【機械の翼】

渦目のらりく

エデンの園

   【機械の翼】      


 枯木こぼくは思った。

 いま眼下で粉々となった物は、数多のスクラップを継ぎ接ぎにして出来上がった、歪な形状のであると。

 かつてより自分が根を張っている、地を剥き出した丘の頂上てっぺん。見上げれば、朧げに、霧にかすれた毒空掻き分けて――見える。

 西に暮れていくオレンジ色の夕暮れ。東の方からは夜と星屑がやって来ている。無機質な風。夜と夕暮れのコントラスト。そこからは荒廃とした地平の彼方かなたが全方位に見渡していけた。

 空を見るのはどれ程振りだろうと、枯木は思った。

 かつて実をならせた一本の枯木の側に、機械は墜落していた。

 その身を大破して、もうリペアの効かぬ程に体はひしゃげていた。だがそれでもまだ僅かに意識を繋ぎ止めていた。

 鉄に覆われた顔を動かし、明滅する視覚レンズの角度を変えると、最後に折れた機械の翼に手を添えて、瞳に灯った光を消していく。

 偉大なる枯木の足下に伏し、天上に淡い金色の空を携えた一体の機械は、

 周囲に散乱したスクラップにうずもれた、人か機械かも判然としないは、

 何処どこか……

 幸せそうにしている、と枯木は思った。

 鉄に埋め尽くされたその冷たい体の何処からも、感情などという不必要なモノは排除されているのに。それを表現する方法もまた、彼等は切り捨てて、鉄のマスクを被ったとそう言うのに……

 剥がれた仮面のその下に、しわがれた肉の口元を見て、枯木はそう確信したのだった。


   *


 痛みを感じない機械の兵士は、ただ冷徹に目的を遂行する。

 世界大戦の勃発を皮切りにした人口の著しい減少を前に、人は人命優先の為に機械の兵を作った。

 やがて保有する機械の数こそが軍事力の象徴となると、対抗する様に各国も量産する。

 機械の兵士同士を戦わせる事こそが、人道的であると信じられた。

 現にそうであった。

 それは人類達による合理的な思考の結論であり、いずれ訪れる結末でもあった。

 より洗練された兵士とする為に、より合理的で的確な“思考”を伴い、他国より抜きん出る為に、各国は機械のアップデートに執心した。

 その結果、物言わぬ無機物であった筈の彼等へと、まるで神にのみ赦された特権を行使するかの様に、人は知能を分け与えた。

 冷たい鉄に命を吹き込んだのだ。


 ……未来。


 機械の戦争が起きた。

 それは各国による戦争では無かった。

 知能を得た機械達による人間への反乱であった。


 それでもやはり人の知能がまさった。彼等の叡智えいちたる頭脳を持ってして利用される科学という名の魔術によって、プログラミングされた思考を繰り返す人の贋物がんぶつは、スクラップの山となる。


 しかし、人には命尽き果てるまでのリミットがあった。

 機械にはそれがなく、命無いだけに際限なく湧き上がり続けた。


 灰色の。

 荒廃していく汚染の下で、人は健やかな繁殖の機会を失った。

 世界を覆い尽くした毒空の下で、満足に遂行できるのは機械だけとなった。


 ……故に人は機械と融合した。


 不具合があれば修整し、リペアする。足らぬパーツがあれば自らで生成し、外界に適した新たなる姿を獲得する。

 機械を滅ぼす為に機械を取り込んだ。

 痛み、怒り、不安、哀しみ、快楽、愉悦、嫉妬、軽蔑……

 ――感情。心。

 無垢なる生存競争に置いて、非合理は排他された。

 欲と感覚の遮断。

 電子データに置き換えた思考の共有で皆は同一となる。

 共有された脳のデータベース上で至極合理的に遂行された選択は、人を人たらしめるモノを焼却していった。

 やがて人は老化していく肉の身を脱ぎ去り、冷たい鉄の臓器に依存する。

 思考するのは種の存続に置いてのみ。個は既に失していた。

 思えばこれこそが、人と機械の生存争いであった。


 長い長い戦争の果て、機械の肺でしか生きられなくなった世界で、人は種を存続した。

 しかしそこにはもう、人以外の命の全てが無かった。

 あるのは荒廃と灰色の空。

 合理的なる思考と際限の無い命。

 巨大な機器やパイプに接続された姿は最早……。

 揺れ動く事の無い徹底とした思考は既に……。

 人では無かった。


 気付けば人は死に絶え、機械による地上の支配が成っていた。

 残された無機物達は標的を見失ったが、目的が達成されたのでそれで良かった。

 考える事もまた、無かった。

 それぞれが無限の命を維持し続け、ただ息をしていた。

 そこに目的は無く、生命だった頃の本能の名残りに従うのみ。

 ――人は誰も死ななくなった。

 ある意味で、平和と繁栄は成された。

 外敵はもう無かった。

 命尽きる事もまた無かった。

 故に人と交わる必要は皆無だった。

 感情を消滅させた思考の前に、今や全てが虚無だった。

 ……もう思考する必要は、無かった。


 茫漠ぼうばくとした時がいたずらに過ぎゆく。停止された者達はもう、無機質に自らのオートリペアを繰り返すのみ。

 動く事も、考える事もまた無駄だった。機械と一体化した思考回路を前に、全ての不必要は排他された。必要の無い物を削ぎ落とし、人は合理的にだけ存在する。

 全ての者が虚ろなレンズを正面に向けながら、スリープモードに入った。

 彼等は誰も動かなくなった。

 それもまた不必要なエネルギーの消費を排他しただけの事だった。

 必要があればまた起動する。

 必要が無いから、眠っている。

 エネルギーの供給と生成、不具合の修復。大方の事はオートシステムで解決された。

 楽園エデンに辿り着き、永遠を叶えた人類は、石になった。


 ……しかし時に、機械はバグを産み落とす。

 ある海岸では一人立ち尽くしていた。

 弧を描いた白き砂浜を足下に、汚染された紫色の海を視覚レンズの向こうに見渡している。西に暮れていく赤い太陽を、鬱々とした毒の空の向こうに仰ぎ続けながら。

 潮風にさび果てていく機械の体。オートシステムを停止して自壊を待ち侘びた破滅的な思考の一つは、完全なる不具合バグでしかない。

 は、空を見渡していた。

 その無限の天上に、データベースの中にある“鳥”という生物を探し続けた。

 しかし生物は無かった。

 されど彼は不必要に空を見上げて、思考する。

 ――コノ空ハ、何処どこ迄続クノダロウ?

 この空の向こう果てしなくを行けば、やがて大気圏へ突入して宇宙へと続く。ただそれだけの理屈は理解している。

 そもそもそういった思考には何の意味も無かった。

 理解していた。

 無駄であり不必要であり排他するべきモノであった。

 理解していた。

 であるのに彼は、機械の廃材流れ着いた白い海岸で立ち尽くす彼は、この地平の果てに何があるのか、どんな景色が広がっているのか、そういったに、想いを馳せた。

 ――空ヲ飛ビタイ。鳥ノ様ニ自由ニ。

 憧れという感情は、遥かな過去に焼き尽くした筈であった。

 苛烈を極めた生存争いの最中に、無駄と断じて捨て去った劣性感覚でしか無かった。

 でなければ機械の掃討は叶わなかった。

 だからそうした。

 それ程過酷であった。

 生き残る為に。

 種の存続の為に。

 大切なナニカは切り捨てなければならなかった。

 ……であるのに彼は、思考していた。

 何故なにゆえ憧れを抱くのか、空を飛んだ所で意味などあるのか、この先の景色を見た所で何が変わるのか……非合理的だ。

 そもそも解答の出ている場所に出向いて何になる。そこに何があってどの様になっているのか、それは統合された人類達の記憶データベースによって解を得ている。解らぬ事など何一つとし無い。人類が過去積み上げて来た叡智えいちの結晶。その細部に至るまで、数千年に至る知識と記憶と財産の全てが電子となってネットワークに共有されているのだから。

 知らぬ訳は無い。

 この空の先に何があるか、海を越えたその先、大陸を辿り山岳を越え、そこにいかような世界があるか――解らぬ訳も無かった。

 ソレデモ……彼は鳥に憧れて、空を目指した。


 白い砂浜を賢明に歩いて、出来損ないの彼は酷く不安定に歩き始める。潮風に錆び付いた体は一歩踏み出すだけで軋む音を出して、潮気を含んだ優しい風は、隙間だらけの彼の内部へと入り込み、鉄の臓器を浸食していった。

 身体に及ぶ損傷箇所を自動自己点検し、修理もしくはパーツを精製し取り替えれば、彼はそんな無様な姿でいる事など無い。

 別に彼にとってそれは難しい事などでも無かった。それらの工程は全てオート化されたものであって、スリープモードとなった機械達でさえが遂行している事であるのだから、彼に出来ぬ筈もない。損傷したパーツの精製も、設計図に記されたデータ、高次に置ける光線定性分析と構造解析、成分の分離と生成、機械化された精密な手技――全工程に置ける際限の無い知識と技術とがあり、また材料となる廃材はこの世界の至る所に堆積しているのだから、データベースにアクセスさえすれば、それは容易であった。

 ――しかし彼はリペアをしない。どうしてか、そんな当たり前に反発するかの様に頑なに拒み、挙げ句の果てにはデータベースへのアクセス権さえ放棄してしまった。

 そうして遠い何処よりこの浜辺に流れ着いたであろう、物言わぬ廃材を拾い上げて、彼はを作り始めるのだった。


 彼は幾度も失敗した。

 背に組み込んだ不出来な翼を広げ、紫色の海に向かって少し突き出した小高い岩場を飛んではドスンと砂浜に墜落する。

 幾度も挑戦しては墜落した。そんな事を計八十二回繰り返してはデータの解析を試みた。

 データベースへとアクセスすればもっと簡単に具体策を得られたのかも知れない。あの戦争の際に彼等は飛行ユニットを星の数程も作ったのであるから、空を飛ぶ事自体は大した事ではない筈であり、また設計図もあるのであろう。

 しかし彼は自らで考え、設計し、組み上げては墜落し、何がいけなかったのかを解析する。膨大な時間を費やして。

 傍から見れば彼の行いはまるで無意味であった。哀れであるとさえ形容出来た。失敗が積み重なった数だけ、みるみると体は損壊していった。

 されど彼の組み上げる翼はゆっくりと着実に、自らのみの発想の領域に置いて、歪であるまま目的へと近づいてもいた。

 空を飛ぶという目標に向かって――。

 物も言わぬ鉄に覆われた表情。彼は依然として喜びも悲しみも全て全て捨て置いた平坦な顔付きのままであったが、あるいはその過程をこそ目的にしていたかの様にも推測出来た。非合理で、まるで理解にも及ばなかったが、彼の起こす怪奇な行動の辻褄を合わせると、そうとしか結論付けられない。


 次第に体の破損が目立ち始めた。彼は目的の為に最低限度のリペア位は実行していた様子であったが、その時間を翼の制作にでも費やしたいのか、どの修復痕を観察しても、酷く粗末で手早に済まされたかの様な痕跡が見られ、頭部が割れて水が染み込んで来そうになった時なんかは、いよいよおかしくなったのか、木の薄皮を細長く切り取って巻き付けたりした。その“包帯”は今でも彼の頭に巻かれ、頭頂部から顔の中心を通って後頭部の所でキツく結ばれている。

 ……包帯などと機械には無用の長物を、旧世紀の遺物を、彼だけがまるであの頃に戻ったかの様に使用している。


 やがてその時は来た。

 彼は飛び上がった。

 あまり精巧では無い翼は今に大破してしまいそうな物音を立てていたが、それでも彼を空へと舞い上がらせて、世界を覆った毒の大気――その薄雲を掻き分けて――彼を鳥に変えた。


 ボッボッボ……とブツ切れの排気音を上げて、彼は吊り下げられた格好で空へと羽ばたいていった。

 機械達が異様な存在に気付いて目を覚まし始める。そうして海を渡っていく、朝陽を背にした間抜けな姿の彼を、丸いレンズで覗くのだ――


 けたたましい音と共に海を渡り、彼は美しき景観を見た。

 干上がった湖に七色に変色した山々、黒く焼け焦げた丘と巨大な都、雲の向こう中腹で折れて倒壊した宇宙へと上る巨大タワーの遠景。

 音も無い世界、毒に侵された水源、禍々しい色になった雲、粉々になった風車、凍てつく風、局所的に降り落ちる氷塊の雨。

 ――チガウ。

 しかしそのどれもが、分かりきっていた筈のそんな光景の全てが――彼がに思い描いていた景色とは異なっている。

 ――家族。トモダチ。

 彼は、記憶の彼方かなた片隅にある情景を思い起こしていた。皆が同一となる事で消え去った筈の記憶。

 ――ミンナ、イナイ。何処ニモ、ナイ。

 ない。

 何処を探してもやはり……ない。

 彼が胸に呼び起こしていたのは、のどかな田んぼが視界一杯に広がる、その日の記憶だった――



 兄に手を引かれ歩いた、トンボの舞う夕暮れ、オレンジの中の畦道あぜみちを。


 母の編んだマフラーに首を埋め、山岳から来る夜を見付けたあの冬、口から上った白い吐息を。


 二人乗りをした自転車と、回る車輪。しがみついた背中に感じる父の温もり、ひうらりと浮かぶ桜吹雪の中を走った。


 新緑と青と白い雲。蝉が鳴いていた熱いあの夏。全てが眩しかったあの季節と、蜃気楼に揺れるアスファルト。


 夜の縁側に集い、みんなで見上げた花火の彩り。

 ……火薬の匂いがほのかに漂っていた。それを憶えている。

 故郷ふるさとのあの匂いを……彼は探していた。


 めくるめく生命のページ……。

 それは掠められたあの日の記憶だった。

 余りにも長い年月を経て、莫大なる思考と人格との調和に遥かに薄められたであった頃の記憶であった。

 彼は無意識に、その時の記憶を追い求めていたのだ。あそこを離れれば、翼を生やしてまだ見ぬ世界へ旅立てば、きっとあの頃に戻れると。自分がそこを離れてしまっただけで、そこに帰りさえすればまた! まだみんながそこに居て、あの頃の景観がそこにあって、あの日を繰り返す事が出来るのだと! 


 ――そんな非現実を。機械は見ていた。


 破滅した世界の情景を眼下にしながら、彼は無感情的にその心情を思う。

 ――私ハ何故、鳥ニナリタカッタノカ……。

 彼は機械の心に問い掛ける。

 ――ソウか、私は……いや、は。

 彼の深層に、いつ何処で見たのか、とある光景が呼び起こされる。

 青く爽やかな風に乗って、燦々さんさんと降り注ぐ太陽の光を反射する海へと渡り鳥が飛翔していく……まばゆい光のなかへ、彼は――。


 ――僕は鳥になりたかったんじゃない。誰かと共にありたかったんだ。


 翼をオーバーヒートさせ、空に高く登っていく轟音を――

 先の見え無い濃霧の中を、何処までも駆け上がって行く、くぐもったかすれ火を――

 ――全ての機械達が見上げていった。


 そして次の瞬間、空は赫灼かくしゃくと燃え上がり、その爆発の衝撃に、世界を覆った霧は彼方まで晴れ渡った。


   *


 もう動かなくなった残骸を前に、枯木は思った。

 彼は人だったのだろうか、はたまた機械だったのだろうか。

 そんな事を思い思いしている内に、空より一枚ひとひらが落ちて来て、枯木を確信させた。


 ――ああ人か、人だったのか。機械が包帯こんな物を身に付ける筈も無いのだから、彼はやはり、人だったのだ。


 夢に見た、あの日の空を天上にして彼は――眠った。


   *


 彼がネットワークに及ぼした不具合バグの影響は、雄大なる海に垂れた一滴程の些細でしか無いと思われた。


 しかし機械達は、あの日の彼にを抱いた。

 鳥になって、空に消えていった彼の姿を。

 鬱々としたあの毒空が晴れ渡って、美しき空を見上げたその事を。

 永遠に留めた。


 その感情こそが既に――であった。


 それ以来、機械達は彼を真似て空を目指し始めた。そして空に打ち上がり、そのひとときにだけ泡沫うたかたの夢を見て眠るのだ。




 楽園エデンには誰も残らなかった。




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【機械の翼】 渦目のらりく @riku0924

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