いいわけの多い人生

高野ザンク

岐路

 思えば、自分の人生は言い訳だらけだったな。


 できなかったこと、やらなかったこと、、、

 それだけではない。あの時、言い訳せずにいられたら、今とは違う人生を送れたのではないかと思うことが多い。


 それすらも言い訳のように思えて、ヨースケは苦笑した。



「言い訳しても、それが良い理由いいわけならいいのよ」


 そう言っていた祖母のセリフをふと思い出す。


 言い訳にも良い理由いいわけ悪い理由わるいわけがあって、良い理由ならばそれでもいいけれど、悪い理由、つまり言い逃れだったり、ズルをしたりするのはダメだ、ということだった。自己啓発本にそんなことを書いてあったら、鼻で笑うところだが、もう10年も前に他界した大正生まれの祖母の言葉である。彼女は上っ面でそういうセリフを言う人ではない。


 それに、人生をもう半分近く生きてきてしまったヨースケにとっては、今、その言葉が自然と腑に落ちるのだ。


 会社を辞めた時。ユーコと別れた時。独立が失敗して途方にくれた時。


 そういう時にした自分の言い訳はだったように思う。今、あの日あの場所に戻れたならば、そんな言い訳はせずに、素直な気持ちを吐露していたのではないか。


 仕事も、伴侶も、金も、友人も。全てを失ったヨースケは後悔の最中にいた。



 彼は今、岐路に立たされている。


 生きるべきか死ぬべきか。



 言い訳ばかりだった人生を、今さらどうやってやり直せばいいのか。きっと俺はこれからも言い訳、それも悪い理由ばかりを並べ立てて、自分に納得せずに後悔ばかりして生きていくだけじゃなかろうか。

 ローカル線のプラットホームに佇んで、ヨースケはそんなことを思う。


 次の電車の到着までは、あと2分ほど。


 祖母ばかりではない。両親もいなくなり、独り身になった自分の人生は、もう終わりを告げても良いのではないかと、目の前の線路をぼうっと見ていた。



 やがて電車は駅に近づき、警笛を鳴らしながらホームに滑り込む。


 岐路、、、


 キロ、、、


 生きろ、、、


 その時、ヨースケの耳にはっきりとその声が聞こえた。前に出そうとしていた足は止まり、逆に後ろへと身を背ける。


 祖母のセリフには続きがあった。


「生きていれば、良い理由も悪い理由もするときがある。でも、どんな理由をつけたにせよ、命ある限り生きていくんだよ。生きろ、ヨースケ」


 あれは、祖母から怒られないよう、つまらない言い訳をした時ではなかったか。祖母が怒らずに諭したことで、逆に俺は言い訳の上手い奴になってしまった。だけど、今なら祖母が俺に願ったことが、そのセリフの本当の意味が、わかる気がする。


 これからするだろう全ての言い訳を良い理由にしてみようか。人生を終わりにするのはその後でいいだろう。


 ヨースケは大きくため息をついた。



 だからといって、なにが変わるわけではない。俺の人生はけっこうな崖っぷちだ。


 だけど……



 生きていこう。そう決めたのだ。


 到着した電車に、はじめからそうであったようにスッと乗り込む。直前の自問自答は、生きるための言い訳だったのかもしれない。


 ただ、それは間違いのない良い理由いいわけだった。


〈終〉

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