そして、魔女は往く

赤魂緋鯉

そして、魔女は往く

「ああ××××よ! どうして私をお救いになられないのですか!」

「信仰が足りなかったのかな……」

「〝魔払いの粉〟はどこなのーッ!」

「独り占めしやがって!」

「ズルいぞ! 寄越よこせ!」

「ふざけんな俺の金で買ったもんだ! テメエも聖堂で買えばいいだろ!」

「揉めてないで埋葬手伝えよ。下界に行ったら寝覚めが悪いだろ」

「てったってどこに埋めろってんだよ。公園墓地もいっぱいだぞ」

「鶏の骨捨てるみたいに焼けたらいいのになぁ」

「……おいっ。そんな事考えたのがバレたら捕まるぞ。聞かなかった事にしてやる」

「どうも。でもこの状況で憲兵なんか来やしないだろ」

「そこら中で殺し合いしてるもんな。憲兵さんも大変だなあ」


 とある貴族が統治する、立派な城壁で囲われたレンガ造りの大都市は、際限ない暴力と呻き苦しむ人々と死体で溢れかえり、まさしく地獄というほかない状況になっていた。


「しかし不気味だなこれ。なんか湿ってるし」

「汗じゃねえの? さっき死ぬ前になんか暑そうにしてただろこの人」

「そっか。まあなんか臭い訳でもないしな。そういや、こうなった死体を革手袋でつかむおまじないみたいなのあったよな?」

「んなことしてる暇ねえだろ。墓地に持って行く前に腐りだしたら面倒だ。さっさと運ぶぞ」

「へいへい。まったく、非番だってのに」

「仕方ねえだろ。あっちこっちで死んでるんだから人手が――」

「おいおい、唾でむせたか?」

「この所こうなんだよな。年寄りでもねえのに」


 役人が荷車で運搬する死体となった人々は、特徴的な青紫の斑点が全身に浮かんでいて、生きている人も喉の奥に何かが溜まっているような咳をくりかえしている。


「領主様ー!」

「受言者様! どうか我々に××××のお言葉を!」

「開けてー! 〝魔払いの粉〟を買わせてー!」

「お金なら出します! どうかご慈悲を!」

「領主様ー……」

「痛いよー…… 苦しいよぉ……」


 街の中心部には領主が住まう、聖堂と一体化した美しい城がそびえていたが、塀の門は固く閉ざされていて何人もの人が咳をつきながらその前で懇願こんがんしていた。


「あれ何人か死んでおりますね」

「良く分かるな新入り」

「なんとなくであります」

「どれか教えてくれ。私も見分けたい」


 ひれ伏す人々の中には、力尽きてそのまま動かなくなる者も多々いたが、誰もが分厚い鉄の門へ言葉を尽くす事に必死で、塀の上にいる面白半分の警備兵以外は気に留める者はいない。


「なあ相棒。今日起きてから領主様のお姿見たか?」

「いーや? なんか使用人の話だと、ここ数日聖堂に籠もりきりらしい」

「へー、何してんだろな」

「さあなぁ。学があれば分かんだろうけど」

「そういやお前、なんで布なんか顔に巻いてんだ?」

「今の時期は健康に良いらしい、って占い師のお嬢ちゃんが言っててな」

「そういう迷信を信じるもんなぁ。お前」

「お前もやってみろって。なんか身体に良い気がすっから。まず綺麗な井戸水で手と喉を――」


 腐敗が始まりつつある死体や弱っていく人々を、弓矢を背負った門兵の2人は、城門上の詰め所から見下ろしながら無駄話をしていた。


「ちょっと前に、三角の帽子被ったローブの女の子いたじゃん?」

「乾季なのに白いマフラーを巻いていた彼女、ですか」

「うん。あの子、なんかビョウキっていう災いが来る、みたいな占いしてたけど、当たっちゃったね」

「左様でございますね」

「じゃあ、やっぱりこの〝幸運の白い布〟も付けてた方がいいのかなぁ」

受言者じゆげんしや様はなんと?」

「気休めだって言ってたけど、止めなさいとまでは言われなかったよ」

「お嬢様はどうされたいのですか?」

「付けてようかな。せっかくあの子から貰ったし」

「こちら洗っておきますね」

「触ったら手を洗うの忘れちゃダメだよ」

「はい。……その、私もお嬢様と同じ物を頂けませんか?」

「いいよ。お揃いだね」

「はいっ。有りがたき幸せでございます」


 メイドがこっそり持ってきた新聞を自室で読んでいた領主の娘は、こっそり街へ外出していた際、仲良くなったある少女から貰った厚手の布を綺麗な物と取り替えて顔に巻いた。





「私が至らないばかりに、間に合わなくてごめんなさい……」


 生き地獄と化した夕暮れの街の片隅で、白いリボンを巻いた三角帽子に、白いマフラーと黒いローブを身につけた魔女の少女が次の街へ旅立とうとしていた。


 目を閉じて悲しげに悼んでいる彼女は、街の中心部を一望できる高台に建つ、屋敷の屋根の棟にいた。その手には丸形の長柄ほうきが握られている。


「……お見送りに、来てくれたんですか?」


 そんな彼女の足元に、この家で飼われている黒猫が、にゃあ、と一鳴きしつつ尻尾を立てて嬉しげに寄ってきた。


「ああ、こんなところに」


 良い子良い子、とでていると、魔女の後ろにある窓が完全に開いて、家主かつ黒猫の飼い主で、魔女をここ数ヶ月泊めさせてくれていた若い女性が顔を見せた。


「あれ? もう行っちゃうの?」

「はい」

「こっそり行こうとするなんて水くさいじゃないの」

「すいません……。なるべく目立たない様に立ち去るのが規定なもので……」

「別に怒ってないわよ。……寂しく、なるわね」

「……ですが、ここでの私の役目はもうお終いですので……」

「あとは人間の仕事って訳ね」

「はい。……もっとも、仕事をさせてくれそうにもありませんが……」

「まあしょうが無いわ。ここじゃまだ、医学は占いとかおまじない扱いですもの」

「先生……」

「もうっ、先生は照れるからやめて。まだまだ半人前だから」


 言葉とは違って憂いを含んだ乾いた笑みを浮かべる女性は、まだある地方で確立されたばかりである医学を、書物を用いて独学で学んでいた人物だった。


「そう呼ばれるべきはあなたよ魔女さん」

「いえ、私は単なる〝知識を配る者〟ですから」


 魔女はその地方から医学を広めるために派遣されたが、占い師としか思われず、やんわりとではあるが領主ににらまれ困っていた所を家主に助けられていた。


「本当、あなたって律儀でおごらない良い子ね」

「い、いえ……」


 よいしょ、と黒猫を回収するために家主も屋根へ上がって、褒められて照れ笑いを浮かべる魔女へと近づく。


「あわっ、落ちちゃいますよっ」

「ちゃんと命綱つけてるから大丈夫」


 魔女は慌てて黒猫を抱き上げると、もう1歩踏み出そうとしていた家主の元へ駆け寄って手渡した。黒猫は不満そうに尻尾を振っているが暴れる様子はない。


「オニキスさんも寂しいみたいですね」

「そうでしょうね。私へより懐いてたし」

「あはは……」


 女性がちょっとねた様子で言うので、魔女は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。


「……次は、どこに行くなんてこと、教えて貰える?」

「残念ながら……」

「そう……。ああ。それで、街の流行病は手と喉を洗う事と、布を口に巻いて死体に素手で触らなければいいのよね?」

「はい。もしかかってしまったら、あの薬草を煎じた物を飲ませて安静に、が鉄則です」


 別れの時が間近に迫り、2人の交わす言葉はどこかしんみりしていたが、対処の再確認をすると、途端に魔女ははきはきと答えた。


「やっぱり良い子ね」

「あ、ありがとうございます……」


 その様子に目を細めてそう言った家主の表情に、魔女は帽子のつばを下げて耳まで赤くしながらお礼を言う。


「もし機会があればだけれど、寂しくなったらまた来てもいいのよ? 私はここでいつでも待ってるから」

「有りがたいお話ですけれど、魔女と人間は、生きている時間の長さが違いますから……」

「もし私に寿命が来ても、ちゃんと誰かがあなたを迎えられる様にするわ」

「そ、そうじゃなくて、ですね……」


 魔女がそう言ったきり、俯いて黙り込んだところで、オニキスが、降ろせ、とばかりにもぞもぞ動き、家主が屋根に降ろすとオニキスは家の中へ入っていった。


「私を忘れてしまうのが怖いのね?」

「はい……」


 肩を小さく震わせる魔女を家主は抱き寄せ、その小さな背中を優しく撫でる。


「これ、持ってて」


 家主は手を離すと、革紐かわひもで首にかけていた指輪を魔女に手渡した。


「でもこれは……」

「この世で大事な人にあげる指輪だから、あなたでいいのよ」

「せ、先生ぇ……」

「だから先生はやめてってば」


 顔を上げた魔女は顔をゆがめる程ぼろぼろと涙を流していて、笑っている家主もそれをみてもらい泣きをしていた。


「――じゃあ、またね」

「――はい、また」


 涙の別れにならない様に穏やかに微笑む魔女は、家主とそう言葉を交わすと、ほうきの柄に横乗りして山地とその上に湧き上がる雲の方へと飛んでいった。


 ――そして、魔女はく。まだ見ぬ未来の誰かを救うために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

そして、魔女は往く 赤魂緋鯉 @Red_Soul031

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ