16.自由主義者《リベラリスト》は風と共に
※
魔女の処刑は夜明けとともに訪れる。魔女の死は、夜の終わりを告げる刻だと、伝承より云われていた。
「ひでぇ顔だな、眠れなかったのか」
「うっさい」
まだ日も出ていない明朝。王都の大広場――十字架がそびえたつ処刑場の設置の準備を終え、魔女の運送をするため監獄へと向かうオリアナはあくびを一つする。結局あまり眠ることができなかった。
冷たい空気が肺に入り、眠気が一瞬だけ飛ぶも、瞼は重たい。金属がこすれ合う音を背に、十数名の兵と共に歩む中、隣に並ぶトマルクのからかいに悪態をついた。
「今度こそ本気で処刑するらしいぜ。それならもっと早くやればよかったのにな」
「魔女の提案はどうなったの?」
「俺も全部は知らないけど、まだ議論中だと。しばらくは上の動きも鈍るだろうな」
そう、とオリアナは返す。結局、魔女だからという理由ですべては無に還ってしまうのか。本当に人間というのは――。
ふとした疑念。いま、自分は魔女を憂いたのか。
トマルクのおしゃべりは止まらない。どこか馴染みがあるなと思った彼女は、二日も満たない記憶にうんざりする。
「あれ、ただの火刑じゃないそうだぜ。なんでも聖竜の焔の種をもとに構築された対魔女用の浄化魔法だとよ。これならあの不死身も灰になるだろ」
「かもね」
彼女は魔女ではない。錬金術師だ。狂っているほどに純粋な知的好奇心に満たされた、自由を求めるただの少女にすぎなかったのだ。
古びた石造りの塔。教会と隣接するその地下には昨晩顔を合わせた魔女が収容されている。またあの長い階段と通路を往復しなければならないのかと思うと体が鉛のように重くなった時だ。
目が覚めるほどの爆発が耳をつんざき、大地と空を轟かせる。ここまで感じた熱気。振り返ると処刑台の十字架が爆発し――否、空からの襲撃だと判断したオリアナたちは頭上を見上げた。
「っ!?」
「……嘘だろ」
闇よりも深い深淵そのものが空を覆う。その漆黒の鱗はどんな火器や魔法であろうとキズ一つつかず、その鉤爪は鋼鉄の壁を切り裂き、放たれる業火は都一つを焦土に還す。嵐を起こす巨大な翼の影は夜明け前の空を再び夜へと戻したかのよう。
20年前の災厄の再来。誰もがそう思ったことだろう。
「なぜ"黒竜"が――ッ、まさか」
「魔女を逃がす気だ! ケイトは応援要請を! 残りは私と共に魔女のもとに急ぐぞ!」
張りつめたインドールの声と共にケイトと呼ばれた兵士は教会の塔から離れる――同時。
目の前が業火に包まれる。その熱波は肌をも焦がし、衣服までもが発火しそうなほど。直撃した古い塔の麓は赤く熔け、やがて悲鳴を上げては――。
「総員撤退!」
全速力で塔から離れる。劈く轟音と突風が木々を揺らし、鳥の群れが空へと一斉に羽ばたきだす。地鳴りが起こるほどの崩壊に幸い免れた彼らは振り返り、粉塵と噴煙の如き焔の壁を見上げた。
燃え盛る瓦礫の山と化したその頂上に黒竜が降り立つ。そこには拘束したはずのリクシーレが白い髪と黒い布切れを風になびかせ、竜の方へと手を伸ばしていた。それはまさしく、災厄を司る魔女に他ならない。
「隊長、魔女の拘束具が……っ」
「やはり釈放させるべきじゃなかったか」と吐き捨てるインドールの声には憎しみがこもっている。
「……あの馬鹿」
どよめく兵士たちの中、呟くように吐き捨てたオリアナは、土を踏み出し、燃え盛る瓦礫の山へと駆け出す。
「待てロンズデール! どこに行く!」
叫ぶインドールの声を無視する。
わかっていた。これが攻撃でも反抗の意思でも何でもないことを。
これが、彼女の"自由"なんだと。
そして、自分がこれからすることもまた、実に身勝手な"自由"だということも。
炎の壁を切り抜け、足元がおぼつかない瓦礫の坂道を駆け足で登った先。
「あ、オリアナさん!」と瓦礫の上で黒竜の顎を撫でるリクシーレは、嬉しそうにオリアナに目を向けた。「おはようございます」
「えらくド派手にやったわね」と周囲を見渡す。「これは明らかな反乱だとみられるても文句言えないよ」
「20年間お世話になりましたので、思い切って門出祝いしちゃいました」
「冗談になってない」
抜いた剣はリクシーレに向けることはない。狼のような鋭い瞳も、今では過去の産物だった。
「というか、手錠とかどうしたのよ」
「手足と首を自切させましたね。そのあと自前の再生治癒力でくっつけました。檻は胃の中に仕込んでた薬品で腐食させて――」
「もういいわ。聞いているだけで気分悪くなる」と苦虫を嚙み潰したような顔を逸らした。あら、とリクシーレは首を傾げた後、彼女の名前を呼んだ。
「……答えは出たようですね」
そう微笑む。彼女の手の平の上で転がされているような気がして、なんだか気に食わなかったオリアナは素直な気持ちをひた隠しにした。
「借りを返さないままってのが気に食わないだけ。どうせ魔女に呪われた駒として使い捨てられるなら、あんたについていった方がまだ望みはある。で、どうすんのこの状況。あんた完全に悪者よ」
「あれ、オリアナさんは私のこと悪者って思っていないのですか?」
「……っ、なんでもないわよ」と顔を逸らす。顔が熱かったのは燃え盛る炎の熱気のせいだと決めつけた。「とりあえずこの様だと襲撃と言われても文句は言えないってこと」
「すぐに出発するので大丈夫ですよ。死人は最小限、いえ、ひとりも出さないつもりですので」
「一人でも出したら斬り倒すからね」
「そうならないように最大限気を付けますね」と怖気づくことなく、またも微笑む。
その一方、一向に剣を振るわないオリアナに疑念を兵士らは向けている。
「何か話しているぞ」
「なぜ魔女を斬らない」
そのような中、インドールは勘づく。
「あいつ、まさか……っ」
そういえば、と竜の魔女は傍でおとなしくしている黒竜を一瞥する。
「まだお伝えしていませんでしたね。私が何の罪を犯したのか」
「ああ、そういや聞いてなかったね。なにやらかしたの」
「竜の保護です」
「保護……?」
「そう。この子を助けたこと。それが私の大罪」
黒竜へと手を伸ばすと、人を丸呑みせんばかりの巨大な頭部は優しくすり寄っていった。
「紹介しますね。この子はイノリ。” マボロゼス・ウラノカリプス”という黒竜種をベースに人の手で造られた錬成竜――私の親友です。20年前にとある国によって秘密裏に作られたのですが暴走し、幾つかの町が滅びました。私はこの子の怒りと苦痛を治すことに成功したのですが、国はこの一件の事実を隠蔽し、私がしたことだと民衆に広めたんです」
「じゃああんたって……」
「20年、監獄塔で眠っていたのはこの子の成熟を待つためです。無事に来てよかった」
そう安堵した声を向ける彼女に、オリアナは剣を納めた。
「さ、行きましょう。"自由"ある世界にするために」
*
「隊長、どうしますか」とひとりの兵士がインドールに尋ねる。
「あいつは魔女に洗脳された。もう奴を仲間だと思うな」
「……っ」
トマルクに戸惑いの目が走る。もちろん、彼女を知る他の兵士も。だが、インドールの青い目は変わらない。
「魔法の発動を許可する。全員、竜の魔女らを抹殺しろ」
*
途端、永遠の炎と云われた黒竜の火が消える。鎮火した瓦礫の山の麓には、水を産み出す魔法を放ったインドールの姿。そして、魔法特有の可視光を両腕に纏う兵士の数々がオリアナらを見ている。これが、
「……自由の代償は大きいわね」
「はい、地獄のような日々がこの先いっぱい待ってます」
「少しは包み隠しなさいよ。ちょっと躊躇ったじゃん」
「でも、こっちの方がオリアナさんは向いてると思いますよ。それに、目的は一緒ですから。ねっ」
どんな状況になっても緊張感のない奔放な彼女に呆れる。自分から翻ったとはいえ、オリアナはかつての仲間に向けられた敵意に対して多少のショックを受けているというのに。
麓から放たれた高速の魔弾を抜刀と同時に両断する。鉄を熔かす砲弾に匹敵するそれが光の粒子へと昇華していったのを見届けることなく、オリアナは静かに息をついた。
「まぁ、ね。もう引き返せないところまで来たんだから、その責任は取ってよ」
「ふふ、オリアナさんの合意も取れたことですし、とっととここをおさらばしちゃいましょう。イノリ、お願いしますね」
その黒竜――イノリは翼を大きく広げ、咆哮する。その音は衝撃波として騎士団らを怯ませた。その隙にふたりは竜の鱗を伝い、背に上る。
「待て! 竜の魔女! ロンズデール!」
インドールは体に鞭を打ち、魔力を纏わせた剣から繰り出したのは巨大な水の刃。鋼の要塞をも両断するそれは、石畳の路と瓦礫の山ごと空を容易に切り裂く。だがそれもむなしく、黒竜の長い尾によって弾かれ、飛沫の雨と化した。
大きな羽ばたきは暴風そのもの。果たして騎士団らは吹き飛ばされ、連なる軒の壁に激突していった。それを見届ける前に、一瞬のうちに黒竜の背から見える景色は雲の上となった。
さっきまでいたはずの場所は、王都は、点のように小さい。だけど、踏みしめていたはずの大地と、なんてことないと思っていた海がこんなに広く広がっていたとは。翼を動かし、イノリは前方へと――海の先へと目指していく。風が強くも、竜の鱗の構造かあるいは特殊な魔法が発動しているのか、自分の体が黒竜の背から引きはがされることなく、気流は安定していた。
「久しぶりの空は気持ちがいいですね。風になった気分です!」
そうリクシーレはイノリの上に立ち、両腕を大きく広げた。滑空をして安定しているとはいえ、よく風で倒れないものだと半ば感心しながらも、本当に心の底から楽しげな様子に、くすりとオリアナは笑った。
「いつも大袈裟なのよあんたは……でも、そうだね」
夜が明ける。果てが見えない地平線から、太陽が顔を出した。寒気立つ空だけど、こんなにも温かい眩しさだったのか。
「あたしさ」とオリアナは言う。「魔女のことは信じられないし信じたくもないけど、あんたのことだけは信じてみようと思う」
そのつぶやいたような声は風の音で消え行く。だが、確実にリクシーレには伝わっていた。ただ返答がなかったのが不安になり、オリアナは彼女の顔を見る。
固まったまま向けていた呆け顔、あるいは惚け顔は、ほのかに赤らめていた。
「……なんて顔してんのよ」
「これが、相思相愛」
「じゃないから。よく今のでそう捉えられたわね」
「不束者ですが、これからもよろし――」
「なんでそういう流れになる! まだ認め切ったわけじゃないから!」
それで、と話を無理やり変える。「このままエストマ国に行ったとしても、何か策はあるの?」
「いえ、まったく」とあっけからんとした返答がきた。「
「……改めて聞いても、相当どころじゃない権力者が仲間だとはね」
「だとしても、みんな等しく命が一つだけの人間です。もちろん、私も」
「あんたは人間やめてるでしょ肉体的に」
「えーひどくないですか? そういう問題じゃないですよ」
そう頬を膨らませるリクシーレ。オリアナは長い髪を耳にかけては、
「なんでもいいけどさ、とにかくあたしは世間じゃ魔女側についたわけだし、相対するのはあのヨスガの魔女なんだから。これから大きな戦いになるんだと思えば、あたしもリクシーレも気を抜いている場合じゃないでしょ」
「けどまずは――」とオリアナが続けて言ったとき。
「「腹ごしらえ」」
ひとつの間を挟み、顔を向け合った二人は同時に笑う。
自由な風はどこまでも吹いて、謳歌するだろう。
この大きな空は、そんなふたりをきっと受け入れてくれる。
リベラリズムの風が吹く 多部栄次(エージ) @Eiji_T
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