでに募集は数日前に締め切られていた。告知があったのが一月ひとつき前、喫煙所での会話からわずか数ヶ月後だった。

 だからどうってこともない。自席に戻って黙々と仕事を続けた。どうせ応募したって当たりっこない。当たったところで二週間も仕事を休めない。

 老舗の空調メーカーの設計部で働いている。大手ではないが、エアコン・空気清浄機・加湿器・除湿器などオリジナル製品の設計はもとより、顧客の依頼で大手メーカーの製品に手を加えることもある。慢性的に人手が足りずいつも忙しい。設計だけでなく、現場に人が足りなければ設営施工に借り出されることもある。消防設備士、管工事施工管理者、ボイラー技師、製図、衛生技術者、eco、少しでも仕事に関係する資格は社内・社外関わらず取得した。良くいえば真面目、悪くいえば馬鹿。一度転職しようとした時に、「資格ばかり夢中で取って、実務が疎かな方って多いんですよね」と面接官に鼻で笑われた。

 根津はキャンペーンに応募したらしい。応募書類を書くために、適当な理由をつけて休暇まで取ったそうだ。

 今になってキャンペーンサイトを眺めている。世界196ヶ国から、300万の応募があったという。エントリー者は抽選で1万人まで絞られ、そののち書類選考、二次選考、リモート面接、健康調査、最終面接と進むらしい。

 大学で機械工学を専攻したのは、心のどこかで宇宙飛行士への憧れがあったからだ。けれど、経済事情から修士課程には進まなかった。だから数年前に十年ぶりの宇宙飛行士選抜試験の募集があった際には、受験資格すら満たせなかった。本気だったならば、働き始めてから大学院で学ぶことだってできたはずなのに。私はいつも生ぬるい。

「おい、金子かねこ。明日までにA社の設計片付けとけよ」

「はい!」

「金子ぉ、C社の担当って誰だっけ。確認頼む。ついでに資料も出しといて」

「はい!」

「金子さーん。ねぇ、例の製図ってどこだっけぇ? 重いし取ってきてくれる?」

「はい!」

 いつまでもいいように使われている。ここ数年、家には寝に帰るだけで、自分の時間などありはしない。何のために働いているのだか。要領が悪いのだ。ただ目の前のことに全力で取組むことしかできない。

「おい、金子! やり直しだ!」

 三上課長はとくに厳しい。

「ですが、基準の性能はすべて満たしています」

 そもそも三上課長の求める基準が高すぎるのだ。すべてクリアするだけでも骨が折れた。これ以上どうしろというのだ。最年少で課長昇格した三上は仕事に厳しい。

「デザインが悪い。コンプレッサーもっと薄くできんだろ」

「限界まで薄くなるよう設計してます」

 とくに私には厳しい。けれど、まともに言い返せる相手も三上だけだ。ことに技術面では。唯一尊敬できる上司だ。

「従来の部品のままならな。N製作所が新しいシリンダー開発したの、知らないのかよ」

 安心して突っ込んだ話までできるのは三上だけであるが、厳しいことに違いない。現場主義の三上は、部長昇格の話を蹴ったという噂もある。ずっとこの人が上司かと思うとぞっとしないでもない。

「おい、金子。こないだの企画、立案から施工管理までの一連の手順を資料にまとめとけ」

「え。ごくオーソドックスな仕事だったから、今さら必要なくないですか?」

「給料もらってんだから、勤務時間中は四の五の言わずに働け」

 ようやく一段落着いたのに休む間もありはしない。

「やり直し。詰めが甘い。各工程の担当部署や書類の保管場所までしっかり記載しとけ」

 とにかく細かい。こんな資料作ったって誰も見やしないのに。第一、資料を確認するよりも、皆直接私に聞く方が早いと思ってる。結局、小冊子ほどの手順書が完成したが、新人も入ってこないのに無用の長物だ。会社勤めは不条理が多い。

「おい、金子。今度の仕様書は英語で作ってくれ」

「おい、金子。B社の室外機な、塵一つ入り込まないような設計にしてくれ」

 厄介な仕事ばかり回ってくる。立ち止まる時間さえ与えられない。

 根津は大手に転職していった。キャンペーンには落選したらしい。

「おい、金子。お前は辞めるなよ」

 お前に辞められちゃあ困る、と三上ががっしり肩を組んでくる。今日も残業だ。窓の外、漆黒の空には月がぽっかり浮かんでいる。

 うちの機密情報を持って大手に転職した根津には法的な措置が取られる、という噂だ。相変わらず忙しくて、最近は喫煙所にも行かないので、情報には疎い。

「お前は、俺が引き抜いていくんだからな」

 肩を組んだまま三上が小声で言う。え。振り返ると、にやりと笑う。顔が近い。ミントガムのにおいがする。

「今年度いっぱいで、会社辞めて独立する」

 だから部長昇格も辞退したのだと言う。

「でも、私が辞めたら困るって……」

 自分で言うのもなんだが、とくに細かい仕事などは皆私に頼りきりで、私と三上が抜けた部署が立ち行くのか、甚だ不安しかない。

「ばあか。そのために手順書作ったんだろが。あんな懇切丁寧で立派な手順書がありゃ何とでもなるさ。それでも駄目ならどうしようもねえよ」

 平然と言ってのける三上を、唖然と見つめる。

「来春のコンペ、参加すんぞ。初の月面ホテル建設に向けて、空調設備の設計・施工業者が募集される。選ばれれば、二ヶ月程月面で仕事をすることになる」

 どうだ、興味あるだろう? 三上の太い腕は私を逃がさない。ヘビースモーカーだった彼が煙草をやめたのはそのためだったのか。未だ天体上を含めた宇宙航路では喫煙は認められていない。彼の左手の薬指から指輪がなくなっていることにも、誰よりも先に気づいた。その目敏さに、自分が女なのだということを突きつけられたようで、ひとり動揺した。その手が、今目の前にある。諦めかけた、夢も。

「自分達の手で、月面旅行を掴み取ってやろうぜ」

 この人もばかだ。仕事馬鹿。夢見る少年のようにきらきらと瞳を輝かせている。

 私は息をするのも忘れて、その目をじっと見つめ返した。

 走り出す前からもうすでに、胸がどきどきしている。

 出遅れていたのではない。運命はこの時を待っていたのだと、 猫の目のようにまるく輝く月が私たちを照らした。

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