悪霊取締課

岡本梨紅

第1話

「ぎゃああああ!」


 男は悲鳴を上げながら、深夜の町を全力疾走、いや全力で空中を飛んでいた。なぜなら男には足がなく、頭から流れていた血のせいで顔面は血まみれ、着ているスーツもズタボロで、右腕は変な方向に曲がっている。つまり交通事故に巻き込まれて死んだ幽霊なのだ。


「待ちなさい! いつまで逃げるつもり⁉」


 そんな男の後を、ズボンの喪服姿の華奢で若い女性が、体に見合わぬ大きな鎌を持って、空を駆けながら追いかけていた。


「お、俺がなにをしたっていうんだよ! なんで死神なんかに追われなきゃいけないんだよ!」

「死神なんかですって⁉ 死神も立派な職業よ!」


 死神、あかりは男の言葉に怒る。


「知るかよ! ついてくるんじゃねぇ!」


 幽霊でも体力はある。裏路地に追い込まれた男は、思わず舌打ちをする。灯は道をふさぐようにして男の前に立つ。


「私は悪霊取締課の死神、灯。私はあんたに罰を、罪を償わせるために派遣された死神よ」

「悪霊取締課? お、俺が悪霊だっていうのかよ」

「えぇ。あなたが事故死したとき、最初にやってきたお迎え課の人たちから、逃走したでしょう? その後、幽霊なのをいいことに、数えきれないほどの悪さをしていた。立派な悪霊よ」


 灯のいう悪霊取締課やお迎え課というのは、ここ数十年の間に地獄では仕事の見直しがされており、そのなかで人間の役所仕事を真似て、それぞれ所属する課を設けることになったのだ。灯はその悪霊を取り締まる悪霊取締課に所属している、新人の死神だ。


 灯は最初、死ぬべき運命で死んでしまった人たちが、現世でさまよわないように、地獄で公平な裁判を受けてもらうために迎えに行くお迎え課に所属していた。

 しかし、ここ最近では死ぬべき運命以外で亡くなる人が急増し始めた。疑問に思った灯は、彼ら彼女らに直接話を聞いてみることにした。


「実は、上司からひどいパワハラを受けて……。周りは誰も被害に遭いたくないから、助けてくれなくて……」

「私は全身血まみれで、首がねじ曲がった男にしつこく追いかけられたわ。私は昔から、普通の人が視えないものが視える性質だから。周りにも理解されないし、心を病んじゃって、そのうち、生きることも嫌になって自殺したの。今思うと、家族に悪いことしたなって思う。家族は理解者だったから、相談すればよかった」

「そう……。辛かったわね。でも、ここではそういう苦しみから解放されるわ。次の人生ではいい人生を送れるかもしれないわよ」

「自殺って、罪が重いんじゃないの?」

「それは別の宗教ね。たしかに自殺はよくないけど、それだけ苦しんでいたってことでしょう? ここでは精神的ケアもしてるから安心して」

「死後の世界なのに、現世よりも対応、しっかりしてくれるんだな」


 そう言って、サラリーマンの男性と女子大生は笑った。


「……俺の場合は、幽霊に背中を押されたんだ。いきなり正面に血まみれの顔が見えたと思ったら、後ろから強く押されて、俺は線路に落ちた。動こうにも目の前には電車が迫ってきていて、そのまま俺は……」


 茶髪にピアスとヤンキー風の男が悔しそうに言った。


「俺は将来、ミュージシャンになりたかったんだ。中学、高校と親父とお袋に迷惑ばかりかけちまってたってのに、二人は俺の夢を応援してくれて、音楽の専門学校に行かせてくれた。だから俺は有名になって親孝行をしたかったんだ。二人は旅行が好きだから、三人でいろんなところに旅行に行きたかった。なのに……」


 青年は悔しそうに涙をこぼした。灯はそんな青年を抱きしめてやる。


「あなたをそんなひどい目に遭わせた悪霊は、私が必ず地獄に送ってあげる。そしてそいつは永遠に苦しみ続けることになるわ。絶対に、許さないんだから」


 パワハラを受けて、自ら命を絶った人もいれば、第六感ともいえる霊感を持っている人が、悪霊によって殺されていた。その事実を知った灯は悪霊取締課に転属願いを出した。悪霊ならば容赦なく、支給される死神の鎌で、切りつけることで、強制的に地獄へ行かすことが可能であり、本来なら受けるはずの長い裁判をすっ飛ばして、灼熱地獄などに落としたりすることができるのだ。


 灯は目の前の男を見つめた。


「あんた、自分がした罪の重さ、わかってる?」

「つ、罪の重さ? 俺はなにもしてねぇぞ!」

「はい嘘」


 灯は懐から黒い手帳を取り出した。そこにはびっしりと字が書きこまれている。これらはすべて、この男が生前してきた行いの悪さから、幽霊になってからしてきた悪行について書かれている。


「あんた、生前もロクなことしてなかったようだけど、死後、幽霊となってからも、ずいぶんと悪さをしていたようじゃない」

「そ、それって、そこら辺の奴らを脅かしていたのが悪いってことか?」

「そうよ」


 灯はあっさりと頷いた。


「人間の中には第六感とも言えるべき霊感を持つ人がごく稀にいる。私のような死神や、あんたみたいな幽霊はそれを見分けることができる。霊感を持っている人たちは、独特なオーラを発しているからね。だから、女の子にたいしてはわざと付きまとったり、男の子にたいしては大勢の前で驚かして恥をかかせたりしていた。そのせいで、心を病んでしまったり、孤立してしまった子がいるのよ」

「お、俺は悪くねぇ! 精神病になったのは、そいつの心が弱いせいだ! 孤立した奴だって、単純に周りの連中が冷たかっただけだろ! 俺のせいじゃねぇ!」


 男は「自分は悪くない」と強く言い張る。灯の瞳はだんだんと怒りの炎を灯す。


「あんたが脅かしたりしなければ、彼ら彼女らは、ごく普通の生活を送れていたのよ! それをあんたがぶち壊した! しかもつい最近、あんたが起こした悪行は本当に許し難いわ」


 灯は静かに、だが怒りを込めた言葉で男を見つめる。


「最近? 俺は最近は何もやってねぇぞ!」

「あら? あんたはつい一昨日やったことまで忘れてしまうほど、お馬鹿さんなのかしら?」


 灯は侮蔑の目を男に向けた。


「人間というのは、いつどうやって死ぬか、運命で決まっているの。でもあんたは一昨日、電車がもうすぐ入ってくるっていうホームで、ある青年を脅かしたでしょう?  そのせいで、青年は線路に落ちて電車に轢かれて亡くなってしまった。本来ならあの子はあそこで死ぬべき人間じゃなかった。あんたは、未来ある青年の人生を奪った。あの子の家族から、あの子を奪った‼」


 灯の怒声に、幽霊の男は肩を縮こませる。


「あ、あんなに驚くとは、思わなかったんだよ」

「それも嘘ね。いい加減、いいわけするのをやめたら? あんたはね、うちの悪霊取締課でもブラックリストに載ってんのよ」

「私たち死神が所属する課のことよ。あんたのような悪霊を取り締まって、強制的に地獄へ送り、罰を受けさせるのが私たちの仕事。あんたは悪霊。だから、地獄行きは確定事項なの」

「じ、地獄だと⁉ 俺は、ただちょっと脅かしたりしてただけじゃないか!」

「それも嘘」


 灯はひどく冷めた目で男を見つめる。


「電車に轢かれて死んだ青年の時、あんたはわざとあの子の背中を押した」

「お、押してねぇ! そもそも幽霊が物を触れるわけねぇだろ⁉」

「例外はあるわ」


 何も知らない男に、灯は説明してやった。


「霊感を持つ子には、触れることができるのよ。それにあんたが、押したっていう証言は、当事者の子から事情を聴いているわ」

「そ、それは、そいつが嘘をついているんだ!」

「それはありえない。地獄にはね、現世、つまりこの人間界を見ることができる浄玻璃鏡じょうるりのかがみっていうものがあるの。それにばっちり、あんたの行いが映っていたわ」

「っ⁉」

「それに、相手の正面にあんたの血だらけの顔を見せたとしたら、あの青年は後ろに下がるか、尻もちをつくはず。だけど青年は線路に落ちた。つまり、あんたが脅かしながら彼の背中を押したのよ!」

「ぐっ」


 灯の指摘に男が声を詰まらせる。


「それから、あんたが生前してきたことを、自分の胸に手を当ててよく考えてみなさい!」

「生前してたこと? 俺はガキのときだって、万引きすらしたことねぇぞ! だから、なんの罪も犯しちゃいねぇ!」


 灯は深くため息をついた。


「あんたって、いいわけばかりするのね。まぁ、そういう人間だからこそ、死んですぐやってきたお迎え課のみんなから逃げ出して、現世にとどまり続けて、悪さばかりする悪霊になるのよ」


 灯は手帳に書かれていることを読み上げた。


「生前、あんたは自分が部長なのを鼻にかけて、女性にはセクハラ。男性にはパワハラ。それからモラハラもしていたらしいじゃない」

「お、俺はそんなことしてねぇ!」

「だから、いいわけをしても無駄よ。全部わかっているんだから。あんたがしてきたことで苦しんで、自ら死を選んでしまった人もいるのよ。誰にも相談できなくて。本当にかわいそう……」


 灯はそんな彼らから話を直接聞いているので、話しているだけで胸が張り裂けそうだった。だが、死霊の男はフンッと鼻を鳴らした。


「そんなの、そいつの心が弱いだけじゃねぇか! 俺が新人時代のころは、もっと厳しくしごかれたんだ! それをちょっと強く言われたくらいで死ぬなんて、そいつは生きてる価値がもともとなかったんだよ!」


 男の言葉に、灯は鎌を強く握りしめると、素早く鎌を振りかぶった。


「ぎゃああああ!」


 男は悲鳴を上げて、胴体と下半身が真っ二つになった。切られたところから、砂粒のようにさらさらと男の体の部位が流れていく。


「な、なんだ⁉ 俺の体はどうなっちまったんだ⁉」


 男は慌てるが、灯は冷静だった。


「言ったでしょう? あんたは裁判をするまでもなく、地獄行きよ。あぁ、安心して。地獄ではちゃんと生前の肉体を与えられるから。でも、永遠に死ぬことはない。永遠にあんたは苦しみ続けるの」

「た、たしかに、ちょっとやりすぎた部分はあるかもしれねぇけど、この世の中、もっと悪行をしている奴らだっているだろ! 俺だけが地獄行きなんておかしいじゃねぇか!」

「そいつらも死後は地獄行きだから、安心して」


 男の体はどんどん消えて流れていく。


「い、嫌だ! 消えたくねぇ!」

「どんなに喚いても無駄よ。あんたの地獄行きは満場一致で決まってるの。あぁ、そういえば、あんた、奥さんと娘さんがいたわね」

「そ、そうだ! 娘はまだ17歳だ。成人年齢が下げられたから、来年が成人式だ。俺はその姿を見てぇんだ! 大学の入学式や卒業式、それと会社に就職したら、その入社式も見守らなきゃならねぇ!」


 男の力説に、今度は灯が鼻で笑った。


「あんた、家族に相当嫌われていたようね。亭主関白で、家に帰れば奥さんをまるで奴隷のようにこき使って。酒癖も悪くて、奥さんに暴力、つまりDVもほぼ日常的に行っていた。ずるいのは、服で隠れる場所にしか攻撃をしなかったこと。奥さんは自分が反抗すれば娘さんに被害が行くと思って、ずっと我慢していた。

 でも、娘さんはあんたの行いを知っていたから病院で診断書を書いてもらって、警察に被害届け出をだしたのよ」

「なっ⁉ お、俺が一生懸命に働いてやったから、あいつらは生活できてたんだぞ!」

「パチンコとかに使っていたくせに何を言ってるの? 奥さんは日中パートで働いて、娘さんは高校生でもできるライターの仕事をやっていたのよ。だから、最初からあんたの金なんて、頼りにしてなかったの」

「き、聞いてねぇぞ! そんなこと!」

「そりゃ、あんたにばれたら、使われるに決まってるからよ。奥さんは離婚を考えていて、娘さんは奥さんについて行くき満々。つまり、あんたは捨てられる運命だった」

「そ、そんな……」


 男は言葉を失い、がくりとうなだれる。


「一応、世間体を気にして葬儀はしてもらったようだけど。でも、あんたに対してお供え物はないわ。そういう人間ほど、より罪は重いのよ」

「どういう意味だ?」

「つまり、あんたは誰にも慕われてなかったってことよ」


 男は頭を抱えた。


「俺の人生は、一体なんだったんだ……。一体、何のために生きてきたんだ。俺は悪くねぇ。俺は何も悪くねぇんだ」

「まだいいわけするのね。じゃあ、私が断言してあげる。あんたは悪い人間で、生きる価値がなかった。そして手に負えない許しがたい悪霊そのもの。多くの人を苦しめた最低最悪の人間よ」

「俺は……俺は……」


 灯の言葉に絶望をした顔をしながら、男の体は完全に砂粒となって空へと流れた。


「今頃、あいつの魂は地獄へ行ったかしらね。さてと、任務完了。次の悪霊のもとに行きますか」


 灯はポンッと手帳に「任務完了」のハンコを押して、次の標的のもとへ向かうため、深夜の夜空へ消えていった。

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悪霊取締課 岡本梨紅 @3958west

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