15.魔女の罪の名は
ガッと魔女の両肩に構わず掴みかかったのはオリアナだ。洗いざらいすべて吐けと言わんばかりの凄みを、激昂染まる瞳で訴えてくる。
「あくまで可能性ですよ」とリクシーレは平然と付け足す。
「まさかオリアナさんがあの人と接しているとは思いもしませんでした。それも試作段階だったβ型の結晶病に感染させられている人と出会えたなんて、よくできた偶然だと思えてしまいます」
「なんでもっと早く言わなかった」
「……とりあえず少し離れていただけませんか? オリアナさんから触れてくれたことはうれしいですが、これでは話せることも話せません」
それに従ったオリアナは3歩、魔女から身を引いた。お礼を言い、汗を滲ませた魔女は口を開く。
「彼女がエストマにいると言ったのは今回の一件があったからこそです。あんな代物を創って、環境を利用して、確率だって高くないのにあんな回りくどい事件を起こしたのは、周到な彼女の手口と言ってもおかしくありません」
「あんたとあいつはどういう関係なの」
オリアナが訊くと、魔女は閉口した。だが、その沈黙に耐えられなかったように、薄紅色の口唇が小さく開く。
「昔馴染みに過ぎませんよ」
落とした視線の意味を読み取ったのだろう、自分の振る舞いに気づいたオリアナは息を吐いて身を後ろへ退いた。
「そ。じゃあつまり、あいつは新薬のために子どもたちをキノコにしたと」
「それだけなら、もっと手っ取り早い方法がありますよ。交易関係の島国、それも都市部を狙ったのには別の理由があるはずです」
牢獄の奥、静かに響くのは二人の会話のみ。見張りの兵が来るまでもう少し時間がある。急かす気持ちを抑え、オリアナは魔女が述べる理由について問うた。
「そうですね、結論から述べるのもよいですがそれだと味気がありませんので」
「そんなのはいいから」と呆れるオリアナの声は届かなかった
「まず、森で私たちを襲った人たちがいたでしょう? 彼らはスフィド教の人間ではありません」
「なっ……!?」
「変装です。わずかに阿片の匂いがしました。確かこの国では流通してないですよね。それに使っていた矢はフェラム雲母とウリアンの木から作られていまして、長さも2.5寸と短め。ラバでは見かけない型と素材だったのも加味して、おそらくこの国どころか、この島の者でもないと思います」
「やっぱり、大陸から……」とオリアナは噛み締めるように理解する。「じゃああいつらはヨスガの魔女と関係があるってわけ? それに、
「それは確証がないのでどうともいえませんが、魔女を恨む人が特別珍しいことでもないのはオリアナさんもご存じの通りです。あの科白はどうともいえません。別に彼らの言う"運命"が宗教に由来するとしても、魔女を断罪する決まりは聖典のどこにもありませんし、エストマの国教も同様です。わざわざああいうわかりやすい捨て台詞を吐いたのは、スフィド教の者と思わせるためのブラフでしょう。仕留めた以上は問題ありませんが、あの変装を私たちのためだけにやっていたとは限らないかもしれません」
「どういうこと」と訊く。
「市民に対して吹聴していた可能性も否定はできません。きっと今頃、市民が何かしら行動を起こしているところでしょう。いえ、それよりも前に小さな騒動が起きていたかもしれません。インドール隊の皆様の様子を見て感じたことはありましたか?」
特に違和感はなかったはずだと言おうとしたオリアナの口が止まる。だがそれは、自分の中で正当化して納得していたものだ。
「あんたの回りくどい言いぶりからして、私たちと会う前にひと悶着あったって言いたいの?」
「さすがオリアナさん。以心伝心できるくらい仲良くなれたようでうれしいです」
本当に嬉しそうな笑みを浮かべるも、オリアナは興味なさげに視線を逸らした。
「インドールさんたちがお上の御命令のもと押し掛けてきたのは私の一時釈放の許可が正式に出ていなかったからだと言っていましたが、それだけでああも急くことがあったのかは疑問ですね。王政にも魔女の能力を支持……というより利用したい派閥は存在しているはずですし、円卓の議論に馴染んでいる方々は、まずは会議をしてから行動する生き物ですから。やけに決断が速かったのは、民衆の反応でしょうね。工房の中では気づきませんでしたけど、インドール隊の少しばかりの疲弊の顔と私のこけおどしに応じて戦おうとしなかったことから、魔女を殺すべきだと動いた民衆の暴動を鎮めた後だったのかもしれませんね。逆に、あのとき私たちが殺されれば向こうが望む未来になっていた可能性は高いです」
「それじゃどう転んでも――」
「相手の思う通り、だったのかもしれませんね。ですがこうして生きている以上、まだ終わったわけではありませんよ。まぁ死んで終わった方が楽だったかもしれませんが、なんて」
「で、何が言いたいのよ」と結論を急ぐ。冗談交じりに笑みを浮かべていたリクシーレは、今度は慈愛の目を浮かべる。
「市民の不安や怒りが集結するほど国にとって恐ろしいものはありませんからね。失踪事件の最中に
「……」
「私がいなくとも、誰かがいずれ解決できる問題だったのは確かです。ただ、相手の目的はその先にあったのではと。まぁ、新薬開発を兼ねた人を制御できる菌類の研究の観点から見れば、それも目的の一つだったのでしょうけど」
「私利私欲のためにそんなバカげたことするなんて」
仮にそれが人類のためであろうと、彼女にとってはエゴ以外の何物でもなかった。やはりあの女はこの手で討ち取るべきだと瞳の奥底を燻ぶらせたとき。
「そうとは限らないと思いますよ」
「じゃああんたは別の理由があるって言いたいわけ?」と苛立ちの口調。
「ええ、次の時代に備えるためです。近い未来、この国は滅びますから」
「……は?」
世間話でもするかのような口ぶりに、思わず聞き返した。
「ラドスの大噴火から5年経っているのですよね。おそらく、あと2,3年もしないうちに疫病が何ヶ国もの規模で流行して、ここも巻き添えを喰らって大勢の人間が死に至ります。人も物資も底が見え始め、先が見えなくなれば反乱も度重なる。果ては国政の崩壊と、革命。戦争に繋がる可能性も大いにあるでしょう」
「何を根拠に――」
「歴史を見ると、そう推測しちゃうんですよ。世界というのはどうしてか、周期的に災害が起き、疫病が流行っては反乱が2,3度おきる。そして、時代の特異点ともいえる転換――革命を迎えます。世の歴史は繰り返されるといいますが、特にこの国は典型たる事例でサイクル化しています」
オリアナの開いた口が塞がらない。あまりにも毅然とした言いぶりなので、本当にそうなのだろうと信じてしまっている自分がいた。
「縁の魔女はおそらく、それを自分の手で早めようとしている。歴史の再現性を実験して、次の100年、200年先を制御すれば、人類の存続の最適化が見通せるかもしれません。悪く言えば世界征服ですが、この表現も短絡的だといえばそうでしょうね」
「それは……本当なの?」
「本人でないので真相はわかりませんけど、あの人ならやっても違和感はありません。私と違って天才だったので、よく壮大なことで悩みがちな人でしたから」
ついてこれなくなったとオリアナは息をつく。ある意味、彼女と話すのは骨が折れる。
「ともかく、彼女は計画をラバ王国から始めようとしているのは確かです。これが成功すれば、いずれは世界へと
魔女の時代。それだけを理解したオリアナは目を丸くする。それだけは訪れてはならない未来。ふつと怒りが込みあがった時、清流のような穏やかな声が監獄の中で告げられる。
「だから、私は――私たちはそれを食い止め、解放させる必要がある」
凛とした紅の瞳。それがいつものおちゃらけた彼女でなく、真剣そのものだと物語らせた。
「”私たち”って……?」
「協力者ですね。都合上捕まるのがいいという結論になって収容されたのですが、今回の一時釈放も"彼ら"のおかげでできたことなんです。20年前の約束を果たしてくれてほっとしました」
「まさか誤報って――あんたが仕掛けたってこと!?」
「裏工作も5日はもってほしかったところですが、現実はそううまくいきませんね。でも何とかなってよかったです。あの人には感謝しないとですね」
「……20年前から既に、あんたらの計画通りに進んでいたってわけ」
「そんな計画といえるほどじゃないですよ。リスクの方が大きいですし、ぎりぎり倒れてないのが現状です。オリアナさん大丈夫ですか?」
くらりと壁によりかかったオリアナは何度目かわからないため息をついては肩を落とす。髪をかき上げ、気持ちを整えては呟くように口を開く。
「ちょっとついていけない。……答えてくれないだろうけど、あんたの仲間って何人いるの」
「5人ですね」
「そこ答えるんだ」
「名を言えば世間に疎いオリアナさんでも聞いたことがある人が一人は出てくると思いますよ。みなさんなにかと有名ですから」
「一言余計だけど、そんな言い方をすれば聞いてくださいと言っているようなものだけど」
ふふ、と笑ったリクシーレは嬉しそうに語り始める。
「"虚ろなる
数秒の沈黙。冷静で、否、大抵のことでは驚かないはずのオリアナの顔は固まったままだった。
「……は? いや、その……え?」
許容量を超え、無心の域に入りつつあるオリアナは息を吸い、吐いては気持ちを落ち着かせる。
「ほぼ聞いたことあるどころか、歴史に出てる人たちよね。とんでもないのばかりじゃない」
「かっこいいでしょ」と鼻を鳴らす魔女。
「やってることが偉業ならね」 と壁に凭れる騎士。そう、彼らは国々の見聞の見方によっては災害とも言わしめた隠蔽すべき歴史そのものであった。そのため、人々の見聞だけが伝染していき、事実が物語と化してしまった神話に等しい。
「人の歴史は時に、都合がいいように編集され、なおかつ曲解されますからおもしろいものですよね」
真相は史実と異なるとでも言いたいのだろう。だが少なくとも、王政の動向を動かせるほどの権力をもつ存在が魔女側にいることになる。焦る気持ちを抑え、オリアナは山ほど出てきた疑問の中から、ひとつずつ取り出していく。
「……解放って言ってたよね。あんたたちも何か目的があるの?」
「変動ある時代は繰り返されるだけ。不動の世界は衰退するだけ。どちらにせよ、人と魔女は相容れないでしょう。数の多い人間を動かすには、あまりにも犠牲が大きい」
だから、と続ける。
「すべての魔女を自由にするんです。そのために”魔女”を――ぶっ殺します」
言っている意味が解らなかった。だが、彼女が今述べた「魔女」は意味合いが違うとなんとなく気づいたオリアナは、あえて可能性の低い意味合いから言葉に出した。
「死ぬことこそが肉体からの自由だとでも?」
「概念からの解放です。犠牲になる魔女は変わらないと淘汰されるまま。たとえそれが人類のためであろうと、人は理解しないでしょう。人類を存続させるのは知恵や技術以上に、情緒なんだと。この世界と時代に、"私たち"は必要ありません。魔女が先導者たる資質を持とうとも、魔女が世界の窮地を救う術や知恵を持っているとしても、切り拓くのは"人間"でなければなりません」
そう思うに至る理由は何なのか。その解答にたどり着くまでに、何を見、何を聞きいてきたのか。底の知れなさを、海の奥へと続く深淵のような恐ろしさと神秘性を抱いたオリアナは、相反するような単純な返答をこぼした。
「何人かの魔女と対峙してきたけど、あんたほどわけわかんない奴ははじめてよ」
「ふふっ、嬉しいですね」
「褒めてないっての」
座り込んだオリアナは低い天井を見上げる。少し落ち着きたいと思ったが、そろそろ時間だ。気持ちの整理は湯あみの時にでもと思ったとき、リクシーレがふとしたことを聞いてくる。
「オリアナさんはどうしますか?」
「何がよ」と顔を向ける。
「縁の魔女を討ちたいんですよね。それと病気を治すのもそうですし」
「あんたには関係……」と言いかけたところで口を噤んだ。「とにかく今は無理よ。騎士団どころか、教会のしがらみだってあるんだから」
「今しかないと思いますけどね」
「……」
簡単に言ってくれる。すべてを捨てて望みを叶えられるほど、自分は強くもなければ愚かでもないのだから。
「私は行きますよ、エストマ国に」
だがその弱き賢人の意志は何よりも固かった。オリアナは息をつく。
「行くも何も、脱獄するつもり?」
どうやってといわんばかりの目。だが、一切の迷いなく、魔女は言う。
「旅をするだけですよ」と満面の笑みで。
「ものは言いようね」と呆れる。
「20年後の今、合図は来て、私はそれを受け取りました。彼らのために、そして魔女のいない未来のために。魔女狩りをやってたオリアナさんにとっても悪くない話だと思いますけど、きっと望んでいるものはそんなんじゃないですよね」
なんでも解っているような口ぶりが癪に障るも、次の言葉を待つ自分がいた。
「未来の子どもたちが笑顔になれる世界。自分みたいな苦しみを背負うことのない未来を望むために、いま戦っているんですよね」
「……なにをわかりきったように」と目を背ける。
「ま、オリアナさんの夢はどうでもいいんですけど」
「はぁ!?」
「――約束したんです。この世界を自由にしてみせるって」
自由。もしかすると、とオリアナは思った。それを望んだ末、彼女は、いや彼女だけではない。彼らは罪そのものになったのではないのかと。
さて、とリクシーレはオリアナの名を呼ぶ。遠くから看守の足音。交代の時間が迫ってきていた。
「支配に凭れたまま私の罪を罰するか、自由を背負って共に罰されるか。明朝までに決めておいてください」
「何を言って――」
「ですので、また近いうちにお会いするかもしれませんね」
冗談めいた口調。だがその言葉が現実になると、どこかで信じている自分がいることにオリアナ自身が気づくのは、もう少し先の話だ。
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