第4話 寝る犬

犬としてやって行くのも楽では無い、俺くらいの知能を兼ね備えている上に、会話をすることの出来る動物は今まで出会った事がない。もちろん犬も例外ではない。本能で相手の意図することは理解できるが、やはり人間が行なっている会話をするとなると話は別だ。そう言った意味で俺はこの10年間孤独を生きていると言っても過言ではないだろう。

そんな俺でもこうして気が狂うことなく生きて来られたのはやはり色々な家を渡り歩いて来たことに起因する。飼い犬というのは殆どの時間を家の中で過ごし、少しの散歩やご飯の時間を楽しみに生きている。では、それを成人を迎えた人間に置き換えてみよう。それはもう監禁されているのと同じではないだろうか。だから俺はこうやって家を渡り歩き、さまざまな人間と出会うことで刺激をもらいながら、正気を保っているのだ。

だからこそこうして一人でいる時間は苦手だ。俺はそんな時間を埋めるために今まで色々と暇を潰す方法を考えてきたが結局のところ一番良い方法は寝て待つことだった。だから今もこうしてこの家で一番寝心地のいい場所を探している。

『なかなか定まらないな』舞の両親の寝室、リビングのソファーなど、色々と試してみたがいまだに見つからない。かれこれ1時間は寝ては起きてを繰り返しているだろうか。

『玄関はどうだろう』

なんともなしに玄関マットの上に寝てみる事にした。地面は硬くて寝心地としてはあまり良いものとは言えなかったが、なぜか妙に落ち着いた。玄関は家の中でもトップクラスで寒い場所ではあるのだが、運が良かった。俺は寒さに強いのだ。

こうして俺は玄関の前で彼女の帰りを待つ事にした。


ドアの開く音が目覚ましにはちょうど良かった。

「ただいま」

『おかえり、舞』彼女が完全に家の中へ入り切る前に、座った状態で尻尾を思いきり振ってみせた。

「玄関で待ってたの!?寒かったでしょ!」

『平気だよ、そのために全身に毛が生えてる』

「あったかそうな毛並みしてるし、ポチにはへっちゃらなのかな」笑いながらそう言って俺の頭を撫でた。撫でている手の逆を見ると彼女の手には袋が握られていた。その袋には大手ペット用品店のロゴマークが刻まれていた。

「ジャーン!」と自慢げに袋から取り出したのは革製の赤い首輪と青いリードだった。

『なんだよそのセンス、色は統一してくれ』

「おしゃれでしょ」

『全然』

「何その不服そうな顔。散歩連れてってあげないよ」

『バレた!』俺はすぐさま必死に尻尾を振った。


こうやって首が少し締め付けられる感覚は嫌いではない。なんだか語弊のある言い方になってしまうがこれが本来の使い方なので問題はない。

「どこ行こっか!」

『あんまりこの辺りには詳しくないんだ』

「捨てられてた場所はあんまり思い出したくないよね」

「私が案内してあげる!」

『よろしくお願いします』そう言ってリードを引っ張った。


彼女の歩くスピードは少し早かった。しばらく歩いて俺の歩幅に気がついて少しペースを落とした。漸く二人の歩幅が合った頃、彼女は話し始めた。

「私ってまだ名乗ってないよね」

「覚えられるかわかんないけど、私の名前は山口舞って言います」

『知ってる、俺はポチ』

「君の名前はポチ」

「改めてよろしくね」

『よろしく』

「自己紹介も済んだ所だし、今から行くところを発表します!」そう言って彼女は勿体ぶった様子で間を置いてから話し始めた。

「山岸公園です!」

『そんな勿体ぶって言われても…俺そこ知らないし』

「って言ってもポチは知らないよね」

「そこはね、私が小さい頃よく行ってた公園なんだ」「ここ最近はくるの初めてだから結構ワクワクしてる!」確かに彼女の様子を見てもそれがよく分かる。彼女が犬だったのならその尻尾をこれでもかという程振り回しているのが想像できる。

『どっちが散歩してあげてるんだか』

「せっかく散歩するんだから私も楽しまないとね!」

それから歩いて数分経った。漸く彼女の目当てである山岸公園にたどり着いた。太陽はすでに沈もうとしていて、辺りは暗くなり始めていた。

「ついたよ!」明るい彼女の声色とは裏腹にその表情は少し暗いように感じた。

『何もないな』そう言って辺りを見回してみると見覚えのある景色であることに気が付いた。

『ここって…さっき写真で見たところだ』

「ここはね、よくお父さんとお母さんに連れて来てもらったところなんだ』そういう彼女の表情はすっかり沈んでしまった太陽のせいではっきりとみる事ができなかった。

「何もなくて面白くなかったかな?でも私はやっぱり来れて良かったかも」

『俺は散歩ができればなんでもいい』

「なんて言ってもポチには何も分からないよね」「君が来てから独り言が多くなって困るよ」

『独り言ではないよ』自分の気持ちが伝わらない、そのもどかしさがより一層強くなった。


「あ!」

『なんだよ!』かなり驚いた。なまじ耳がいいだけに急に大声を出されるとかなり心臓に悪い。

「ごめん、ポチ」「懐かしいところ見つけて大声出しちゃった。びっくりしたよね?」

『心臓が飛び出るかと思った』

「ここね、私が初めて自転車に乗れるようになった場所なんだ」

『そうなのか。というか舞って自転車に乗れたんだな』徒歩で1時間もかけて学校へ向かうほどの人間なのだから自転車に乗れないなんて言う事情を抱えているのだと勝手に勘違いしていた。

「お父さんとお母さん、心配そうな顔しながら私を見つめてたの。なぜだかすっごい覚えてる。不思議だよね」

『そうか?俺も初めておすわりを覚えた時のこと覚えてるけど』あれは初めて俺を迎え入れてくれた家のことだ。あそこで飼い犬としてのマナーをほとんど習得した。10年前のことだ。ちょうど彼女が自転車に乗れるようになったのと同じかそれよりも昔のことだろうか。

「うちの両親今海外にいるんだ」それも知っている。

「家に帰ってもいつも一人で寂しかったんだ。学校に行っても楽しくないし、家に帰っても誰もいない」

『今は俺がいるよ』

「でも今はポチが居てくれる」

「家に誰かが待ってくれるってだけでこんなに気持ちが違うものなんだね」

『そう言うものなのかな』そんな会話をして、そのあとは二人黙って公園を一周した。


「懐かしい場所にも来れたし、今日は帰ろっか」彼女がそう言って、元来た道を歩き出した。しばらく歩いていると途中にペットショップが見えたので、俺は彼女を思い切りそこへ向かって引っ張った。

「どうしたの?ここに行きたいの?」

『ペットシーツを買ってくれ』

「ちょっと待ってて」俺も一緒に入れば確実ではあったのだが俺はどうもペットショップと言うものが苦手で入りたく無かった。あの小さな箱の中に同類が押し込まれているのを見ると心が痛くなる。

目当てのものを買って来てくれるか、あまり期待は出来ないが俺はペットショップの前に括り付けられて彼女を待った。


「お待たせ」15分くらいしてから彼女は帰ってきた。

『遅かったな』彼女の手に握られたものを見てみると彼女のお使いは成功していた。

「思い切って店員さんに、犬を飼う時には何が必要ですかって聞いてきた!」そう言って袋の中のものを全て取り出して見せようとして来たので、俺は括られていたリードを口で器用に外して一人で歩き出した。お腹が空いて仕方がなかったのだ。

「ちょっと!待ってよ!!」ようやく俺に追いついてリードを握った彼女は焦った犬みたいで少し可愛くて笑えた。


ようやく家について彼女の風呂を待ってからご飯を食べた後、しばらく一緒にバラエティ番組を見た。番組がニュース番組へと切り替わると、突然今日買った物の紹介コーナーが始まった。

「お待たせしました!」

『別に待ってないけど』

「今日買った物、まず一つは」そう言って彼女はペットシーツの方をチラリと見て袋の中を漁り始めた。どうやらあれは紹介しないようだ。

「おやつ!」

「それにおやつ!」

「最後におやつ!」

『どんだけおやつ買ったんだよ』

「それと、ボール!」と言いながらそれを放り投げた。俺は彼女の思惑通り犬みたいに嬉しそうにそのボールを追いかけるのがなぜか癪だったので、彼女の目をジッと見つめた。

「あれ…」そう言って彼女が俯いた瞬間ようやく目があった。

「もしかして、あんまり好きじゃない?」

『あんまり』そう言った後彼女はとても悲しそうな顔をした後ソファーに寝転んでしまった。

『しょうがないな』俺はボールを拾って彼女の手元に置いた。

「なんだ、やっぱり好きなんじゃん」ニヤリと笑いながらそうって来たので少し腹が立ったが、また機嫌を損ねられても面倒なので付き合ってやる事にした。楽しそうにボールを投げてそれを拾ってくるのを笑って待つ彼女はどっちがボールで遊んでいるのか分からなかった。

















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