ミツヤマの地雷
佐古間
ミツヤマの地雷
「ミツヤマさん……まだ怒ってます?」
そろり、と効果音がつきそうな様子で、トンダさんの顔が棚から出てきた。
棚の影から覗くような姿は、まるで叱られて落ち込む子供の様だ。トンダさんの体格が小柄なせいもあって、余計に幼く見せているのだと思う。私よりも年上の社員のはずだが、一瞬微笑ましくなって私の顔が僅かに緩む。
私の気が緩んだのを敏感に察して、ぱっとトンダさんの顔に笑みが浮かんだ。瞬間、棚の影から体を出してこちらに近づいて来ようとする。
「いや、怒ってますよ」
のを、私は慌てて制した。
小走り気味になっていたトンダさんはぴたりと足を止めて、「えっ」と慌てた様子で再び私の顔を窺った。
「嫌ですって言いましたもん、私」
言いましたよね? と、隣でレジのロール紙の入れ替え作業をしていたスダさんに問いかける。急に振られたスダさんは、私の声に驚いた様子で「えっ何がです!?」とこちらを振り向いた。
“とまり書房”は寂れた駅前の寂れたビルのテナント店だ。店舗面積が小さく、レイアウトが限られているが、売りたい本・魅せたい本をどう表に出すか、工夫しながらどうにか商売していた。といっても、そもそもの人口が少ない地区なので、休日は“やや混み”するものの、平日などはすっかり閑古鳥が鳴いてしまう。
今日は土曜日だったが、生憎の雨で客足は悪く、少し暇な時間が続いていた。
仕事なんてものは探せばいくらでも見つかるものだが、タイミング的に「これ以上もう何もできることがない」という時もある。今日がそういう日で、仕方なく何度も何度も棚の整理をしたり、掃除をしたり、掃除をしたり……つまり掃除ばかりしていた。実際、雨が降っているので、お客さんが来るとすぐに床が汚れてしまうのだ。転倒防止のためにもマメな床掃除は必要だった。
そういうわけで、ちらほらと雑談をしながら過ごしていたのだが。
レジ台で無心になってブックカバーを折っていた私に、トンダさんが「あのさ、ミツヤマさん」と声をかけてきたのである。
その時点で嫌な予感はしていた――のだが、トンダさんは“とまり書房”の社員で、私はしがないアルバイトだ。上司に当たる人の話を遮るわけにもいかず、また何の話題かもその時点ではわからず。「なんですか?」と首を傾げた私は純真だった。
「雨の日なのにさ、傘持ってない人ってたまにいるじゃないですか」
続いた話は一見雑談の様で――嫌な予感を覚えつつも、「いますね」と相槌を打つ。その時レジの中にいたのは私だけで、同じアルバイトのスダさんは先ほど私が行ったばかりの掃除をもう一度端からやり直しているところだった。他にできる作業がなかったので。
トンダさんはスダさんがいないのをいいことに、レジ台の外から肘をついて身を乗り出してくる。そんなに近づきたいなら中に入って来ればいいのに、と思わなくもなかったが、対面しているこの体勢が良いのだろう。こそこそとナイショ話をするように声を低めて、「ああいう人の傘って、突然消えちゃうらしいんですよ」と言った。
今までの経験から、「あ、これは怖い話だな」と私はすぐに理解した。一見軽い語り口で入って、後でぞわぞわ怖くするやつである。
「待ってください、怖い話ならしないでください」
何を隠そう、私は怖い話が苦手である。
この間、先輩アルバイトのカイダさんと偶然深夜のコンビニで遭遇した際も、よくわからないまま怖い話をされてしまい、とても怖かったのを覚えている。結局その話は怖い話でも何でもなかったのだが――今回もそうとは限らない。なにせ暇を持て余した店内で、私を揶揄うことが好きなトンダさんが、わざわざ私のところにやって来て話をしているのだ。怖い話は、単純に怖い話なのだろう。
「え~、怖くないですよ?」
「いや、その顔は怖い話です」
やめてください、と、もう一度きっぱり断る。むふ、と、トンダさんの顔に笑みが浮かんで、私はさらに嫌な予感がした。
助けを求めようとスダさんに視線を向ける。スダさんは店内掃除に夢中になっていて、今日も可愛らしいパーマのかかったポニーテールをふりふり揺らしていた。視線を送っても気づく気配はない。私の視界を遮るように、トンダさんがずい、とさらに身を乗り出した。
「そのね、傘がね」
これは何かスイッチが入った顔だ、と、気づいた時には遅かった。
私がどれだけ嫌だ止めてと頼んでも、もはやトンダさんの口は止まらない。実に楽し気な様子で、突然消える傘と、その傘がどこに行ったのかと、どういう用途で使われているのか、淡々と、普段と変わりない調子で話し続ける。普段と同じ調子なのが逆に恐ろしかった。
慌てて耳を塞いだ私は、「なっ何も聞こえません!」と叫んで蹲るに至ったのだが――運の悪いことに、そのタイミングで「すみません」とお客さんが声をかけてきたのだ。
しまった、と思ったのは私だけではなかったようで。
トンダさんが慌ててお客さんの対応に入る。私は蹲った状態から立ち上がれずに、今の「何も聞こえません」がお客さんに聞こえてしまっただろうかと違う意味で怖くなった。
本を探していたらしいお客さんは、特に何か言うでもなく、トンダさんの案内でレジから離れていった。代わりにレジに入ってきたスダさんが、蹲ったままの私を見て「えっミツヤマさん大丈夫?」と駆けよってくれたのだが、怖い話への恐怖とお客さんに聞こえたかも知れない恐怖とでプチパニックに陥っていた私は、肩を叩いてくれたスダさんにまで驚いて、追加で「うわっ」と悲鳴まで上げてしまったのだ。
それで、今に至る。
スダさんは蹲る前の状況を知らないものの。私とトンダさんがレジで何やら話していたことは見ていたので、私の顔色がどんどん青くなっているな、とは思っていたらしい。
落ち着くまで(他のお客さんもいないし)バックヤードに連れていかれた私は、対応を終えたトンダさんに丁寧に謝罪を受けたのだが。
「いいですか、トンダさん。普段私の事を揶揄うのは構いませんが、怖い話だけは止めてください。本当に嫌なんです」
「はい……反省してます……」
落ち着いてみれば、ふつふつと怒りがわいてきて、トンダさんに滾々と「人が嫌がっていることはしない」と話し続けて三十分。少しずつお客さんが増えてきたのでいい加減出てきて、とスダさんに声をかけられ、トンダさんと離れてからも、トンダさんを見るたびにキッと目を吊り上げ「嫌なことはしないでくださいね」と言い聞かせること三十分。
年上で、社員で、私の上司に当たるはずなのだが、すっかりトンダさんは怯えた様子で私の事を窺っていた。
それで、先ほどからずっと、「そろそろ許してくれたかな?」「まだかな?」と、そろそろ私の事を観察しているのである。
「うーん、確かにトンダさん、やりすぎちゃったなぁって思いますけどぉ」
そもそも私がトンダさんに怒っている理由を把握していなかったスダさんに、ざっくり説明しながら意見を求める。
スダさんは苦笑を浮かべながらパチンとロール紙の蓋を閉めた。
「ミツヤマさんも、実はもうそんな怒ってないですよね? いい加減許してあげたらどうです?」
客観的に私たちの様子を見ながら、そう提案してくる。私はぐっと言葉に詰まった。
確かにもうトンダさんに怒っていない。というより、年上で、社員で、上司の方に対して相当失礼な態度を取ってしまったな、と少し後悔しているくらい。でもそれくらい「嫌なこと」ではあったので、強く主張しておかなければトンダさんならまたやりかねなかった。短い付き合いだが、(自分が)楽しい事には全力で進む方なので、その時に「ミツヤマは怖い話が嫌い」という情報を覚えているかどうかが不安なのだ。私の見立てだと覚えていない。
でも、本棚の影からひょっこり覗き見ているような、それほど怯えさせたいわけでも勿論なかった。少し意地を張っていて、今更「もういいですよ」と許してあげるのが気恥ずかしいだけだ。
「あの……あのね、ミツヤマさん、いいわけさせてほしいんだけど」
私が揺れているのを察して、トンダさんがぱっと口を開いた。いいわけ、という言葉に視線を向ける。私より二十センチほど背の低いトンダさんは、小柄な分それだけで可愛らしく見える。実際可愛らしい方ではあったが。
今は一生懸命弁明しようとしているので、なおの事“年上感”が抜け落ちてしまっていた。小柄で可愛らしくても、しっかりしていてハキハキ頼りになるお姉さん、というイメージだったので、こういう姿はかなり意外だ。スダさんが驚いていない辺り、存外こちらが素なのかも知れない。
「その……トンダ家ではね、退屈になってくると、お互いが創作したホラーを語り合って退屈しのぎをする習慣があって……スダさんにも、カイダさんにも、ハヤシダさんにも私、やってて……恒例行事というか……だからミツヤマさんだけすごく驚かせたかったわけじゃなくって……そりゃ、その、私の話に怖がる様子に面白くなっちゃったのは確かだし、やりすぎたのは本当に申し訳ないと思ってるんだけど……」
ぼそぼそと話すトンダさんに、私は小さくため息を吐いた。
トンダさんなりのコミュニケーションだったというのは理解しているし、いじめや嫌がらせだとは全く思っていない。そもそも、“これ”を嫌がらせだと思うなら普段の”揶揄い”だって嫌がらせだと思うだろう。“とまり書房”の人たちは気さくで人懐こくて、私の事を揶揄うことが好きなようだが、決して私を嫌ってるからではないと理解している。なんというか、“愛”ある弄られ方をしている、ようなので。
「……仕方ないですね」
ため息の音にびくりと肩を震わせたトンダさんと、視線を合わす。じっと私を見返すトンダさんに「許してあげます」と大仰に言った。
「あっ、トンダさん、勿論ですけど、怖がってたミツヤマさんを揶揄うのもダメですよぉ」
「わ、わかってますよ!」
にこにこと私たちを見守っていたスダさんが、横からのんびりとした調子で注意を付け足した。本当に嫌なものは嫌なので、それは確かに、揶揄わないでいただきたい。
トンダさんは慌てた様子で「もう怖い話もしません!」と宣言をすると、レジ台の向こうからぱっと右手を差し出してきた。
「えっと……?」
「仲直りの握手、しましょう。っていうかそもそも、業務中に雑談振った私が一番悪いんですけど、それも含めて」
ごめんなさい、と、改めてトンダさんが頭を下げたので。
体格差のせいか、私より一回り程小さい右手をそっと握り返して、「えと、私も騒いで、怒りすぎてすみませんでした」謝罪した。
スダさんが後ろで「良かったねぇ、良かったねぇ!」とぱちぱち拍手をするのが気恥ずかしい。
トンダさんがいつものようににかりと笑って、「それじゃ、またお仕事頑張ろうか!」と声をあげる。私たちは互いに顔を見合わせて、「お客さん、来てないですけどね!」とくすくす笑い合った。
ミツヤマの地雷 佐古間 @sakomakoma
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