第5話 元仇敵、現友人

「いや俺だって驚いたぜ。『俺が殺した忍者が同じ大学にいる! しかも同期生!』ってな。お前を殺したあと、丁寧に検めさせてもらって、殿は適当に捨ておけとは言っていたが、敵とはいえ仏さんを乱雑に扱うのも俺の中では流儀に反するし、丁重に葬らせていただいた。そのとき顔もしっかり見てたから、お前の顔も覚えてたんだよ。暗殺や諜報が世に蔓延ってた時代だったが、殿の暗殺は初めてだったから記憶に残ってたのかもな。それと――俺もあのとき、人を殺したのが初めてだったから」

「むしろ後者の方が俺を覚えていた主な理由なんじゃないか?」

 そうかも、と乾いた笑い声をたてる大瀬木は、普段の人畜無害なロクデナシを感じさせる雰囲気があまりない。

 前世で殺してしまった俺のことでも悼んでいるのか、前世でひとを殺してしまった罪悪に囚われているのか。

 ――俺にはなかった感覚だな。


 場所は大学の食堂である。三限目の最中のこの時間は、俺たちと同様空きコマになって行き場をなくし、時間潰しに誰かと話す学生や、早めのお昼を食べている学生、両手に収まるゲームソフトで黙々とゲームに勤しむ学生の姿がまばらにあった。

 大学が本格的に講義を始めておよそ一ヶ月が経過すれば、みんなある程度の余裕が出て来たらしく、食堂でレポートなどを広げている勤勉タイプの学生は少ない。ラウンジや自習スペースだったなら勤勉タイプはいるかもしれないが。

 そんな人もやる気もそぞろな食堂の隅の席を選んで、俺と大瀬木はまるでお見合いのように背筋を伸ばして膝に手を置き、向かい合っていた。

 微妙に嫌な感じの例えを出してしまって気分がほんの少しげんなりした。

 だが、ある種の期待もまた俺の内側を侵食していく。


「いやぁ、まさか前世で殺した奴が同じキャンパスにいるなんてすごい偶然だよなぁ! それともこのキャンパスにいるほとんどの奴が、前世で前世の俺たちとなにかしらの関係でもあった奴らなのかな――……」

「大瀬木」俺は空元気に振舞おうとする同期生を制止させるため、強めの語気で呼びかける。

「なんだ?」

「いつ、思い出した?」

 別に大瀬木が心配だったからとか、「無理して明るく振舞うな」と善人ぶったアドバイスをしようなんて殊勝な心掛けがあったわけじゃない。

ただ気になったのだ。

 俺は前世の記憶を思い出して二週間は寝込んだ。

 大瀬木も俺と同様に前世の記憶を思い出したと言うのなら、同じくらい寝込んだっておかしくない。

 人間の記憶のキャパシティは許容量を超えると肉体に影響が出る。普通の人間だって精神に影響されて身体を壊すなんて話はザラにあるのだから、なにもない方がおかしいのだ。

 俺を殺した前世を思い出したと言うのなら、彼も俺と同程度に体調を崩した期間があってしかるべきなのである。

 大学二年生になってから約一ヶ月、大瀬木が休んだ日はなかった気がする。誰かと話す姿も見たし、同じように選択している講義もいつも出席していた。ゼミも同じで同ゼミ生でもあるため、前世の記憶を思い出すほどの体調不良になったという話があれば、いくら関係がそんなに深くないと言っても耳に入るはずなのだ。

 ならばいつ、彼は思い出したのか。

 俺と同じように春休みの最中か?

 それなら俺が気付かないのも無理はない。春休みに一緒に遊ぶほどの仲ではないのだから。

 それとももっと前……俺と大瀬木の初対面は大学の入学式だったが、そのときすでに? あり得ない話ではないが、今まで大瀬木から先ほどの鎌をかけるような発言はなかった。今になって突然、それも俺が前世を思い出してそれほど間を置かずにあの発言、偶然と片付けるにしては少々引っかかる。

 俺が前世の記憶を思い出したのはケーキ屋にみけがいて、その顔を見たからだが――では彼は?

 俺と同じように春休み中に、前世で縁のある誰かを見つけて思い出した――まあ妥当な線だろう。他にどんな前世の思い出し方があるかなど知らないので、思いつくのはそれだけだ。

 言ってしまえば個人的な知的好奇心。

 大瀬木への思いやりなど一切ない。

 同じ前世の記憶持ちなど、一生にひとりいるかいないかだろう。そんな“相談に丁度いい相手”は逃したくない、というのが本音だ。


 ややあって、大瀬木は何度か頭を掻く仕種をして、「……最近だよ」と答えた。

「最近? 春休み中か?」

「いや、大学が始まって三日くらい経ってからかな」

「え……お前、前世の記憶を思い出したのに大学毎日来てたの? 実はゴリラ?」

「松尾の中のゴリラってどんな存在?」

「体力と精神力が人間よりバグってる存在」

「ゴリラを褒めてるのか貶してるのか……」

 まあそれは置いといて、と、大瀬木は両手で物を脇へ置いておくジェスチャーをした。

「それだけ聞くと、松尾は記憶を思い出してから大変だったのはわかるな」

「二週間寝込んだよ」

「……どれくらいの記憶を思い出してる?」

「ほとんど全部。普通に子供の頃を思い出すみたいに、前世のことも地続きで思い出せるが……大瀬木は違うのか?」

「違うね」言いながら、大瀬木はペットボトルの蓋を開けた。中身は炭酸のようで『プシュ』という軽快な音が鳴る。「俺はなんというか、断片的なんだよ。ほとんど虫食い。なんなら前世の自分の名前も思い出せない」

 ペットボトルを傾けて飲む大瀬木の次の言葉を待つ。あまり変に質問して横道に逸れるのは望んでいない。俺は前世の名前思い出せるなぁとか言って雑談が始まっては本末転倒だ。

「フラッシュバックって言うんだっけ。そんなに病的なものじゃないけど、それにちょっと似てるかも。前世のあのときのあのシーン、このシーン、こんな会話、あんな状況……夢や空想と断言するには写実的すぎるかな。それに思うんだ。『あ、これ、記憶だ』って」

「割り切るのは意外と難しいんじゃないか?」

「難しかった……とも言い切れない。俺さ、ネット小説とかも好きなんだよ。最近はすごい流行ってるじゃん、異世界転生。あれが俺にも起こったらなー、でも死にたくないしなーって常日頃から思ってて、そんな折に超リアルな前世の記憶っぽいものが! 願ってもない幸運、たなぼた! ってことで、割と素直に受け入れちゃったな」

「ふうん」

 俺の記憶との共通点はあると言えばあるが、個人差によるものが大きいようだ。

「で、俺を殺したところはしっかり思い出せるんだな?」

「察するの天才か?」

「俺の顔やら初めて殺したやら殿様の発言やら、やたら詳細に覚えていること先に言っておいて察するなと言う方が無理がないか?」

「それはそう」

「どんなタイミングで?」

「うーん……」顎に指を添えて背を反らし、考え込む大瀬木はやがて噛んで含めるように「わからん」と答えた。少し期待していたので力んでいた身体が一気に弛緩する。

「なんだよ、それ。なんのきっかけもなく前世の記憶が蘇ったのか?」

「そういう松尾はどうなんだよ。そこまで言うならなにかきっかけがあったんだろ」

「う……そりゃ、あ……」

 ある、が、言うべきか逡巡する。

 同じ前世持ち、俺を殺した敵の武将、でも前世の話を共有できるレアな存在、でも俺を殺した奴。そんな相手に易々と「前世の妻に瓜二つな女性を見て」と答えられるだろうか。俺としては少々、いや多大に躊躇する。しかも前世の大瀬木に殺され、意識が死に向かう直前までずっと彼女への恋慕を叫んでいたなど――多感な大学生が同期生に打ち明けるには甘酸っぱすぎて無理がある。俺を殺した前世の大瀬木にも失礼なんじゃないか? という的外れな気遣いまで首をもたげる始末。

 前世の話を共有できるようになったが、それはつい先ほど三十分も経っていない現在の時点で、今までの大瀬木との関係は飲食物と交換に耳より情報を得、あとは専攻するゼミが同じなだけ、そのほかは別に一緒に昼を食べたり大学帰りに遊ぶなどと言った交流は一切していない単なる同期生である。

 そんな相手に急に恋バナ? 難易度が高い。

結果、大瀬木への返事が途中で止まった。

「? どうした、松尾? きっかけは?」

 俺の葛藤をなにも知らない大瀬木は無邪気に訊いてくる。

 そりゃあ突然前世を思い出して、その話ができる相手がいるとなれば、どんな情報でも知っておいて損はないだろう。俺だって根掘り葉掘り大瀬木に訊きまくったばかりだ。

 きっかけに心当たりのない大瀬木が、きっかけをしっかり覚えている俺に、参考としてそのきっかけを訊ねるなどまったく不自然ではない。

 不自然ではない。

 しかし俺はあまり話したくない。


やがて「あ……」とか「う……」とか、多くの世代に親しまれる人気映画の仮面の男のような呻き声を繰り返す俺を見て、踏み込んではいけないラインを察したらしい大瀬木が、

「いいよ、言いたくなければ」

 と追及を諦めてくれたお蔭で、重々しい葛藤と逡巡から解放された。

 大瀬木の表情にはそれはそれは優しい、慈しむ聖人のような笑顔が浮かんでいた。どんな解釈が彼の中で紐づけられたのかは不明だが、俺としてはありがたい。

 内実が前世の色恋を話したくない意地が大半を占めている葛藤だったとしても。

『前世の妻に瓜二つの女性を見て』

 これ以上に面映ゆい前世の思い出し方など、そうそうないだろう。

 こんな恥ずかしい話、語らないに越したことはない。

 ということで心からの「ありがとう」を大瀬木に伝えることができた。

 どういたしまして、と言う大瀬木から、続く「だからお恵みください」の発言を予想したが、予想に反して彼はなにも言ってこなかった。ただ、じっと俺を見ている。


「なんだ、大瀬木、俺の顔になにかついて――」

 あまりに俺を見るので俺の顔に異常でもあったのかと思い顔をペタペタするが、付着物はなにもない。

「いや――」反射で大瀬木は否定しかけたが、大瀬木はなにかを思い留まったような曖昧な仕種をしてから俺に向き直った。「いや……俺さ、前世を思い出して、お前を見て愕然としたんだよな。だって俺、前世とは言えお前を殺したんだぞ。さっきの冗談みたいな『俺に殺された前世でも思い出したか?』なんて発言だって、できれば思い出しててほしくない、前世の記憶なんてないままでいてくれって思ってたのに、お前完璧に覚えてるし、なのに――」

 ふと、大瀬木が言いよどむ。なにかを躊躇っている風にも見える表情だった。

「……お前、覚えてるのに、俺を怒らないし、憎んでもないし、恨んでもないし……『よくも殺してくれたな』って言われて絶交されてたっておかしくないくらいのことなのに、その……」

「なんだお前、俺に怒られたかったのか?」

「怒られたくなんかないよ! ……でも、なんでお前が怒らないのか、そっちのが不安」

「………………」

 まあ――わからないでもない感覚だ。

 そりゃあ人間は死にたくない生き物なのだから、殺されたら憎むし恨むものだろう。怨めしやと出てくる幽霊だって、なにが怨めしいかなんて明白で簡単に言えば『よくも殺してくれたな』の一言に尽きる。それが普通の人間の感覚なのだろう。そう――普通の。

「俺は忍者だったからな」

 そして俺は、普通の農民や武将ではなく、忍者だったのだ。

 ただひたすらに従属する里のために、ひとを騙し、かどわかし、殺し――そして、死ぬための。

 里のためだったら命を捨てることなどわけないと言い切れる。そのように育てられた忍者だった。

 だから、殺されても、まあ里の情報を喋らなくてよかった――程度で、目の前で俺を斬り殺した武将にもなんの感慨も持たずにさっさとみけへの恋慕に意識を移せた。


「そういう時代だっただろ。殺さなければ殺されてたし、大瀬木が俺を殺さきゃ大瀬木の言う『殿』は俺に殺されてたかもしれなかったんだ。その程度で恨みをぶつけるようなちゃちい忍者じゃなかったよ。それは忍者の誇りだ」

「……でも」

「殺された俺が気にしてないと言ってるんだ。大瀬木も気にするな」

 大瀬木はなにか言いかけて口を開き、なにも言わずに唇を噛みしめて、無理矢理笑顔を作った。

「じゃあ俺たち、友達になれる?」

「なれるんじゃねえの」

 俺はすげなく答えた。

「じゃあ! じゃあさ!」膝の上に固く結んで置いていた拳をようやく開いた大瀬木は、右手をパーにして俺へと突き出した。「俺のこと、大瀬木じゃなくて『ショーブ』って呼べよ! 俺も松尾じゃなくて名前で呼ぶから!」

 予想外の提案に思わず顔がぽかんとなるのがわかった。

 今後も深まるほどの仲ではないと思っていたが――いやはや、人の世とは合縁奇縁、こんなこともあるもんだ。

「わかったよ、ショーブ」

「ああ! ありがとう! ……、……」

 ふと黙った大瀬木、もといショーブは、難しい顔をして首や胴体をくねらせた。

 そして絞り出す声で問う。

「松尾の名前、なんだっけ……」

 本当に申し訳なさそうに言うのだから怒りも沸かない。こんな風に怒りを抱かせず相手の懐に入り込めるから、人好きのするロクデナシなのだろう。

「カタルだ。松尾語琉。間違えんなよ、ロクデナシ」

「ありがとうございます、カタル」

 これからよろしくお願いしますと交わした握手は、互いに緊張しての対談のあとだったからか、しっとりとしていた。


 大瀬木菖蒲。

 今世の俺の友人で、前世の俺の仇敵だった。

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前世の妻を見つけたので再び夫婦になるためケーキ屋に通うことにしました。 巡ほたる @tubakiya

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