たまてばこ

香久山 ゆみ

たまてばこ

 数年ぶりの帰阪。だが、両親と顔を突き合わせているのも気まずくて、「友人と約束があるから」と嘘をつき、実家を抜け出した。未だに連絡しあうような地元の友人など、本当はいないのだけれど。

 行く当てなどない。わざわざ人ごみには行きたくないし、大和川の河川敷でのんびり過ごそうかとも思ったが、家族連れが多く、この中にかつての同級生でもいると面倒であるし、私は大阪に帰ってきてもなお居場所がない。

「近場」で「自然があって」「ひと気の少ない場所」をスマホで検索して、電車で数駅の玉手山へ行くことにした。

 幼い頃、何度か「玉手山遊園地」につれて行ってもらったことがある。そこで確か「玉手箱」なるお土産を買ってもらった。四角い箱で包装紙に包まれていたと思う。中身はなんだったろう。思い出せない。きっと実家を探してみても見つからないだろう。物が多い家だから。たとえば家族写真なども、まめに現像するものの、写真屋でもらうポケットアルバムに挟むとそのまま皆で回し見して、見終えたらネガごとそこらにぽいと置くものだから、いまや見つけるのは困難だ。

 JR高井田駅で下車する。スマホの地図アプリでは目的地まで25分とある。地図に従い川を越え、こんもり緑が茂るのが見えてあの辺りだなと当たりをつけてひたすら歩く。が、かれこれ40分は歩くが一向近付く気配がない。地図を見直すと、どうしたことか現在地のピンは目的地とはまったく真逆の方向に刺さっている。軌道修正して一時間以上かけてようやく目的地へ到着する。私の方向音痴は多分に父のせいだ。幼い頃あちこち自家用車で連れて行ってくれたが、私はいつも空調の効いた車の中でくうくう眠っていたから。道を覚えるのも苦手だし、方向感覚にも乏しい。

 ようやく辿り着いたその場所に、玉手山遊園地はなかった。西日本最古の遊園地は、すでに二十年前に閉園となっていた。代わりにそこは跡地そのまま市が管理する「玉手山公園」となっていた。

 ゲートを抜けて園内に入ると、日曜日にも関わらず人が少ない。安心して園内を進む。

 こまごました遊具がたくさんあるが、遊園地の記憶は呼び覚まされない。どんなアトラクションがあったのだろうか。例えば、ここに観覧車やお化け屋敷があったとは想像もできないくらいこぢんまりしている。それとも私が大きくなってしまったのだろうか。丘陵になっている敷地をどんどん奥へ登っていくも、薄っすらある記憶の中の広い遊園地がいっそう夢だったのではないかと思えるほどで。なにか玉手箱を覗いてしまった気分。

 進むと、展望台、そして標高73メートルの山頂に出た。この高さを上るだけでもう息が切れている。幼い私を連れてきた父母は今の私よりもさらに年長だったろう。山頂には立派な慰霊碑が建っている。まったく覚えがない。絶対来ていない。けど、父は登山が趣味だ。なのに、一度も山頂まで来なかったなんてことあるだろうか。

 昔の写真を確認しようもない。無いからだ。中学生の時にたまたま古いポケットアルバムを見つけた。「玉手山遊園地 ちいちゃん4歳」とあった。開いてみると、24枚組のアルバムはいくつか空欄になっていて、残った写真はすべて私一人が写っているものだった。父や母が写った写真は一枚もなかった。ちょうど反抗期で私は無性にいらいらして母に当たり散らしたりした。両親はずいぶん高齢で私を授かった。だから、家族写真なんてたくさんあったってよさそうなものなのに。

 そんな高齢な両親を置いて、私は大学から東京に出て、そのまま就職した。仕事が忙しいからとろくに帰ってもこなかった。

 数年ぶりに顔を合わせた両親はずいぶん老け込んでいた。まるで玉手箱を開けてしまったみたいに。それで、せっかく帰省したにも関わらず、私はまた逃げるようにふらふら彷徨っている。怖いのだ。一人っ子で、結婚もせずに、なんにも成し遂げられぬまま、両親をないがしろにして長い年月を過ごしてしまった。たくさんのものを取り溢して、後悔している。けれど、もう今更。

 じきに閉園を告げるアナウンスが流れる。ゆっくりと階段を下ってゲートを出る。

 ちょうど、スマホが着信を告げる。母からだ。すっと息を吸ってから電話に出ると、変らぬ声が聞こえてきた。

「今日何時に帰ってくる? 面白いもん見つけたよ。玉手箱」

 えっ。

 帰宅後、母が差し出したのは、大きな紙箱。蓋の表面に幼い字で「たまてばこ」と書いてある。

「見事に鏡文字やね」

 父も母もまるでそこに幼い娘がいるみたいに微笑んでいる。

 恐るおそる箱を開ける。

 色とりどりのビー玉や、におい付きの消しゴム、キーホルダーなどが入っている。その中に一冊ポケットアルバムがある。「たからもの」とこれまた鏡文字で書かれている。ページをめくる。いつぞやのポケットアルバムから抜かれたのであろう両親と私の写真が挟まっている。

「懐かしいわぁ。自分のアルバムを作るいうて、家族のアルバムから写真を抜いていったんやよねえ」

 母がくすくす笑う。

 玉手山遊園地で撮られた写真もあるが、乗り物から手を振る私の写真がほとんどで、やはり展望台や山頂の写真はない。――幼い私は本当にこの両親と遊園地に行ったのだろうか。私は本当に二人の子供なのか。真剣に悩んでいた思春期の私。

「父さん、玉手山の山頂まで登ったことってある?」

「ないなぁ。だって、小さい子は登山より遊園地やろ」

 と笑う。

 胸がいっぱいになって、両親から視線をそらしてぐっと玉手箱を覗き込む。

 玉手箱にはまだ余裕がありそうだ。次は新しいアルバムを持って帰ってこよう。今からでもきっと大丈夫。玉手山なら高齢の父も十分登れるだろう。梅林もあるから、母もきっと喜ぶだろう。それから……。

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