僕が育てた『いいわけ』の話

縁代まと

僕が育てた『いいわけ』の話

 人類は完璧になりすぎた。

 何かに失敗することも間違うこともなく生活し、もはやAI搭載アンドロイドとの差といえば肉体が有機物か無機物かの差しかない。

 果たして人間という種としてそれは正しいのだろうか?

 そう嘆いた人類の最高指導者レカテリーナ・ハルメルが『人類不完全育成プログラム』を始動させたのが百二十年前のことだ。


 人間には不完全なところがあってこそ。

 不完全さこそが人間を人間たらしめる。

 完璧さなど被造物に任せておけばいい。


 そんな思想のもと人類不完全育成プログラムは花開き、人は生まれると義務教育の過程で不完全さを得るため薬剤の投与を受けながら様々な試みに挑むことになった。

 僕、耕市こういちは日本区で日本人由来の遺伝子を持って生まれた十五歳。僕も例に漏れず不完全になるべく邁進している学生のひとりだ。

 人間は百二十年前までは十八歳まで成長してから人工子宮を出ていたらしいが、現代は十歳に短縮されており、そこから先は実際に自分で見聞きしながら学習をしている。


 つまり僕の人生歴は五年だった。

 まだまだ不完全には遠く、テストも百点ばかり取ってしまう。


 学校では不完全になるための勉強やテストの他、宿題もたびたび出されていた。

 今回の宿題は――『いいわけ』を育てること。

 そんなテーマと共に先生から手渡されたのは、手乗りサイズの瓶に入ったマリモのような何かだった。ただしマリモと異なりクラゲのような触手が生えている。よくよく見れば目のような器官が球体の中央を一周していた。


「先生、これは何ですか。データにない生き物です」

「わからないことがあるのは素晴らしいですね。ぜひわからないまま進めてください」


 先生はにこやかに言った。

 質問の回答は非開示らしい。僕はもう一度マリモもどきを見る。

 もしかして――育てるということは、『いいわけ』というのはこれのことを指すのだろうか?


     ***


 僕は帰宅してすぐにマリモもどきにイイワケという名前を付けた。

 何の生物なのかは依然としてわからないが、水中に居て触手があるということは微生物を触手で捕らえて食べるタイプなのかもしれない。そこで生体3Dプリンターで数種類の微生物を生成し与えてみる。


「食べない……」


 マリモのように光合成をするのだろうか。

 触手や目は敵から逃れるためのものかもしれないが、それだとコスト的におかしい。触手の維持も然ることながら、目や恐らく存在するであろう脳の維持は光合成で賄えるエネルギーじゃないだろう。

「そもそも口が見当たらないような……もしかして完結型生物?」

 飲み食いしなくても一定の期間健康に生きる生物のことだ。地球の清浄化に一役買っており、二千年前に人工的に生み出されたらしい。

 イイワケが完結型生物なら辻褄は合うが――先生は育ててくださいと言った。

 人間による飼育が必要な生き物だとすれば、それは完結型生物ではない。


 不思議なことばかりだ。

 ひとまず僕は数日間様子を見ることにした。


     ***


 二日目。

 イイワケは今日も意味もなく水中を漂っている。

 この移動方法も謎だ。クラゲのように動いているわけでもないし、ヒレやエラがあるわけでもない。水を吸って噴出させているわけでもないようだ。


 三日目。

 もしかして瓶が狭いのかもしれないと思い当たり、先生に「イイワケの飼育環境の変更申請をさせてください」と頼むと「この生物の飼育環境変更に許可は不要ですよ」と返された。

 許可不要の生物なんて初めて聞いたので少し面食らってしまった。


 四日目。

 イイワケを少し大きな水槽へ移した。

 心なしか動きが軽快になった気がする。餌はまだ食べない。


 五日目。

 プランクトン以外も試そうと貝、魚の切り身などを与えてみたが見向きもしない。

 死んだ餌は食べない生き物も居るので、念のためメダカサイズの小魚を入れてみたが――大変だ、イイワケの方がつつかれてしまった。

 出血はないが目がひとつ無くなった。大失敗だ。


 六日目。

 傷の経過観察。今のところ落ち着いている。


 七日目。

 傷の経過観察。少し動きが鈍った気がする。

 先生はどうしてこんなよくわからない生き物を育てるように言ったんだろう。


 八日目。

 イイワケの目がもうひとつ勝手に取れた。

 それとも気づいてなかっただけで、小魚につつかれた時に怪我をしていた?

 このままイイワケが死んでしまったらどうなるのだろう。先生が怒っているところを見たことがないから上手く想像ができない。


 九日目。

 イイワケがどろりとした分泌液を出し始め、水槽の水がすぐ汚れる。

 水を換えると少し元気になるので都度都度水を換えたが追いつかないため、夜間の水換えは家事アンドロイドに任せた。


     ***


 十日目。

 先生からはイイワケを十日間育てるように言われていた。つまり今日だが、学校は休みである。

 指示では僕がイイワケを与えられたのと同じ午後三時に日本区のマザーAI『ゼニス』に提出に行くことになっていた。


 だが僕は朝起きた時から最悪の気分だった。

 イイワケの育成がちっとも上手くいかない。

 きちんと育てないとちゃんとした不完全になれないのではないか。先生からも見放されるかもしれない。それは嫌だ。

 しばらくベッドでぼうっとしていたが、このまま時間まで時間を潰すのも勿体無い。不完全を目指していてもその不完全さには優先順位があり、時間を上手く使えない不完全さはお呼びじゃないのだ。時間は有意義に使うべきだろう。


 ひとまず一階に降りた僕は一瞬で頭が真っ白になった。


 水浸しの床に家事アンドロイドが倒れている。

 イイワケは割れた水槽にわずかに残った水の中でもがいていた。

「そんな……」

 僕は素早くアンドロイドに携帯端末を繋いでログを確認する。

 水換えは家事判定で可が出たので任せたが、本来の用途からはやや外れていた。それを夜間に何十回と繰り返すうち、最適化された行動ではないが故に手が滑って落としてしまったらしい。

 更に水槽の破片で転倒したアンドロイドは硬強化ガラスのテーブルに頭部を打ち、頭脳チップをやられてしまったようだ。

 僕はひとまずイイワケを元の小瓶に戻し、サポートセンターに連絡して家事アンドロイドの回収と代理の手配を頼んだ。


 その最中もイイワケは小瓶を汚している。


 なんだかイライラしてきた。

 こんなに頑張っているのに結果が出ない。イイワケが応えてくれないせいだ。

 焦燥感や不安感も久しぶりに感じた。専用の薬を飲んでいないのにこんな気持ちになったのは初めてかもしれない。

 もしかしてこのためにイイワケを飼育させたんじゃないだろうか?


「でも、万一そうじゃなかったら……」


 何度も「もしかして」を裏切られてきた僕は確信を持てなくなっていた。

 良質な失敗なら先生は不完全に近づきましたねと喜んでくれるかもしれないが、不完全は優先順位の他に度合いも決められている。過度な不完全さは毒になるからだ。

 ただ、そんな毒に侵された人間は今のところ出ていない。

 これくらいの失敗はむしろ褒められる――はず。そう、きっと大丈夫。


 それでも早くイイワケを手放して楽になりたかった。

 イイワケの飼育は確実に今までの宿題の中で一番嫌だと感じた宿題だ。これが更新されることはしばらくはないだろう。

 ……そんなことを考えている間に、イイワケの小瓶がまたドロドロに濁っていた。

 やっぱりイライラする。


「この出来損ないの生き物め……」


 僕は小声で悪態をつきながら水を換えた。

 生き物への理由のない罵倒は禁止されているが、プライベートゾーンでなら通報されない限りはバレはしない。

 もしバレても「本当のことを言っただけです」と説明しよう。事実なんだから仕方ない。そう、仕方ない。


「……?」


 妙な感覚があった。

 ただ、なぜか少し心が軽くなったのでさっさと綺麗にした水にイイワケを入れる。時間にはまだ少し早いが、マザーAIの居るシェルター施設S-2167zenithに向かうことにした。

 施設には生体専用トンネルを使い移動するが、途中まで徒歩で行こう。気分転換になるはずだ。

 道中でも必要になるであろう水換えのためにボトルに水を入れて家から出る。

 今日の天気設定は晴れ。良い日だ。


 しばらく歩いているうちに心も落ち着き、ほんの少しイイワケのことも可愛く見えるようになった。

 もう今日でお別れなんだ、記念撮影くらいしておいても良かったかもしれない。

 そう考えながら僕は生体専用トンネルに足を踏み入れた。


 生体専用トンネルは街のあちこちにある移動用トンネルだ。パイプとも呼ばれることがある。

 壁にぽっかり開いている入り口から入ると自動で目的地まで運んでくれるのだ。スピードも車より早いが重力が制御されているので問題ない。市民は誰でも使っていいことになっている。


 しかし僕はすぐにこの選択を後悔した。

 イイワケが重力に負けて端から崩壊し始めたのである。


 生体専用トンネルの重力制御は生体のデータと照らし合わせて自動適用されるが、イイワケにはデータがなく、制御が効かなかったのだ。

 それでも瓶が割れるほどではないものの、イイワケには耐えきれない重力負荷だったらしい。


「そうだよ、調べても出てこなかった生き物なのにデータが登録されてるわけないのに……」


 もちろん登録されている可能性だってあったが、それでも安易にトンネルを使わず事前に注意をしておくべきだった。それなら吟味した上での失敗になる。

 これじゃただの凡ミスだ。

 そう思った瞬間、羞恥心と焦りが湧き出す。

 イイワケはS-2167zenithに到着するまで持つだろうか。いや、持ったとして半壊したイイワケをマザーAIに見せるのか?

 酷い判定を受けたらどうしよう。

 適度な不完全さは大歓迎だが、愚かなほど不完全なのは人間らしくても最良とは言い難い。嫌だ。


(なら、ならそうだ、経過と経緯をちゃんと説明しよう。不可抗力だったとマザーなら理解してくれるはず。そもそも――)


 こんなおかしな生き物の飼育を説明書もなく宿題にした先生が悪いんだ。

 僕は一生懸命やった。

 それでもこんなことになってしまったのは先生のせいだ。


「……」


 いいや、と心の中で僕が僕を否定する。

 先生の出す宿題は緻密に計算されたものであり、間違いはない。

 ならイイワケが上手く世話を出来ないことにも理由があったはず。まずはそう考えるべきだった。なのに僕は保身を図って先生を悪者にしたのだ。

 そもそもこのトンネルを使ったミスは僕自身のもの。

 そして家事アンドロイドの事故も僕の指示によるものなのだから、僕のミスだ。

 ミスを棚上げして他人に責任をなすり付けてしまった。


「な、なんでこんな思考を……、……えっ!?」


 突然理解した。

 不合理で不出来な説明を考えていた過程で出来た吐露だと思っていたが、そうじゃない。

 あのアレコレ浮かんできた保身の言葉、あれこそが『言い訳』だ。


 遥か昔、まだ完璧ではなかった人類は精神的にも幼稚で、現実基準にされている最適な不完全さより恐ろしく下に位置していたという。歴史の授業で習った。

 僕らは人工子宮から生れた時から非常に安定しているが、そんな僕らより幼稚なまま老化する年齢まで生きる人間が数多く居たそうだ。


 そんな頃、人々はよく自分の保身のために言い訳をした。


 説明ではない。言い訳だ。

 僕は目を輝かせる。


「そうか、これが言い訳! 言い訳を育てろっていうのはこの理不尽な生き物の飼育を通して言い訳をする心理と原理を理解しろということだったんですね、先生!」


 きっとイイワケは元からこうなるように作られた人工生命体なのだ。なるべくしてなった理不尽な命だ。でなければここまで生きるのに適していないなんておかしい。

 僕の中でパズルのピースが嵌り、不謹慎ながらわくわくしてしまった。

 先生が仕組んだことなら、言い訳をしてしまう人間の精神は基準内の不完全さであり、つまりきちんと不完全になれているということなのだろう。とても素晴らしいことだ。


 トンネルの中で僕は「早くマザーのところへ着きますように!」と願った。

 イイワケはほとんど崩れてしまい、水面に屑と目だけぷかぷかと浮いている。だが言い訳を理解した僕には使い古した誇らしい教材に思えた。

 軽快な気持ちでトンネルの外を見る。空中を通っているトンネルからは周囲の景色が見え、施設まではもうしばらくかかることがうかがえた。

 とはいえ二十分も経つ頃には施設前まで着いているだろう。


「これでマザーや先生に褒めてもら――」


 微弱な振動が伝わってきた。

 振動対策の施されているトンネル内でこれなら外では相当の揺れのはず。

 三十分前の警報も無しに地震が起こるのは珍しい。そう思っていると外のビルに取り付けられた大型モニターの映像が乱れ、新商品のCMから見知らぬ人間の顔に移り変わった。音声もそれに倣って変わり、何かを一斉に叫んでいる。


『AIに支配された社会に終止符を!』

『我々は不完全さを取り戻し、理解した! この世界は異常だ!』

『人類を解放せよ!』


 ……なんだこれ?


 僕はそんな感想を抱きながらモニターを凝視し、それだけ長い間見れるのはトンネルが停止しているからだとようやく気がついた。緊急停止してしまったらしい。

 足元では人間が街中のアンドロイドを襲っていた。まるで獣のようだ。

 あちこちで警報が響き、警備アンドロイドに人間が射殺されていく。それでも勢いは止まらない。


「本当に……なんだ、これ……?」


 モニターの人間はまだ何かを説いていた。

 停止しそうになる脳に鞭打って聞いてみると、どうやら彼らは不完全さを取り戻した人間であり、組織を作ってクーデターを起こしたらしい。

 なぜそんなことをするのだろう。


 不完全を取り戻した人間なら素晴らしいことをしているんだろうが、でもこれはおかしい。

 なら基準外の不完全な人間が愚かなことをしているんだろうか。

 僕には判断がつかない。先生かマザーに訊ねたい。しかしここにはいない。

 手から滑り落ちた瓶が割れ、足元にイイワケの破片がどろりと広がった。半透明のそれ越しに血と人工血液の混ざり合った道が見える。

 そこかしこで爆発が起こり、トンネルの真上を暴走した飛行機が掠めていった。


 地獄だ。


 授業で習った地獄と瓜二つだ。

 遠くでマザーAIの居るS-2167zenithから黒い爆炎が上がるのが見えた。遅れて衝撃波が広がり、近い生体用トンネルから順に粉々になったのを確認する。

 幸いにも僕のいるトンネルはヒビが走っただけだったが、壊れたトンネルにも人間が居たと思うと――そんな恐ろしい想像したくない、と突然心が拒否した。こんなことは初めてだ。


 不完全さは素晴らしいもののはず。

 いくら基準外だからってここまでの愚行はしない。なら。


「……この行動も素晴らしいことなんじゃ?」


 制御の利かない心臓を胸の上から押さえながら呟く。

 今にも口の中から飛び出してきそうなくらいドキドキしていた。

「これだって恐怖なんかじゃなくて、そう、素晴らしいものを目の当たりにしてドキドキしてるだけなのかも。それに先生も「素晴らしすぎて理解できないこともある」って言ってたし……」

 地獄は続いている。

 やっぱり地獄に見えてしまう。

 でもそれを認めてしまったら、僕はもうめちゃくちゃになってしまう気がした。


 だから。


「これも――この光景も美しい光景なんだ。有終の美と……不完全の美で……終わりがあるから美しい」


 だから。


「人間は不完全に戻れた」


 だから、地獄に見えないように。


「……素晴らしい光景だ!」


 僕はそうやって、言い訳をした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕が育てた『いいわけ』の話 縁代まと @enishiromato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画