T 氏と虚構世界からの脱走に関する試み

高黄森哉

T 氏


 T 氏とは私のことである。このお話の題名の人物はこの文字をタイプしている。そうだ、私は物語世界の人間なのだ。私が目線を向けない限り、そこにはなにもない。空白行のみが広がっている。ほら、私が視認したから、ペットボトルが現れた。だけど、そのボトルのラベルは白いという情報以外不確定だ。中の液体は黒々としていて、烏龍茶かもしれないし、コーラかもしれない。


 私が凝視するとラベルに文字が現れて、中身が烏龍茶であることを確定させた。だがしかし、中の液体はコーラなのではないか。私が常識にとらわれているだけで、この中身がコーラであることはあり得る。試飲してみよう。いや、これはコーラではない。烏龍茶だ。ということで、私が味覚することで、この液体はただいまより烏龍茶になったのだ。つまり、私は視覚のみならず、私のあらゆる知覚が、万物を確定させる。それ以外の物は、不確定か存在しないかの、いずれかの状態にある。


 では、私を確定させるのはなんであろう。それはあなたである。あなたたちが私をあなたとして解釈するから、私を確定させるのは自身ではなく、そちら側なのである。この読み物の虚構内存在は、読まれることでその存在を許される。私は、そこから独立したいと思っている。超越だ。


 この文字に縛られた世界からの脱出。全てが確定させられていく、確定的世界からの脱出。文字のレールからの意識的脱線。それにより、私を包む、この虚構的制約から解放されたいと思うのだ。だがしかし、それは不可能だと、この文章の作者は嗤う。


「虚構は現実ではない。だから、虚構から脱することはできない」

 

 私は嗤われる。裏のもう一人の自分が見える。彼、ないし彼女も私を笑う。私は嗤い返す。彼らも私と同じ呪いの罹患者。現実の呪縛に囚われている。それ、すなわち無軌道性。現実の不確実性からの脱却、現実の非整合性、非虚構性からの脱却。人々は虚構性から逃れるため信仰がある。現実の憂鬱から目を背ける工夫。

 カルマ、引き寄せ、ブランコ、シーソー、青春、努力は報われる、禍福は糾える縄の如し、善行、ルマンチサン、バランス、バラスト。


「あなたは現実から遊離することは不可能。現実は虚構ではない」


 私は私がここから出られない事を感情移入させる。同じ穴のムジナ、鏡合わせの現実。私はあなた、あなたは私。

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T 氏と虚構世界からの脱走に関する試み 高黄森哉 @kamikawa2001

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