第4話 今後も深まるほどの仲ではないだろう

「松尾、次の講義空きコマになってるからここにいても無駄だぞ」

「は? まじかよ」

「ちゃんと大学のサイト見とけって。そういうとこ杜撰だよな」

「うるせ」

「おいおい、わざわざ空きコマになった情報を教えてやった人間になんて口きいてるんだ。なにか駄賃くらいくれたって……いや、お礼くらい言ったって罰は当たらないぞ」

「急に要求のハードル低くするな、戸惑う」


 最初に駄賃をせびられることを予測していた俺は、リュックの中身を探った。

俺に声をかけた同期生は常に空腹、常に金欠、ゆえに飯ヅル金ヅルを兎角求め続ける最高のロクデナシであるが、でかい図体に見合わない愛嬌から「仕方ないなぁ恵んであげよう」と甘やかされている。

 最前の駄賃を求めた直後にお礼をよこせと要求のランクダウンも、彼の得意とする話術だ。なんというか、ここまで言うならなにか渡さないとこっちが悪者みたいだ、と思わされてしまう。この話術のほかにも様々な手練手管で大学中からの施しを甘受している。

 狡い奴だ。

 しかしランクダウンの話術以前に、確かに俺は彼からこれから始まると思っていた講義が空きコマになった旨を聞いて助かったばかりなので、礼を言うのは当然として、物資も与えなければ今後このように彼が空きコマ情報を教えてくれることもなくなるかもしれないという危惧もありつつ、駄賃として昨日買っておいたちょっといいクッキーを恵んでやることにした。ので、リュックを探ったのだ。


「ありがとう、大瀬木」

「どういたしまして、そしてお恵みありがとうございます」

 せびった割にはちゃんと礼も言えるから憎めない。これで施しを当然とふんぞり返っていたら誰にも相手にされなくなるのだろうが、そんなことをせずきちんと礼を返し、また有益な情報を運んでくるから飯ヅル金ヅルは絶えないのだろう。

 世渡り上手と言うと綺麗な言葉すぎるか。

「なにこのクッキー、めっちゃ美味い」渡したクッキーを即座に開封し頬張った大瀬木は途端に快哉を叫んだ。「三個入りクッキーとかしけてんなとか思ってたのに!」

「そんなこと言うならクッキー返せ」

「やだよ美味しいもん、残りも美味しく食べる」

 失礼な発言に気を悪くしたふりをして「返せ」の意思表示に右の手の平を向けると、でかい図体を丸め込んで大瀬木はクッキーを守る姿勢を取った。それほど美味しかったのだろう。当然だ。ケーキ屋で売られている焼き菓子は、一見単価が高そうに見えるがそれはケーキ屋の厨房で作られた『メイド・イン・ケーキ屋』の焼き菓子だからで、そこらのコンビニやスーパーといった量販店で売られているクッキーと比べるべくもない。

 人の温かみというのか、余計な化合物が入っていないというのか……まあそこはいいや。


 大事に大事に三個入りクッキーを食べている大瀬木は、それなりに親しい同期生や先輩からは『ショーブ』と呼ばれている。まるでカードゲームの決闘者のような響きだが、漢字にすると『菖蒲』であり、花の名前で彼の名前だった。図体と名前が一致しない。

 俺はこうして空きコマの情報やどうやら今日の学食がハンバーグらしいという情報を飲食物と引き換えにする程度の仲なので、彼を『ショーブ』と気安く呼べるほどのものではない。彼も俺のことは苗字で呼ぶので、まあ、今後も深まるほどの仲ではないだろう。


 彼がほぼ無心でクッキーを食べている間、少し回想に移らせてもらう。そもそものクッキーについてだ。

 先に挙げた情報ですでに察せられると思うが、あのクッキーはケーキ屋〈ペチカ〉で購入したものである。偶然持っていたのではない。俺はここ最近、様々な〈ペチカ〉で購入した焼き菓子をほぼ毎日リュックに忍ばせている。

 大瀬木の手に渡ったクッキーは昨日大学帰りに買ったもので、その前はフィナンシェ、先週はフルーツパウンドケーキが入っていた。


 俺が現代のみけと再会して、どうやって彼女と店員と客の関係から脱しようかとうんうん唸って考えた策は――単純明快、まず〈ペチカ〉の常連になろうと考えたのだ。

店員の彼女に顔を覚えてもらって、良客として彼女の海馬に滑り込む。常連の良客ならば悪い印象を彼女に与えたりはしないだろう。そんな感じで彼女の記憶中枢に俺の存在をサブリミナル効果的に記憶させ続ける。

そしてある日、〈ペチカ〉ではない街中で俺と彼女はばったりと出会う。「あら、いつもの!」彼女が晴れ渡らんばかりの笑顔で俺に向かう。俺は紳士的に挨拶をし、街中で偶然会った顔見知り以上知人未満の彼女となんとなく流れで喫茶店などに入り「店のケーキがこう美味しかった」「あの焼き菓子の味が忘れられなくて」など文系大学生の才覚を本領発揮し、彼女を口説くように〈ペチカ〉の商品を褒め続ける。自分の働く店の商品が褒められて嫌な気持ちになる人間は早々いないだろう。彼女も例外でなくまるで自身が褒められているかのような気持ちになり、自然と俺への好意が良客の枠を超えていく。陽が傾き始めた頃に俺と彼女もいい塩梅に帰ろうかという雰囲気になり、喫茶店で俺が彼女の分の勘定も済ませて別れる。そして俺の手元のスマホには、彼女の連絡先がしっかりと刻まれている――

 なんという完璧な計画!

 わやわやした箇所があるような気がするが、そんなものは些末な問題だ。

 後半に至っては計画なのか妄想なのか判断がつかない部分もある気がするが、それも些末な問題だ!


 これで冷静な部分の俺がいたら、『俺よ、考えすぎて頭が悪くなってるよ、休んだほうがいいよ』と優しく諭してくれたのだろうが、残念ながら徹夜で考えたこの計画は思いついた瞬間天啓のような素晴らしいものに思え、そのあとしっかり眠ったはずなのに計画の杜撰さとアホさに気付かなかった。そしてこれからも気付くことはない。


 そんな感じで俺は足しげくケーキ屋〈ペチカ〉に通うことにしたのだ。

 すべてはみけともう一度夫婦になるために。

 忍者の仕事でもそうだった、まずは近辺へ情報を集めたりときには新たな住民として住みついたり、地道な計画からのスタートだ。

 この、一歩間違えればストーカーに見えないこともない上に、大学生の僅かな小遣いに割とでかめのダメージを与えてくる計画を実行するに至ったのは、みけへの恋慕がなにもかもを霞ませるほど俺の中を占めているからである。


 愛しいみけ。

 愛するみけ。

 敵の城の武将に殺されてもなお、敵への怨念より彼女への恋慕の方が大きい。

 みけ。

 お前のためなら、変人の誹りを受けても怖くない。

 ――あ、でもみけに変人と思われるのはちょっと嫌――


 決行している計画の反芻から始まりみけへの恋慕で終わった俺の回想を打ち切るように、大瀬木が肩を叩く。

「どうした? 俺に殺された前世でも思い出したのか?」

「なんだよ敵の武将(おまえ)か――敵の武将(おまえ)ぇ!?」

 ケーキ屋のクッキーの最後のひとかけを美味そうに食べきった同期生の大瀬木は、前世の俺を殺した武将と瓜二つだった。

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