言い訳がいいわけないよねって思ったとき

あおいたくと

言い訳がいいわけないよねって思ったとき

言い訳?いいわけねえだろ!って思ったりするけど、ときどき言い訳が口から出てしまいそうになることはあるし、実際に出してしまうことはまああったりするのではないだろうか。

で、自分で言おうとしているとき、または言ってしまったときでも結構モヤモヤするのに、誰かの言い訳を聞いたときはもっとモヤモヤしてしまうのではないだろうかか。

なんで最後のお題が「いいわけ」なんだろうと思いつつの、言い訳についてぶつぶつボヤいてみるターンのエッセイである。


言い訳をはいはいワロスとばかりにスルーできる人のメンタルには少し憧れる。

まず、言い訳って気付かずに、本気で受け取ってしまうケースもあるからだ。

もちろん言い訳って言葉で勝手に定義してるけど、ただ事実を話してるだけでも言い訳になってしまうようなので、理想が叶ってない事実報告を言い訳として責められるのもなんだかなとは思いつつ。

最初に言い訳と気付かずに弁解を受け取って(ちょっとおかしな表現かもしれないけど)、最初はまあ受け入れてやった、相手からすると騙されてやったということにしておこう。

それでもそれが回を重ねていったりしようものなら、さすがに良い人でもうすうす考え始めるのだ。

あれ、これ、もしかして、これまでも、言い訳じゃね?って。

気付いたら世界が変わってしまう系の気付きである。

なんで世界が変わってしまうかというと、「言い訳する人の語る世界」を、事実として受け取るわけだけど、まあ事実ではあると思うのだ。

「自分が期待した、想定した世界を持ってこなかった人」の世界。

それまでは、

「いつか自分が期待する、想定した世界を持ってくる人」の世界を受け取っていたのに、ある時を境に人は見切りを付けてしまう。

「自分が期待した、想定した世界を持ってきた人」の登場によって、

「自分が期待した、想定した世界を持ってこなかった人」は、言い訳ばかりして何も進んでいない、と定義されてしまう。

この、

「自分が期待した、想定した世界を持ってきた人」の登場、というのは、

身近にいる第三者かもしれないし、テレビやSNSなどメディアの向こうにいる誰かかもしれない。

それでも、自分が望む世界を持ってくる人が現れたら、そんな人の存在を知ってしまったら、自分が望む世界を持ってこない人はどんどん言い訳認定できてしまう。

言い訳ばかりの人の話に付き合ってて時間の無駄じゃね?

また次も同じような言い訳ストーリーを展開されるんじゃね?

相手の言い訳が積み上がるほど、自分の期待は裏切られる。

自分が望む世界を持ってこない人は、または組織が望む世界を持ってこない人には、

それを繰り返されているうちに、「もういい」と言えてしまったら、相手の言い訳劇場に付き合うことすら終わらせることもできるのだ。


何十年か生きてたらこういう経験は一度や二度はあったりするだろうし、モヤモヤすることもあるなと思ってしまうのだけれど、根底には「相手に期待している」からモヤモヤするんだろうなと考えてみる。

数値報告が達成できてるか、できていないか。

試験に合格できてるか、できていないか。

丁か半か並みに二分化できてしまう事象では特に、できなかったときのいろんな事実報告は言い訳に捉えられてしまうわけで、それもそれで、不条理も多々あるものだとは思ってしまうのだけれど。

ただ、それも、どのくらい本人や周りにとって達成可能なのか、無茶振りなのか、またそれを冷静に見極められる人がどれだけいるかで、違ってくるものだとも感じてしまう。

言い訳を言い訳と感じるのも、ただの事実で過程であると感じるのも、自分と相手の期待値に受け取り方がそうさせるのかもしれない。

いろいろ書いてきたけど、言い訳されるとモヤモヤする。ただ、言い訳したこともあるから、相手の言い訳という事実に至るまでの過程もゆっくり紐解けるだけの余裕は持っていたいとしみじみしてしまうのであった。

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