解答編

「スミレ、私もハンガー借りて良い?」

カエデと共に戻ってきたアンズは、ダウンジャケットを脱ぎながら私に訊いた。自由に使っていいと伝えると、二人は羽織っていた上着をクローゼットにかけた。

私がすべきことは、犯人以外の三人に、犯人以外の人物もプレゼントを隠すことができると誤解させることだった。

そのためには、私自身のアリバイを崩すのが一番簡単だろう。

例えば、最後のプレゼントを手早く取り出し、それを部屋の雑貨に紛れ込ませれば良い。確かに物は少ないけれど、全くないわけじゃない。住人である私が無いと言えば、その中に普段は存在しないものなど消えてしまう。

共犯の可能性でも良いかもしれない。シオンのバッグは中身がいっぱいにつまっているけれど、その一部を近くの戸棚にでも置いておき、空いたスペースに最後のプレゼントをいれてもらう。この場合も同様に、私がシオンのバッグから取り出した私物を自分の物だと言い張れば済むことだった。

可能なら、私と犯人以外の三人のアリバイも崩したい。例えば、エリカの小さなバッグに入るくらいのプレゼントだった可能性を仄めかすようなことを言えば、犯人候補はそれだけで増えるはずだ。

「そういえば、スミレから聞いたんだけど、シオンっていつも同じ絵を描いてるんだってね。それって何か理由があるの?」

そんなことを考えていると、カエデはソファに座るなりシオンに訊いた。

青黒い夜空に浮かぶ星々の絵。平面なのに、不思議と奥行きを感じる絵だったことを思い出す。

「昔見た星空を描こうとしているの。それがなぜかという質問であれば、そう……少し、思い出話を聞いてもらうことになるけど」

「私は気になるな」

カエデの言葉に、私とアンズも頷いた。


私は小学三年生の時に東京からこの辺りに引っ越してきたんだけど、その頃の私は今よりずっと話すのが苦手で、学校で馴染めずにいたの。それである日、とうとう家にも帰りたくなくなって、誰もいない夜の公園でじっとしていた。きっと、そうしていれば、そのまま消えていなくなれると思っていたのね。

泣き疲れて眠くなって、公園のベンチでうとうとしていると、一人の男の子がやってきた。君も星を見に来たのかって。

何のことか一瞬わからなかったけど、改めて空を見てみると、それまで見たことがなかったくらい星がたくさん輝いていたの。東京は昼も夜もないくらい街が明るいから、星空なんてプラネタリウムでしか見たことがなかった。本物の星空の大きさには驚いたわ。

それから彼は、その時に見えていた星座の話をしてくれた。何座の話だったかは覚えてないけど、ちょうど今くらいの季節で、冬の大三角を最初に見つけるんだって言ってたのは覚えてる。いくつかの星座にまつわる神話を聞いているうちに、その星たちが空から私を見守ってくれている気がして、一人じゃないんだって思えた。そう思えたのは、英雄がお姫様を助ける話を聞いたからだったなんだけど、それが何座だったか覚えてなくて……

「だからペルセウス座だったんだね」

……え?


シオンはそこで語るのを止め、顔をあげた。そこには私と同じ、戸惑いの表情があった。

皆の視線がその声の主……アンズに向けられた。

「ペガサスに乗った英雄ペルセウスが鯨からアンドロメダ姫を救った話。なのにペルセウス座とペガサス座がアンドロメダ座を挟んで並んでるのって変だよね」

アンズは淡々と言った。

「ペルセウスは他にもいろいろな話があって、例えば彼の最初の逸話は」

「メデューサの退治、そうよね?」

アンズの言葉を遮ってシオンがそう言った。

「知ってたんだ」

「アンズさん」

「うん……えっ、なになに!?」

シオンは急にアンズに顔を近づけ、アンズは驚いてぎゅっと目を閉じた。

「エリカ、ヘアゴム持ってる?」

「持ってるけど」

「一つ貸してもらえる?」

エリカは何も言わずシオンにヘアゴムを渡した。

それを受け取ったシオンは、アンズの顔の後ろに手を回して手際よくポニーテールを作った。その間、アンズは少しくすぐったそうだった。

「……やっぱりそうだ」

アンズから離れると、シオンは納得げにそう呟いた。

「あの日の彼は、アンズさん、あなただったのね」

「えっ?」

アンズは閉じていた目を開くと、シオンの顔が少し赤くなり、これまでのクールな印象をひっくり返すくらいの嬉しそうな笑顔を見せた。それを見てアンズは真っ赤になった。

「じゃあ、シオンの言ってた英雄って……」

エリカが何かを言おうとして、シオンがすぐに手でそれを塞いだ。急に動いたせいで大きく動いた髪の隙間から覗いた耳は先端まで真っ赤に染まっていた。

つまり、シオンの孤独を救った英雄はアンズだったのだ。


しばらくの沈黙の後、最初に口を開いたのはシオンだった。

「ずっと勘違いしてたのね、私。いくら暗くてよく見えなかったからって、髪が短いだけで男の子だと思っちゃうなんて。ごめんなさいね。でも、やっぱりあなたはショートも似合うと思う」

シオンはすっかり落ち着いた調子で言った。アンズはまだ顔を赤らめたままで、照れくさそうにポニーテールを触っている。いつもよりボーイッシュな印象のはずなのに、そうして恥じらう姿はとても女の子らしいものだった。

「ねえ、アンズ。これってむしろチャンスなんじゃない?」

カエデがアンズの耳元で囁いたのが聞こえてきた。カエデのことだから、きっとわざと聞こえるように言ったに違いない。チャンスとは何のことだろう。

「……、……」

「!?」

カエデに何かを耳打ちされて、アンズはひどく驚いた様子だった。

「どうして……」

「いいからいいから」

何かに躊躇うアンズを、カエデがクローゼットの前まで強引に連れて行った。

「わかったから、押さないで……!」

アンズが観念したのを見て、カエデは勝ち誇ったような顔で私の方を見た。その意味が分かったのは、アンズがクローゼットを開けて、ダウンジャケットの中に手を入れてからだった。

カエデは言った。「誰が」を明らかにしたところで誰かが救われるわけじゃないと。だから私は、それが誰かに注意が向かないまま、無事に今日が終わるためにはどうすれば良いかを考えていた。

けれどカエデは、常に最善を考えていた。私の融通が利かなくて押し付けがましい考えとは全く違っていた。やはりカエデには敵わない。

カエデもエリカと同じで、「誰が」ではなく「誰の」を明らかにするべきだと考えていた。カエデもきっと、部活でアンズの気持ちを何となく察していて、私からの電話で確信を持つに至ったのだろう。私ですら気付くのだから、カエデが気付かないわけがない。

そして今、その二つは両立しうる状況になり、答え合わせは犯人自身の手で行われた。

「……これを、受け取ってもらえませんか」

今にも消え入りそうな声で、アンズがシオンに薄い形のものを差し出した。それは最後のプレゼントだった。


シオンがそれを受け取ると、ゆっくりと丁寧に包装を外した。

中から出てきたのは、無数の穴が開いた数枚の金属の板だった。

「天球儀?」

シオンがそのラベルを口にした。

それは金属でできた組み立てるタイプの天球儀だった。同じものが二セットあり、一つは天球儀、もう一つは中に光源を置くことで簡易的なプラネタリウムになるらしい。星座好きのアンズらしいプレゼントだった。

「あの日見せてもらった絵がすごく印象的で、星が好きなんだっていう気持ちを感じたんだ。だから、気に入ってもらえるかなと思って」

自信なさげに話すアンズは、好きな男の子に告白しようとする女の子のようだった。ようだった、ではないのだけれど。

「だからあの曲だったんだね。交換のルールも、確かに順番に回すだけじゃつまらないけど、本当の目的はシオンに自分のプレゼントを届けることだった」

カエデが話したことは、私が考えていなかったことだった。思えば私は誰がどうやって隠したのかしか考えていなかったけれど、そうした行動には何か理由があるはずで、カエデはそこまで分かっていたのかもしれない。

「アンズはきっと今日のために何度も聴き込んだんだよね。どのタイミングでどこにプレゼントがあれば最終的にうまくいくか、何回もシミュレーションをして」

「そこまで分かったんだ」

「試合のときの指示に似てたから」

「……さすがカエデ、よく見てる」

アンズはお手上げといった様子でカエデを見た。カエデは穏やかな表情で見つめ返している。アンズを応援しているのだ。

「結局うまくいかなかったけど」

「それで、つい隠しちゃったんだね」

「だって、せっかく用意したのに、それが自分のところに戻ってきたら、私の気持ちが否定されたみたいじゃん」

カエデは何も言わず、次の言葉を待った。

「練習通りにプレゼントを回して、あと一回だけ二人で交換すれば大丈夫って思ってんだけど、少し聞き逃してたのかな、音楽が止まっちゃって。頭が真っ白になったよ」

あの戸惑いの声をようやく理解した。アンズがプレゼントを隠した犯人である以上、あの声はわざと言ったものになるはずだけれど、それにしてはリアルだったことはずっと引っかかっていたのだ。

「それで、皆が目を閉じているうちにどうにかしなきゃと思って、咄嗟に隠したんだ。ダウンジャケットの下に」

それは私の想定と同じ方法だった。そしてカエデと一緒に席を立つ際、近くに置いてあったダウンジャケットを拾い上げる時に一緒に隠しておいたプレゼントも持ち上げたのだと思う。ボリュームのある上着なら、内側に隠しても気付かれないはずだ。そしてトイレで一人になり、内ポケットか何かに隠せば終了だ。

けれどそれでは、アンズの気持ちが伝わらない。もしかしたらカエデは、アンズにそのことについて説得するためについて行ったのかもしれない。それに、二人で席を立つことで、疑いの目を分散させることもできる。考えすぎかもしれないけれど、私が考えすぎたところでカエデの思考に及ぶかどうかは怪しいところだった。ちらりとエリカを見やると、彼女も私と同じように難しい顔をしていた。

「カエデに言われなかったら、このまま帰ることになってたと思う。でも、こうやって気持ちを伝えるチャンスができたんだ」

アンズが言葉を切り、ゆっくりと深呼吸した。

「シオン。私、あなたのことが好き。そのプレゼントは、私の気持ち」

「アンズさん……」

シオンは溶けるような笑顔を浮かべている。

「私も、あなたのことが好き。ずっと前から、ずっとずっと想い続けてきた。あなたのことを忘れたくなくて、近づきたくて、何度もあの日一緒に見た星空を描こうとした。結局うまくいかなかったけど、もう一度会えたことで、足りなかったすべての要素が補われた。あなたがいれば、もう星空を描く必要もないの」

「それは寂しいから、今度こそ完成させてほしいな」

アンズが照れくさそうに言った。

「また一緒に星を見よう」


空からは久しぶりに雲が切れていた。

私たちは物置きから使っていない小さなテーブルと椅子を運んできて、庭先に並べた。暖かいミルクティーを淹れて、皆で星空を見上げることにしたのだ。

アンズとシオンは幸せそうに肩を並べ、一枚のブランケットにくるまっている。アンズが星座の話をしているようだったけれど、邪魔にならないよう、他の三人は少し離れたところに座っていた。

「カエデはいつアンズだって分かったの?」

一息ついたところで、私はカエデに訊いてみた。

「最初から」

「最初から?」

「音楽が止まってアンズが困ったような声をあげたとき、少しだけ目を開けたんだ。そうしたら、上着の下に隠しているのが見えた」

「じゃあ、推理したとかじゃなくて、答えそのものを見たんだ」

「推理なんて回りくどいことを第一の手段として使うのは、推理小説の中くらいのものだよ。現実の問題っていうのは、解決することが大事なのであって、その過程は何でもいいの。推理にこだわる必要はない」

その割り切りが、私にはとても大人なものに見えた。

「実は私も分かってたんだ。私は推理で、だけどね」

エリカが笑いながらそう言った。犯人がアンズであると分かったのは、全然私だけではなかったのだ。それなのに一人だけ分かったと思い込んで、一人でどうにかしなきゃと勝手に背負い込んでいたことが、何だかとても情けないことのように思えてきた。

「カエデはきっと賢いのね、私なんかよりもずっと」

「何言ってるのエリカ。推理のいろはを教えてくれたのはエリカでしょ?」

「どういうこと?」

私は二人の言っていることが分からなかった。

「さっき、ブックカバーと栞のセット……あれはエリカのプレゼントだと思うけど、あれを見て私は、最近本を読んでる、って言ったよね」

「うん、知らなかった」

「学年が上がって、初めてスミレと違うクラスになって、気付いたんだ。あんなに本が身近に感じられていたのに、私自身はほとんど読んだことがなかったって。それでちょっと寂しくなって、自分でも読もうと思ったんだけど難しくてさ。ゴールデンウィークに初めて図書館に行ったときは、そこら中本だらけでクラクラしたよ」

「図書館を何だと思ってたの?」

エリカが言った。

「それでも休みの日に図書館に行って、読めそうなものから読んでいったんだけどなかなか進まなくて、休憩スペースで休んでたら、たまたまエリカに会ったんだ」

「あの時は酷かったのよ。ファンタジー小説なのに一時間で十ページも進まないって言うんだから。これまで国語の勉強はどうしてたのか不思議なくらいだったけど、それから少しずつステップアップできるように、その都度レベルに応じた本をお勧めするようになったの」

それも知らないことだった。部活や生徒会で忙しい二人が休日に図書館で読書会をしていたなんて。

私もカエデと同じように寂しさを感じていて、それを埋めるようにして以前より高頻度で図書館を利用するようになっていた。けれどそれは平日だけで、休日に行ったことはなかった。読書仲間がいないと思っていたけれど、それは大きな勘違いだったようだ。

私は自分で思っているほど皆のことを知らないことに気付いた。お互いのことをよく知っているつもりだったけれど、全然そんなことはない。高校生になって、自由がこれまでより大きくなって、人それぞれの個性が存分に発揮されるような段階になったのだ。これから先も、大学に進学したり、就職したりすれば、私たちはもっと遠く離れた道を進むことになるだろう。それは悲観するようなことじゃないということを、皆が教えてくれたのだ。

「今ではすっかり読書家になって、推理小説を読んでみたいって突然言いだしたから、何冊か見繕ってあげたの。そうしたら一週間も経たないうちに全部読んで、要約までしてくれたわ。どこにそんな時間があったのかしら」

「つい夢中になっちゃってね。それに、次スミレに会った時までに、推理小説の話ができるようになりたかったから」

「私と?」

「そうよ。カエデが自分で本を読み始めたのは、スミレに構ってほしかったからだもの」

「あはは……まあ、そういうこと」

カエデはそう言って、⽬を細めて前髪をいじり始めた。

「せっかくの機会だし、最近読んだ推理小説について語り合いましょうよ。あ、ネタバレは大丈夫よ、カエデはスミレが読んだ本しか読まないから」

そうして私たちは、それぞれに暖かなクリスマスの夜を過ごした。

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