第5話不安な犬

彼女と日常を過ごして半月ほど経った。相変わらず彼女の帰りを待ち帰ってきてから散歩に行っては共に夜を過ごす。そんな毎日を繰り返していた。ある日彼女の帰りがいつもよりも遅い日があった。

彼女は俺を家で少しでも待たせたく無いからと言って自転車を買っていた。それゆえに事故に巻き込まれてしまった、などと言う良くない想像だけが膨らんだ。

不安に思い俺はベランダに続く大窓の鍵を開け彼女を探すことにした。上がった取手を下に下ろせば良いだけの犬にでもその知能があれば開けられることを知っていた。

俺は鼻を窓の隙間に潜り込ませ、窓は開けたままに家を飛び出した。

真っ暗な住宅街を文字通り目を光らせながら走った。彼女の行く宛に心当たりは無かったので、初めて彼女を見かけた河川敷の堤防道路へ向かった。しばらく走ると遠くで彼女の匂いを見つけた。その様子を目視してみると、彼女は俺が初めて見つけた時と同じ様子で俯き、あまり生気を感じられなかった。

彼女の元へ駆け寄って飛び付きたくなる気持ちを抑えて俺は彼女の進行方向100m程先から定期的に振り返って彼女の様子を見守った。

『何度は俺が前だね』そんな風に明るく言ってやりたかったが、俺は普通の飼い犬として彼女が家に帰った時にこそ明るく迎えてやりたかった。

『そういえば、自転車はどうしたんだ』取り敢えず彼女を見つけることが出来た安心感で失念していたが明らかにおかしいことであり、彼女の帰りが遅かったこととの関係性を俄かに否定することは出来なかった。

『そろそろ、知らないふりをしていることも出来ないな』仮にもあの家の家主ともあろう人間が何か問題を抱えているのであればこちらの生活にも関わってくる。と言うのは建前で、俺は彼女のことが好きになってしまっていた。


またあの廃墟に行ってしまうのでは無いかと心中穏やかでは無かったが、そちらの道には向かわず、彼女は家の方向へと歩き出したのを確認した。

『やっぱり、あそこに行っていた理由も探らないと』俺は無視してはいけなかった事象を無視し続けていたことを心から後悔した。

『反省だな』そんな反省を次に活かそうと思考を巡らせているうちに自宅まで50mほどのところに来ていた。

『やばい!』俺は走って窓から中に入り、急いでドアを閉めて、玄関に座って彼女の帰りを待った。

ドアが開き、彼女が帰ってきた。その表情はいつもと変わらず、それが余計に悲しかった。

「ごめんね、遅くなっちゃった」

『おかえり』彼女の声は震えていて今にも泣きそうになっているのが分かった。

『犬の耳の良さを舐めてはいけないよ』

「お腹すいたよね、ご飯にする?」俺は彼女に飛びかかって「ワン!」と吠えた。


俺は彼女よりもひと足先に食事を終え、彼女の足元に寝転がった。

「どうしたの?食べたいの?」

『健康に悪いからいらない』そう言って顔を背けた。

ただ、いまは彼女のそばに居てやろうと思って、ご飯を食べた後も一緒に風呂にも入った。「なんか今日散歩に行ってないのに足の裏すごく汚れてるね」と言われた時には肝を冷やしたがそれ以上追求されることも無く、俺の足を綺麗に洗ってくれた。

彼女も俺と離れたくなかったのか、一緒に湯船にまで入れてきた。

「気持ちいいでしょ」

『まあ、悪くは無いかな』しばらく沈黙が続いた。ようやくその声を響かせたのは彼女だった。

「ポチはさ、私がいなくなったら寂しい?』

「ワン!」

「はは、すごい。分かってるのかな」笑いながら言った。

「ワン!」わかっているよ、きっとその思いが伝わると信じて吠えた。


二人髪を乾かし終えてから彼女は倒れるようにベットに倒れ込んだ。

俺はそんな彼女を起こさないように、何か解決の糸口を見つけるために、再び家の中を探る事にした。

まず初めに頭に浮かんだのは彼女の両親の寝室にあったエアメールだった。俺は猫のような足取りで目的の部屋のドアの前で立ち止まった。俺のような大型犬は部屋の中へ入る方法は簡単であるが、それは大きな音を伴う物だった。しかし俺は普通の犬ではない。俺は布製のカーテンの留め具を持ってきて、それをドアノブに引っ掛けた。垂れ下がった留め具をゆっくりと首で降ろし、俺はドアを開けて中に入った。

文字を読むには少し暗かったので、俺は灯りのスイッチを押して部屋の電気をつけた。

乱雑に置かれたそれらは、おそらく彼女の手によって置かれた物だろう。それが彼女とその両親の関係性を物語っているように思えた。

俺はすでに開かれたエアメールを一つ選別し、それを読んだ。

『舞、元気にしていますか。

大変なこともありますがなんとか元気でやっております。

帰りたい気持ちは山々なのですが、私もお父さんをサポートしなくてはなりません。

私たちはあなたのことが心配です。なのでこうやって書面で気持ちを記そうと手紙をよこすことにしました。

そちらは一人で大変なこともあるでしょう。

何か心配事があれば気兼ねなく私たちに連絡ください。

待ってます。』

『ならどうして一度も帰ってやらないんだ』次々と送られてくる手紙の量とその日付を見て、彼らは彼女の元へ一度も帰ってはいないと言うことが容易に分かった。彼らからすると彼女を心配する気持ちは本当の事なのかもしれないが、行動の伴っていない現状と、彼女の様子を考えるとこれらの文面は偽りでしかないように思えた。しかし、それと同時に彼らが彼女を救ってくれるかも知れないとも感じた。

夜中にこれ以上探索していても彼女を起こしてしまう可能性があったので、俺は彼女の部屋の比較的柔らかいカーペットの上で夜を過ごす事にした。







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