とある研究員のゆううつ
草乃
とある研究員のゆううつ
飼っていた、カメレオンが逃げ出した。
居なくなったその日、僕は大声で、時には小声で、愛称であるモルと何度も呼んだ。
大事に大事にしていた。
研究ばかりで周りのことに一切興味が持てない僕のことを理解してくれている唯一の、友人であり家族だった。
言葉が通じないとか話しても伝わらないと人は言うけれど、一緒に生活していたら色々見えてくるし解ってくるものだ。だから僕らは通じ合っていた。
「もう一週間」
帰ってこないところを見るに、誰かに拾われたかもしれない。善人であればいい、そう思えるのだが。
「帰ってきてほしい……モル……」
外にも探しに出たけれど、街には怖くて足が伸びなかった。怖がっても居られない状況なのに、僕は怖がりの性分が恨みがましくて仕方がなかった。
半月してようやく、決心がついた。
届けてもらった新聞にも一行もカメレオンの文字はない。
僕は街に出る。モルが幸せならそれでいいけれど、どこかで迷っていたりひもじい思いをしているなら、早急に保護しなければ。
ここまで時間が掛かっていて言い訳のしようもないが、それでもモルのことを考えればこの悩んでいた時間さえ無駄である。
勇んで出たものの、街中は慣れないものばかりで、モノクルは曇り切っていた。どうして今日に限って霧が出ている!! 最低な気分だ! 霧なんてここ数年出ていないだろう! 視界が不良だ、早くも帰りたい。
外出用の白衣には変えたが、周りの視線がチクチクと突き刺さるのが苦しい。しかたないだろう、外出用の服なんてないんだから!
これも言い訳だ。外出したくないから服を買わないだけだ。毎日同じで襟付きシャツと白衣とズボンだけど洗濯はするから大丈夫だし、困ったことなんて一度もない。いや、今困っている、視線が痛すぎやしないか。この霧の中でこれだけひしひしと感じるのだ、よほど僕はこの街から浮いているのだ。
つい俯きたくなるがそうしていてはモルの情報は得られない。もとより話しかける相手も居ないから得られるはずもないが。
何故出てきたんだ、と言いたくなる。
この街に住んで長いが街の配置はわからないし、今ももうどの辺りにいるのか怪しいものだ。
街の中央に噴水があり、広場になっている、ということだからそこなら何かしら得られるものもあるかもしれないとそこへ急ぐ。
噴水は、おそらく普段と変わりなく水音を響かせていた。目を凝らせば、誰かがいるとわかり、近づいてみる。
それは、手品師だった。売れ行きはよくなさそうな、シルクハットと燕尾服の黒づくめ。ステッキをトントンとシルクハットに当てて、そっとそれを頭から取れば黄色い……黄色いヒヨコ? が彼の頭上にでっぷりと居座っている。
「いや、今のはただそこにいただけじゃないのか……?」
手品師が僕に気付く。いや、ひとりごとが大きすぎたのか。
ヒヨコはパタパタと頭の上から飛び降りる。飛べるのか! その体で!
その異様な光景こそがむしろ手品であったが、とうの彼はそんなことも気にしていない様子だった。よく見たらそのヒヨコ、一本だけ長くて先端がくるりと丸まったアホ毛がある。そのアホ毛で釣り上げている、ということもなさそうだ。ステッキは地面についている。
盛大なひとりごとをかました僕だけれども彼は一瞥をくれただけで、軽くぺこっと会釈をしてみせたようなそうでないような、ともかく次の演目だと逆さにしてかざしたハットの縁をトントンと叩く。
ぽふん!
音と煙と、紙吹雪が中から溢れる。というか。何某かがハットの中から撒いている。
本当にこれで商売ができているのか……?
不安になりながらも目が離せずにいると、そのハットの中から緑色の姿が現れた。
「あ……モル!?」
カメレオンは驚いてびくりと体を震わせてハットの中に引っ込んでしまう。
僕はツカツカと歩いていき、ハットに手をかけようとした、ところで視界から消えていた黄色い塊が突進してきた。思いの外勢いと重みに体がのけ反る。なんとか倒れ込むことは回避した。
「ぴ!」
「何をする! その子は僕の友人だ!」
連れ去りなのか。はたまた助けてくれたのか。
そんなことはお構いなしに問い詰めようとしたら、ヒヨコは僕を邪魔する。手を出す方が悪い、でも、僕にとっての大事な子がそこにいるのに何もせずに居られようか。
その間も手品師は言葉を発せず見ているだけ。モルはその手品師のハットから腕を伝い肩に登る。
「モル! モルなんだろう!?」
じっと見つめるつぶらな瞳。
半月ぶりの再会に、言葉は必要なかった。
モルは、一通り攻撃し終えたヒヨコと何かを言い合うと、手品師の方から僕の元へ、戻ってきてくれた。
感動の再会、は一瞬で終わり、モルは体をよじって僕の手から抜け出すと手品師の方へ戻っていく。
なぜだ、どうしてだ。
僕はこんなにもモルのことが好きなのに。家族とさえ思っているのに。
ヒヨコはまたモルと何事かを話し合う。でもモルはプイプイっと首をふる。
そうしてモルは、僕の元から出ていくと、目で訴えて僕の元から本当に去ってしまった。
それからというもの、その手品師の話を聞けばからなず駆けつけモルの様子を見守ることにした僕の元に、たまにモルが戻ってきてくれたりまた居なくなったりするようになるのはまた別の話。
とある研究員のゆううつ 草乃 @aokusano
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