皇国からの親書
魔術士館の最奥にある魔術師長室で、小さな銀の水盆の前に、セルフィーネは立っていた。
その横にはハルミアンとメイマナ王女が立ち、セルフィーネを見守っている。
ふと、セルフィーネが緊張を解いた。
「……終わった。上手く出来たと思う」
その言葉に、ハルミアンは安堵して大きく息を吐き、メイマナはパチパチと小さく手を打った。
セルフィーネは水盆を通して、貴族院の大会議室で水を操った。
水盆の水を濃い霧状にして、
ベリウム川の源流近くの水を張っている水盆は扱い易く、ある程度離れていても、不明瞭な声も伝えることが出来た。
思い付きのきっかけは、メイマナが西部に慰問に訪れた際、人形劇の最後にセルフィーネが虹を掛けた事だった。
あの時、セルフィーネは霧状に水を広げ、太陽光を使って虹を作った。
霧を濃くしたり薄くしたり、大きさを変えたりと自在に水を操り、子供達を喜ばせた。
自在に水を操れるのなら、それで半実体のような物を作れば良い、とメイマナは提案した。
霧の塊ならば、実体のようで実体ではなく、魔力の塊のセルフィーネの姿に近いと思ったのだ。
王太子の執務室で試しにやってみると、それは思いの外簡単で、
しかし、白く濃い見た目で半減されても、やはりその姿は美しいセルフィーネだった。
違う姿を想像することは、彼女には出来なかったのだ。
そこでメイマナがセルフィーネに見せたのは、人形劇の原作である、子供向けの絵物語だった。
メイマナがパラパラと絵物語を
「ネイクーンの人々は、アブハスト王の創り上げた
王族しか目にしたことがないのだから、実際のところは分からないはずなのに、そういう噂のままで、長年イメージを定着させてきた。
だからこそ、思ってもみなかった姿を見せられれば、大きな衝撃であっただろう。
「貴族達も、まさか、あんな恐ろしげな姿を現されるとは思ってなかったでしょうね」
ハルミアンが楽しそうに笑って、メイマナが
そこには、魔物の王の手下である、亡霊の姿が描かれてある。
真っ白い顔に、落ち窪んだ目と口だけがある、定番のお化けの顔だ。
セルフィーネはそれを見て、霧の
ないものをイメージするのは難しいが、目の前に手本があれば、その通りに造ることは簡単だったのだ。
「これで、セルフィーネに対する興味が薄れてくれればいいんですけど」
ハルミアンが、水盆から離れたセルフィーネを見る。
藍色のマントで身体を覆ったままで、滑らかな頬にもまだ傷があるが、それでも目を引いてしまう美しさだ。
カウティスとセルフィーネ自身の今後の為にも、特に今は、出来るだけ妙な関心を引かない方が良いに決まっている。
「水の精霊が
メイマナは絵物語をパタリと閉じる。
自らが経験して、よく理解している。
人間は大多数、見目麗しい物に惹かれるものだ。
「まあ、そうですね。……でも、その割には、メイマナ王女は僕に関心を示しませんでしたね。僕、人間の美的感覚ではかなり美しい方だと自負してるんですけど。初対面であんなに淡白な反応されたのは、母国以外では初めてかも」
ハルミアンは、色白で整った顔立ちの美青年だ。
鼻筋の通った高い鼻と、目尻が少し上がった、輝く深緑の大きな瞳が目を引く。
そもそも、珍しいエルフというだけで、誰もが過剰に反応するものだ。
しかし、メイマナは普通に客人として対応する感じで、ハルミアンの方が驚いた。
「ハルミアン様の前に、水の精霊を見て驚いていましたし……」
言葉を切ったメイマナが、頬を染めてふっくりとした手で頬を包んだ。
「それに、王太子様の麗しいお姿で、すっかり美形に耐性が出来たのかも……」
恥じらうメイマナに、ハルミアンは呆れたように、口をあんぐりと開けた。
魔術士館にマルクが会議室から戻ったのは、夕の鐘が鳴ってから半刻経った頃だった。
「マルク。お疲れさま」
魔術士達と一緒に、砂漠化を抑えるための対策案を立てていたハルミアンが、マルクを見つけて手を振った。
「どうなった?」
「皆、だいぶ引いてたね。あれは秀作だった」
マルクが思い出して苦笑する。
作戦を聞いたときは、どうなることかと思ったが、霧で造った
「ラードさんが、『カウティス王子の趣味嗜好が疑われる』って嘆いてたけどね」
マルクが言えば、ハルミアンは眉を上げる。
「縁談話がなくなって、王子はむしろ喜ぶかもしれないよ」
カウティスは未婚の誓いを公にしているが、それでも縁談の話はやってくるらしい。
確かに、とマルクは笑った。
「それで、カウティス王子は?」
ハルミアンに問われ、マルクは笑いを引っ込める。
「さっき皇国からの親書が届いたから、陛下の執務室に行かれたよ」
王の執務室には、王族と共に宰相セシウム、魔術師長ミルガン、騎士団長バルシャークが揃う。
伝令を継いで届いた親書には、風の季節後期月第一週三日、フルブレスカ魔法皇国の皇帝が、心臓発作により崩御したことが綴られていた。
そして、即日、皇太子であった第二皇子が新皇帝として即位した。
これより、従属国は皇国の規定に従い、百八十日間の喪に服する。
祝事祭典は禁止される為、王太子エルノートの即位式、ならびに王太子と婚約者メイマナ王女の結婚式は延期となる。
同様に、第三王子セイジェのザクバラ国入りの話も、喪が明ける頃までは動かないだろう。
また、皇帝の葬祭期間は、年末年始の神事を考慮し、異例の短さの今月最終週三日までとされた。
但し、その期間は
第四週二日に、皇国にて葬送の式典が行われる為、従属国は王、又は王太子が参席するよう厳命された。
「……
セイジェが言ったが、側ではカウティスもエルノートも険しい顔をしている。
「確かに予想通りですが、葬送の式典に王か王太子を参席させるのは……」
バルシャークが太い腕を組む。
親書を広げて机の上に置きながら、王が深い溜め息をついた。
「葬送の前に、新皇帝に忠誠を誓わせる為か」
亡くなった皇帝には妃が五人いて、その間に皇子が四人と、皇女が六人いる。
新皇帝は、皇后の産んだ第二皇子だ。
武に秀でた人物で、既に皇太子の座に就いていた。
第二妃の産んだ、第一皇子を担ぎ上げる一派もあったのだから、突然の即位に従属国の忠誠を欲しているのだろう。
「私が行こう」
王が正面に立つ王太子を見上げた。
「父上」
「問題の山積している今、国を空けなければならないのは痛い。しかし、そなたには、この先のネイクーンを背負ってもらわねばならない。……何があるか分からぬ所へは行かせられぬ」
エルノートは薄青の瞳を細めるが、何も言葉は出なかった。
王がセシウムに、今後の事を指示し始める中、静かに立っていたマレリィが、逡巡して口を開いた。
「王太子様の即位式は、皇帝の喪が明けてからということになるのですよね?」
「……そういう事になるな」
王が頷くと、更にマレリィは
「……即位自体を、そこまで延期するわけにはいかないのですか?」
「母上、何を仰るのです。兄上の御即位は、既に国内外に知れております」
カウティスは、母を振り返って眉を寄せた。
「分かっております。しかし、即位式なしの即位など、あまりにも……」
言い辛そうにしているが、エレイシア王妃の代わりに王太子を見守ってきたマレリィは、即位式を行わずにエルノートを即位させる事がどうしても納得できないのだ。
民と共に喜びを分かち合う、その瞬間無くして王座に就かせるなど、あまりにも無体な行いのような気がする。
「式を行わないわけではありません。延期するだけです」
エルノートが薄く笑んで、マレリィに言った。
「予定通り、即位致します」
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※ 番外編
ネイクーン国王、エレイシア王妃、マレリィ側妃の三人の物語。三話完結済みです。
『庭園の花』
https://kakuyomu.jp/works/16817330662261701821
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