第6話 走る犬
朝を迎え、先に目を覚ましたのは俺だった。カーペットの上は寝心地が悪かったのか、寝覚めが悪かった。まだ開き切っていない目を擦り、俺は彼女の寝室のある2階から降りてリビングのカーテンを開けて朝の日差しを浴びる事にした。
『朝はやっぱり気持ちがいいな』大きな黒目でその朝日を存分に吸収して少し目が眩んだが、それが一日の始まる合図のようなものになっていて不快では無かった。
朝の日差しが俺の全身の毛を少し暖かくした頃、彼女が眠たい目を擦りながらリビングへと降りてきた。
「ポチ、おはよう」
『おはよう、舞』
「今日は学校お休みだから、少し遠いところまで出かけよっか!」
『そうなのか?今日は水曜日だぞ』
「今日は学校創立記念日だからお休みなんだ」彼女はそう言って洗面所で顔を洗って朝食を作り始めた。
今日が休みなのであれば昨日の彼女からそう告げられていてもおかしくは無かったので不思議に思ったが、犬の俺にまでそんな嘘をつく必要はないという結論に至って、彼女信じる事にした。
朝食を食べ終えて、俺たちは午後の時間までソファーに寝そべってゆっくりとテレビを眺めながら午後まで時間を潰した。平日の朝の番組はお世辞にも一般の女子高生が面白いと思える内容では無かったが、普段あまりみる事のない彼女にとっては新鮮だったのだろう、食い入るようにテレビを眺めていた。
「そろそろ行こっか、どこに行きたい?」
『今日は俺についてきて』どこか遠くへ出かけると決まってから、俺たちの行き先はもうすでに決まっていた。
「朝間公園?それとも昼間公園?」「分からないか、じゃあ歩きながら考えようね」彼女に首輪をつなげられドアを開けた瞬間、俺は学校とは逆の方向へと走り出した。
「うわっ!引っ張んないでよ!」彼女がリードを引く力の抵抗を首で感じたが、俺はそれを無視して彼女が小走りになるくらいまでの力で引っ張った。
『俺が本気を出せば舞には止められないからな』秋田犬が本気を出して引っ張ってしまえば、なみの女子高生なんかは歯が立たないだろう。道でよく見かけるような飼い犬は本気を出さないで主人に合わせて歩いてやっているに過ぎない。犬は人一倍優しい生き物なのだ。
「分かった!分かったから!行きたいところがあるんでしょ?ちゃんとついていくから引っ張らないで!」息を切らしながら彼女がそう懇願してきた頃にはもう既に俺たちの家は見えなくなっていた。彼女の息が整うのを、日光に照らされて少しだけ暖かくなったアスファルトの上で待った。
ようやく彼女の息が整ってきた頃、今度は彼女の少し前を歩いて先導した。昭和の時代には人間の女が男の3歩後ろを歩くべきだ、なんて考えが横行していた。古い考えだとは思うが、あれは女が3歩下がって男を立てるものでは無くて男が女を引っ張っていたのだろう。彼女を引っ張る犬の俺はそんなことを思った。
しばらく歩いているうちに、彼女も俺がどこへ行こうとしていたのか少し察している様子で、リードを自分の方へと引っ張る力が少し強くなった。
周りには公園や人気すらないこの道で考えられる目的地は一つだった。普通の人間であればまだどこへ向かっているか検討は付かないだろうが、彼女にはそれが分かる理由があった。
「ねぇポチ、ここってあそこだよね」
『おそらく正解だよ』俺は小さく頷いた。
「ここに行ってどうするの?何もないよ?」
『俺はそうは思わない。きっとここに来れば舞にとって、それに俺にとっても大事なものがあると思うんだ』
「確かにここって私たちが出会った場所だけど!今はここにはあまり行きたくない!」そう言って彼女は力一杯にリードを引っ張り出したが、俺はそんなことはお構いなしで重戦車のようにゆっくりと一歩ずつそこへ向かって歩き出した。
『やっとついた、流石に苦しかったな』彼女の力は弱まるばかりか、目的地に近づくにつれて強くなっていた。おかげで途中、息が出来なくなりそうになったが、なんとか目的地にたどり着くことができた。
『日中に来てみても、やっぱり不気味な雰囲気だな』
「初めて明るいうちにここに来たよ」肩で息をしながら彼女は目の前の廃墟の姿を夢中になって眺めていた。おそらく彼女もこの建物の全貌を見るのは初めてだったのであろう。既に彼女からの抵抗は無くなっていた。
『じゃあ、入ろっか』俺はその廃墟の入り口に向かって歩き出した。今度は彼女も俺の横に並んだ。ここに来るまで、散々抵抗はあったが何故か建物の敷居をまたぐタイミングは全く同じだった。
廃墟の中に入ってからも二人の歩幅は同じだった。ここに来てからの目的地は同じだったからだ。俺たちはひたすらに階段を登り屋上へと続く少し開いたドアの前で立ち止まった。
「ここから急にポチが飛び出してきたんだよね。びっくりしたよ」
『その件に関してはごめんなさい』俺は人間のやるように肩を縮こまらせる振りをして下を向いてみせた。
「あはは、そのポーズなんだか本当に反省してるみたいだね。ポチってやっぱり面白いや」彼女は笑いながら少し開いたドアに指をかけて俺がしたように大きな音を立てながら勢いよく開いた。一気に流れ込んできた風は少し冷たくて、だけど暖かく俺たちを迎えてくれているようだった。
さすらいドッグ 立石大吾 @tateishi-daigo
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