ザクバラ国の子
セルフィーネが泣き止んだのは、カウティスが一度自室に引っ込んでからだ。
泣き止まないセルフィーネをどうにかしろと、王に執務室から追い出されたのだ。
「落ち着いたか?」
やっと顔を上げたセルフィーネに、カウティスが声を掛けた。
彼女の小さな姿は、いつものように長い髪がサラサラと揺れている。
「そなたは、意外と泣き虫だな」
楽しそうに笑うカウティスに、彼女が恥ずかしそうに頬を染めた。
ようやくそんな表情が見られて、カウティスは安堵する。
「……西部に戻らなければ」
セルフィーネ小さくが呟いた。
「明後日には、俺も西部に戻るよ」
セルフィーネはコクリと頷くが、カウティスの胸に添ったまま、上を向いて彼の顔を覗く。
その頬は、まだ色付いたままだ。
「どうした?」
「………………離れたくない」
不意に言われて、カウティスの心臓が跳ねる。
そんなことを言われたら、行かせたくなくなる。
「それなら、今日は……」
「でも我慢して戻る」
カウティスが、『それなら、今日は俺といよう』と言いかけると同時に、セルフィーネははにかむ様に言って、唐突に消えてしまった。
残されたカウティスは、ガクリと一人壁に向かって項垂れる。
あんな無防備な泣き顔を晒してなお、『離れたくない』とか言っておきながら消えるなんて。
「俺が泣きたい気分だ」
王の執務室では、王と王太子エルノート、騎士団長バルシャークが残って話している。
「……抗議状を送ると言っても、それだけでは済まないでしょう」
「そうだな。竜人の物言いは、予め決まっている事から反れるなと聞こえた。決まっていることならば、抗議しても聞き入れられるとも思えぬ」
エルノートの言葉に、王が難しい顔をして言う。
王は明るい銅色の髪を乱暴に掻いて、革張りの椅子に凭れた。
「だからといって、言われた通り水の精霊の扱いを変えられるか? 全てに見て見ぬふりをして、水源だけを保っていろとセルフィーネに言うのか?」
エルノートが目を伏せて溜め息をつく。
「……難しいでしょう。今更ただの精霊に戻すには、
カウティスが執務室に戻ると、王が彼の胸を横目で見る。
「セルフィーネは落ち着いたか」
「はい。西部に戻りました」
答えるカウティスの顔を見て、エルノートが苦笑した。
「不服そうだな」
カウティスは何も言わずに目を逸らした。
「それで、竜人は皇国に帰ったのですか?」
カウティスが聞いた。
昨日出発した馬車の列に加わっているのなら、まだ国内にいるはずだ。
会えるのなら、直接話をしてみたい。
「いや、我が国を少し視察してから帰ると言って出て行った」
仏頂面の王が言う。
「視察? 竜人が市中をうろつけば、大騒ぎになるのでは……」
「隠匿の魔法というものがあるらしい」
エルノートが険しい顔で窓の外を睨む。
隠匿の魔法を使えば、どんな姿をしていても、周りにいるものは不思議と、影の薄い人間のように感じるらしい。
側にいても気付かず、気付いても違和感を感じないという。
バルシャークが太い腕を組む。
「皇国の竜人を野放しに出来ないので、滞在許可を出す代わりに供を付けることにして、騎士を二人付けたのです。しかし、その忌々しい魔法で撒かれました」
つまり、竜人は国内にはいるが、何処にいるかは分からないということか。
カウティスは奥歯を噛んだ。
日の入りの鐘が鳴ってすぐ、マレリィの部屋をカウティスが訪れた。
マレリィが微笑んで迎える。
「まあ、どうしたのですか?」
彼女は、昼間結い上げてある艷やかな黒髪を下ろし、右肩に緩く纏めてある。
細い肩には、ざっくりと編まれた白いレースの肩掛けが揺れる。
部屋の中に通されると、ふわりと柔らかな香油の香りがする。
子供の頃から慣れ親しんだ、母の香りだ。
鼻の奥から胸の奥までを、柔らかな手でくすぐられるようで、カウティスは懐かしくも恥ずかしいような気持ちになった。
「疲れているでしょうに、休まないのですか?」
そう言いながらも、マレリィは目を細めて嬉しそうだ。
「母上と二人で、話したいことがあるのです」
くすぐったさを無理やり押し遣り、カウティスは言った。
「私と二人で?」
マレリィは何かを察したのか、侍女がお茶の準備をして戻ると、そのまま受け取り、人払いをした。
二人だけになった静かな部屋で、マレリィがお茶を注ぐ。
小さな水音と、開けた窓から虫の声が聞こえる。
「ザクバラ国の事を、お聞きしたいのです」
マレリィがお茶を注ぎ終わるのを待って、カウティスが言った。
マレリィが僅かに細い眉を寄せ、静かに聞く。
「どのような事を聞きたいのですか」
「我が国が西部と呼んでいる地域が、元々はザクバラ国の領土だったというのは、事実なのですか?」
マレリィは、カップを持とうと伸ばした手を止めた。
「……その話を、どこで聞いたのですか?」
「西部国境地帯で……伯父上から聞きました」
彼女の手が小さく震え、指がカップに当たってカチャリと音を立てた。
「兄に……リィドウォル卿に会ったのですか?」
「伯父上は西部復興の、ザクバラ国側の代表です。……ご存知なかったのですか?」
カウティスは驚いて目を瞬く。
「聞いておりません……」
王はわざと、マレリィに伝えていなかったようだった。
カウティスとリィドウォルが関わることを知れば、マレリィが心配すると思ったのかもしれない。
「教えて頂きたいのです。あれは本当の事なのですか?」
「分かりません。過去の事は、文献でしか分からないことですから……」
「……母上は、どちらだとお思いなのですか?」
カウティスは、顔を上げた母の目を真っ直ぐ見て聞いた。
「……事実だと思っています」
カウティスは息を呑んだ。
マレリィはひとつ息を吐き、静かに語り始める。
「……ザクバラ国に生まれた者は皆、幼い頃から愛国の精神を植え付けるように育てられます。それと同時に、尊い愛国土を奪ったネイクーン王国への怨恨と、愛国土を必ず奪い返すという使命も教え込むのです」
マレリィもまた、幼い頃から当たり前のように
その頃の両国は、国境地帯での紛争が長く続いていたが、どちらかといえばネイクーン王国が優勢になりつつあった。
母方の親族も戦禍で亡くなった者があり、隣国への嫌悪感を増したまま、マレリィは13歳になる年にフルブレスカ魔法皇国へ留学した。
そして、同じ年に留学した、ネイクーン王国のエレイシアと出会った。
同班で学びを進める内、憎むべき隣国の者であるのに、マレリィは彼女の人柄に惹かれる。
既にエレイシアの婚約者であった若き日の王とも出会い、ネイクーン王国という国が、思っていたような凶悪な国なのか分からなくなった。
気付くと、周りで学ぶ他国の学生達の常識や価値観も、ザクバラ国とは大きく違う。
閉鎖的な意識から離され、少しずつ混乱するマレリィを根気強く支え、視野を広げてくれたのはエレイシアだった。
同じ頃、三つ年上の兄、リィドウォルも皇国で思い悩んでいるように見えた。
しかし、マレリィは魔眼を持つ兄が恐ろしく、また、文官志望でありながらも、祖国から魔術士としても学ぶ事を強要されていた彼とは、殆ど関わることがなかった。
「エレイシア様と陛下の励ましと協力で、三人で皇国に留学している間に、皇国や他国に記されている文献を出来得る限り集め、調べました。留学が終わって祖国に帰れば、私達は敵味方に分かれることになります。……何故、両国が長きに渡り争わなければならないのか、理由を知りたかったのです」
カウティスは、母から目を逸らさず聞く。
「……それで、何が分かったのですか?」
「ザクバラ国の主張通り、ネイクーン王国がザクバラ国の領土を奪ったのだと」
マレリィが、姿勢良く座った膝の上で、両手をキツく組んだ。
ネイクーン王国の文献だけが、自国の正当性を主張していた。
他国の文献にも両国の紛争の事が書かれているものもあったが、どれもザクバラ国の主張に近いものが載っていた。
皇国には、当時のザクバラ国が、疫病の流行で一時領土を手放したことも、オルセールス神聖王国に助けを求め、聖人が同国を救ったことも文献でしっかりと残されていた。
続く怨恨の連鎖を、断ち切ることは出来ないのだろうか。
マレリィが悩みながら成人し、留学を終えて祖国に帰国した時、ザクバラ国は政変が起こった直後だった。
長きに渡るネイクーン王国との紛争を終わらせ、新しい世を作ることを考えていた王太子を始めとする王族や貴族が、根こそぎ粛清されていた。
王の直系で残ったのは、身体も意思も弱かった二番目の王子ただ一人。
マレリィの母と、上の兄も巻き込まれて亡くなっていた。
マレリィは、憂いを帯びた漆黒の瞳で、遠くを見つめる。
「……そして、兄リィドウォルは、粛清を行った一派の主席魔術士として、王の側に仕えていたのです」
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※ 番外編
ネイクーン国王、エレイシア王妃、マレリィ側妃の三人の物語。
『庭園の花』
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