第3話 飼い犬

「おはよう」その声を聞いて驚き飛び起きた。自分が寝ている無防備な状態で全くの警戒心を忘れていた事に反省したのと同時に何故か妙に嬉しかった。

『おはよう』そう言って周りを見渡し、ようやく時計をみつけた。時計の針は6時30分を指していて、彼女がこれから学校に行くことが伺えた。

ひとりになった寝室から彼女が立てるバタバタと騒がしいを聞きながらもう一度布団に飛び乗り眠ることにした。

しばらくして、俺は寝室の扉が開かれる音で目が覚めた。今度の眠りは浅かった。ハッキリとした目線でドアを見ると制服姿に着替えた彼女が立っていた。

「ご飯、たべる?」食欲は大してなかったが、俺は何も言わずベッドから降りて彼女の真横をするりと縫って部屋を出た。


多少の期待に胸を膨らませ、床に置かれた皿を覗いた。そこには昨日と同じ皿に、ある筈がないと思っていたドッグフードが山盛りに盛られていた。恐らく朝早くに起きてコンビニにでも言ってきたのだろう。寝室に漂ってきた匂いから、何がつくられているのかは予想出来てはいたのだが、その期待をいい意味で裏切った。

『ウインナーでも良かったんだけどな。この際、そんなことはどうでも良い』俺は漸く新鮮な肉にありつけた興奮を抑える事が出来ずに、必要以上に盛られたそれを平らげた。

「行ってくるね」そう言って家を出て行こうとする彼女の表情は何故か不安気だった。

『どうしたんだ?』

「君って野良犬だよね?だから一応名前決めといたんだけど…」

『一応言っとくと俺にはポチって名前があるんだけどな』『まぁ聞いてみようじゃないか』安直にも程がある名前だが、その安直さが良いのだ。過去の遍歴を見ても色々な名前を付けられてきたが、どうにもこの名前を付ける人間は多かった。それ故に、この名前で呼ばれた時の反応速度は他の比じゃない。過去にエリザベスだとか言う名前を付けてきた人間がいたが一向に無視してやったのを覚えている。

「ポチって名前にしようと思うんだけど」その言葉を聞いて少しホッとした。

彼女は少し恥ずかしそうに「ポチ!」とそう呼んだので、俺は返事だけは良い馬鹿な男子高校生みたいに「ワン!」と元気よく返した。

「それでね、ポチ」

『なんだ?』

「帰りは17時くらいになりそうなんだけど待てるかな?」

「ワン!」

「わかってるのかな…」

『わかってるとも』

「少し不安なんだけど…」

「でも君ってすごく賢そうだしなぁ」彼女は少し悩んだ後「まぁ平気か!帰ったら散歩ね!」それだけ言ってガチャリとドアを開いた。彼女は犬を舐めている。普通の犬だったら、ケージにも入れず長時間放置していたら家の中は悲惨な状態になっているだろう。ましてや俺は彼女の中ではただの捨て犬だ。

『拾ったのが俺で良かったな』誇らしげにそう言って彼女の背中を見送った。


『さて、この家について調べるか』漸く一人になり俺はこの家のルームツアーを始めようとしていた。これから自分が住もうとしている家庭がどんな状況なのかを知ることはとても重要である。まず初めに、彼女の寝室を改めて探る事にした。


『改めて見ても、つまらない部屋だな』彼女の部屋は、一言で言えば「普通」それに尽きるものは無かった。女の子らしい飾り付けは何もなくベッドも柄のないシンプルなものだった。漫画や小説などは一つも置いておらず、机には必要最低限であろう教材が並べられているばかりであった。

『ミニマリストって感じでもなさそうだな』無駄なものは排除しているとかそんな感じではなくて、ただ単純にやりたいことや興味のあるものが無いといった印象を受けた。

『大体わかってきたぞ』俺はそう言って彼女の部屋を後にした。


『この家のドアノブが捻るタイプのものじゃなくて良かった』俺は20分ほどかけて鍵のかかっていない部屋を全て廻った。特段面白いものは無かったが、彼女の名前と家族構成は分かった。

彼女の名前は山口舞だ。一人っ子で、両親は健在している。両親の寝室の机の上にあったアルバムを見てみると幼少期には両親からの愛を十分に受けていたであろう事が分かった。ではその両親はどこにいるだろう。その答えを見つけるのも容易かった。同じ机に乱雑に置かれたエアメールから、彼女の両親は子供を一人残して海外で仕事をしている事が分かった。

『親の話が出て来なかったのはそう言うことか』子供が野良犬を拾ってきた場合、その家に迎え入れられるかどうかと言うことは、その両親によって決められるものだろう。だが、彼女にはそれを決める者が居なかった。俺は知らないうちに親という大きな壁を超えてきていたらしい。

『あの子のこと、なんて呼ぼう』彼女が自分の名前を呼ばれているなんて分かる筈がない。それは理解しているのだが、俺はどうしてか突然彼女のことを名前で呼びたくなった。

俺はエアメールに「舞」と書かれていたことをふと思い出して『舞』そう呟いた。

その直後猛烈な尿意に襲われた。思えば昨日帰ってきてから一度も用を足していなかった。俺は記憶を遡ってペットシーツの敷かれていた場所を思い出そうとした。しかし、そんな場所は無かった。

『この野郎!コンビニに行ったのになんで買って来てないんだ!』『どうするつもりだったんだ!』俺は一呼吸置いてから思考を巡らせ、なんとか風呂場に駆け込んだ。

『すまん!でも全部舞が悪いんだからな!』そんな文句を言いながら用を足した。溜まっていたものが全部出ていく開放感、なんとか間に合ったという安心感と同時に風呂場には嫌な匂いが広がった。








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