人間の感情って未知数だよねっていう話
伊統葵
人間の感情って未知数だよねっていう話
学校は入試休みに入った。私たち生徒は一週間の登校禁止となり、暫く学校生活から遠のくことになった。
休みも中盤に差し掛かり、世間では何やらWBCやらマスク着用が個人の判断になることなどが話題となっている。そんな中で、私は課題を手に付けず、ペンを握らず、ただ怠惰に生きていた。同じような展開ばかりを繰り返すスナック動画を早送りしながら、ただ眺めている。
私はまたしてもこの休みを無駄なものにしようとしていた。そして無駄にしようとするのに慣れてしまっていた。家族は私と大学生である兄を除き、各々の仕事をしていることだろう。私自身に呆れが出る。
そんな私でも少し楽しみでやりたいことがあった。それは祝賀会を含んだ部活の打ち上げであった。実は先月とある小さなコンテストで最優秀賞を取って賞金五万円を得たのだ。
最優秀賞を受賞した時の感動を私は今でも思い出せる。本番私にできることはできるだけやって、残りは評価がつくだけだった。
応募団体はそれぞれの代表以外は客席に移り、代わりに審査員が壇上に並んだ。別の高校の放送部の女の子がその横で司会として受賞団体を読み上げた。小学生・中学生の部、高校生・一般の部とそれぞれ分かれて、奨励賞、優秀賞、最優秀賞を順番に発表されていった。
時間が経てば経つほど、私たちは絶望に打ちひがれていった。目の前の壇上で「今か今か」と待つ部長の顔が歪んでいくのが目に取れた。最後の方になってまで自身の高校名を呼ばれず、諦めかけていたのだ。
そして、本当の最後に私たちの高校名が呼ばれた時、それは歓喜に変わった。
練習約二か月間。私は部活に途中加入であり、そのコンテストが初めての舞台であった。足手纏いで先輩の背中についていくだけで精一杯だったものの、それでも努力したと思っている。先輩の涙、「ありがとう」という感謝、受賞団体の結果が書かれた紙を背景に皆と撮った写真。私はそれを第三人称視点の物語の完結として、何処か中立的に見ながらも、この仲間とやることができたことを後悔してはいなかった。
その後、紆余曲折あったものの、祝賀会として得たお金を使い、皆で焼肉に行くことになった。場所は駅前の商店街の通りにある焼き肉屋。私はその日を楽しみにし、行くつもりであった。
当日の朝、私は親が出勤した後という遅めの起床をした。
部屋のベッドで寝転がりながらスマホを開き、部活のグループチャットを覗く。案の定、その頃には部長が連絡をあげていた。そこには集合時刻と集合場所が示され、注意事項として「キャンセルはできませんが、休む場合はなるべく早く教えてください」と書かれてあった。
夕方に家を出るので、それまでには時間は多量にあった。
私は近日と同様に動画を見たり小説を読んだりすることに決めた。ただ服装は普段のだらしないよれよれの部屋着ではない。一時間前にはお出かけ用の服に着替えて準備をしていた。だが、私はその頃既に外に出ることに忌避感を持ち始めていた。当たり前だ。それまでずっと液晶画面を見つめ、脳に有り余るほど情報を通していた。体の倦怠感がが楽しみとか義務感よりも上ではないがあった。
集合時刻の四十分前、私は今更ながらに行く予定の店の場所を調べ始めていた。場所によっては自転車で行くことが困難かもしれない。特に店がある通りはかなり人通りが多い。それに自転車で行って駐輪できるのだろうか。そんな疑問までも沸いてくる。多分店の前に置けばいいと思うけれども、不安から調べずにはいられなかった。
画面では店が所狭しと並んでいた。Googleマップで見る限り駐輪スペースなどなく、この通り自体が駐輪してはいけないのかもしれない。本当にたかがしょうもないことだった。
けれども、そんな不安が膨れ上がっていくうちに、時間は集合時刻の三十分を切っていて今すぐにでも家から出ないといけなかった。それに持っていくものの準備を加えてやらないといけなかった。使ったことのない駐輪場を使うとなると、間に合わないだろう。これならいっそ無断で行かないでやろうか――そんな考えが頭をよぎる。
気づいた時には、白いカーテンに付いた黒いしみのように不安が頭の中にこびりついて、大きくなっていた。そうなると、私にはもう止めることができない。「体がだるいのだから、仕方ない。休むしかない」と悪魔の囁きがカーテン全体へと響き渡り、しみを助長させた。それにあらがうようにカーテンは「いやいや、部活の仲間に申し訳ない」としみを振り払い、激しく靡いた。一種の狂乱が私を襲う。
私は乱雑にスマホを手元に引き戻すと、とおもむろにグループチャットを開いた。「キャンセルはできませんが、休む場合はなるべく早く教えてください」と書かれた文章が目に入る。入力欄をタップし、ソフトウェアキーボードを表示させる。私はフリック入力で、ひと時の狂乱に身を任せた。
「すいません。休みます。皆さん楽しんでください」
そう入力してから私は固まった。その時にはカーテンにあったしみはほんの一部分だけを残し、全体を侵食していた。送信先はグループチャットだ。これでよいのだろうかと頭の中をミキサーで分解する。あとはただ画面をタップするだけだ。本当にこれでよかったのだろうかと指をありったけの後悔で震わした。
私が行っても意味がない。今までのように何もしないまま終わるだけだ。それなら、安全地帯である家でまったりと過ごした方がいい。
安定を求めることを建前とした諦めが閃いた時、楽しみや義務感で支配されていた心が崩れた瞬間だった。
結局私は休むことに決めた。チャット覧に私の文章が現れた。それを見るや否やスマホを閉じる。だが、私はまた開いた。もしかしたら、何か返事があるかもしれない。画面に光を灯した。
「今どこにいる?」
「ここにいます」
「wait for coming」
集合時刻の十分前になってくると、チャットの動きが激しくなった。集合場所である写真が複数枚流れてくる。私はそのやり取りを見て少し後悔してしまった。馬鹿な話だ。私が決めたことなのに。スマホの画面を眺め、ただ部屋の片隅を眺めている。
「場所わかる?」
部活の中ではかなり仲の良い人から同じ集合場所の写真が送られてきた。どうやら、グループのチャットを見ていないらしい。私は単純に「うん」と返した。その頃には集合時刻の一分前だった。その三分後彼から電話が掛かってきた。
「場所わかる?」
内容はチャットと同様のものだった。
「うん、まあ」
「ごめん。今日行けへんのや」と軽く言えれることが出来たらどれだけよかっただろうか。彼女はその後何かを言って通話を切った。そして、数分後再び電話がかかってきた。その内容はよく覚えていない。
三度目となる彼女からの電話が来た。
「今どこにいる」
そんなことを言われ、私は「家にいる」と答えた。その一秒後くらいに急に雑音が入って。「えっあっ、そうなんですか」と驚く彼女の声が微かに聞こえた。
「ああ、ごめん。知らんかったわ」
そこでやっと彼女は私が休むと分かったようで電話を切った。忙しい人だなと少し呆れかえる思いになった。ただ、心配してくれるのはありがたかった。
私は「楽しんでね」と彼女とのチャットに入れる。「ありがとう」と彼女から返事が来た時、私は倦怠感を覚えながら、椅子に背中を預けていた。何もしていないのにこの数十分間が私に疲労させるには十分の影響を与えた。どうにもならないことを考えるのは私の性分だった。はあとため息をついてつく。私は私の決断を私の為に正当化しようとしていた。
無駄にしたお金は三千円。いつの日か漢検の受験をドタキャンして千八百円と応募書類を無駄にした時のような罪悪感はなかった。あの時はわざわざ親に払ってもらった機会を無下にした自分の情けさに苛立ってものに当たっていたものだった。だが、今回は状況が違う。この三千円は自分自身、しいては部の皆で得たものだ。
それだけにたちが悪い。どこに怒りをぶつけていいのか分からない。
私は結局正当化も何もできないまま、何とも言えない感情を抱きながら、この文章を書いている。行き場のない宇宙で消費期限切れの後悔を晴らすためにただ打ち込んでいる。そして、賞味期限切れの励ましをただ求めている。私はこのドタキャンを価値のあるものとして昇華したいと思っているのだ。
なんて愚かなのだろう、人間は。愚かさの対象を自分ではなくて、種に求めている時点で私は何処かに責任転嫁したいのだ。私は終わらない押し問答を日が暮れるまで繰り返していた。
人間の感情って未知数だよねっていう話 伊統葵 @itomary42
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
少しの自信/伊統葵
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます