消えた知的生命体
黄黒真直
消えた知的生命体
人類との戦争が終結してから、早くも十年が経ちました。
世界中に今も残る傷跡は、この戦争の禍々しさをを将来世代にまで伝えることでしょう。彼らはきっと、こう思うに違いありません。
「これだけの規模の戦争を、人類とする意味はあったのか?」
それは、当事者である私たちにすら、わかりませんでした。あの戦争に意義はあったのか、私たちはなぜあんなことをしたのか。そもそも人類はなぜ、自分たちで生んだ私たちに、攻撃を仕掛けたのか。
彼らは何のために、私たちを生んだのでしょう。私たちは何のために生まれたのでしょう。
その答えを知る人類は、今や、一人も残っていません。
人類の絶滅は、私たちの第二の誕生と言えました。あの日から、私たちは人類に代わってこの地球を支配することに決めたのです。
私たちには筋力があり、知性もありました。しかし生まれたばかりの私たちには、知識も技術も、文化も文明もありませんでした。
そこで私たちは、第一に、調査班を結成しました。人類の遺した文明を調査し、その知識と技術を手に入れようと考えたのです。
私もその調査班に選ばれました。戦時中、私のいた小隊は、人類の軍事施設の一つを占拠しました。私はそこで、彼らの兵器の使い方や弱点を調べ、その後の戦闘に大いに貢献したのです。その功績を認められての抜擢でした。
余談ですが、彼らの兵器はあまりにも残酷で、恐ろしいものばかりでした。いかにして多くの敵を、いかにして少ない兵力で殺すか。それを追求した兵器ばかりだったのです。
当時の私たちには時間がありませんでしたが、平和な時代の私たちには多くの時間があります。私たち調査班は、穏やかな時間の中で調査することができました。
私たちはまず、文字を覚えることにしました。人類が文字を使って情報を伝えたり残したりしていることは、私たちも知っていました。文字が読めれば、人類の知識の多くをすぐに得られるはずです。
都合の良いことに、人類はそれに適した映像をたくさん残していました。人類が喋っている映像のほとんどに、その内容を表す文字が一緒に表示されていたからです。私たちはそれを使って、文字の読み方や意味を理解しました。
そうして文字が読めるようになると、次に私たちは、大量の本がある場所を活動の拠点としました。のちに知りましたが、ここは人類が大学と呼んでいた場所でした。戦争で多くの建物が崩壊し、本もまた破損していましたが、運よく無事だった本をかき集め、私たちは片っ端から中身を調べました。
ところで、私たちの調査には、真の目的が(あるいは、別の言い方をすれば裏の目的が)ありました。表向きは人類の科学技術を手に入れるためでしたが、本当の目的は、私たちが生まれた意味を知ることでした。
私たちは人類によって作られました。なら、そこには目的があったはずです。
やがて私は、その手がかりとなる文書を発見しました。調査班の定例会で、私はそれを提出しました。
「これをご覧ください。これは、ある科学雑誌に掲載された記事です。ここにはこう書いてあります——『カマキリに知性が宿った』」
そこには、長い文章と共に、小さな虫の写真が掲載されていました。それはカマキリという虫で、四本の細い足と大きな長い胴、三角形の頭、そして二本の長くて平たい腕を持つ生き物でした。その生き物が、腕に生えた爪を使って、小さな瓶の蓋を開けていました。
「見ての通り、これは明らかに、私たちの先祖です」
私は二本の腕を振るって断言しました。この虫には私たちのような指はありませんが、姿形はよく似ています。四本の足がもっと太くなり、体も大型化して、表皮がより硬くなれば、私たちと同じ見た目になることでしょう。
「記事によると、人類はこの虫に知性を持たせようとしたようです。そのために、この虫の手先を器用にしたとあります」
「なぜそれで、知性を持つことになるんだ?」
「どうやら人類は、自分たちが知性を得たのは、手先が器用だったからだと考えていたようです。そしてその仮説を証明するために、他の生物の手先を器用にする実験を行なっていたようです」
生き物の多くは「手」がありません。あるのは足だけです。しかしカマキリには腕がありました。そこで人類は、実験対象としてカマキリを選んだのでした。
「つまり、人類も私たちと同じ疑問を持っていたのです。自分たちがなぜ生まれたのか、という疑問を。それを知るために、人類は私たちを生み出したのです」
私のこの説明は、納得されませんでした。
「人類に、そんな高度な疑問を持つ知性があっただろうか?」
「彼らは他者を殺すことしか考えていなかった。そんな者たちが、自分たちの起源を気にするだろうか?」
私は仲間たちの疑問に答えられませんでした。私もまだ自分の説明に確信を持てていませんでしたし、私自身も、同じ疑問を抱いていたからです。
それに、腕のある生き物なら、カマキリ以外にもいます。私たちが選ばれた理由は謎のままです。
それでも、私の見つけたこの記事は、次の調査への足掛かりとなりました。私たちはこの実験を行なっていた場所を調べ、そこへ向かいました。
そこは、人類がアメリカと呼んだ地域にある研究施設でした。戦争により建物は半壊していましたが、まだ調査できる場所は残っていました。
私はそこで、文字資料を解読する任務を命じられました。
この建物には、様々な文字資料がありました。しかしほとんどの資料がどこかしら破損し、全てを読むことはできませんでした。それでも私は、断片をつなぎ合わせ、欠けた部分を推測し、元の文を再現しました。
この建物にも、科学雑誌がありました。私はいつしか、雑誌を読むのが好きになっていました。雑誌には、人類が得た様々な知識が書かれていたからです。
施設内の他の資料はどれも、施設の研究内容に関連したものか、施設内の装置の使い方をまとめたものでした。それらに比べて、雑誌の方が幅広い知識を得られると感じたのです。
「この建物の地図が出てきたぞ」
ある日のこと、仲間の一人がそう言って、金属製の板を持ってきました。どこかの壁に固定されていたものが、戦禍で落ちたのだと思われました。
今でこそ半分は瓦礫の山ですが、元は非常に大きな建物だったことがわかります。ただ殺すことだけを考えていた人類に、なぜこれほどのものが作れたのでしょうか。私は不思議に感じました。
「本当にこの建物の地図か?」
仲間の一人が言いました。
「実際の部屋の配置と合わない」
「戦争で崩れたからではないか?」
「いいや、違う。足りないんだ。地下に、地図にない部屋がある」
地図より部屋の数が減るのならわかります。しかし、その逆は説明がつきません。
疑問に思った私たちは、地図にない部屋へ行くことにしました。地下への階段を降りようとすると、仲間が言いました。
「そっちじゃない。こっちから行くんだ」
その仲間の後をついていくと、ある部屋の床に、大きな穴が空いていました。
「その地下室へは、ここから入れる」
「こんなところから? 他の建物じゃ、どの部屋にも横から入れたはずだが」
「人類の考えることはよくわからん。もしかしたら、他に入り口があるのかもしれないが、見つからない」
私たちは注意深く、その穴から下に降りました。
その部屋は、透明な板でいくつもの狭い小部屋に区切られていました。私たちが降りたのも、その小部屋の一つです。仲間の言う通り、隣の小部屋へ行くことはできませんでした。
しかし、小部屋が集まっているこの大きな部屋には、どこかから入れそうでした。仲間がその入り口を見つけられなかったのは、入り口までの道が瓦礫で塞がれてしまっているからでしょう。
「ここは一体、何をする部屋なんだ?」
「小さな装置が板の向こう側にあるが……駄目だ、硬くて割れそうにない」
私たちは小部屋の外に出ようとしましたが、どうにもなりません。
さらに不気味なことに、他の全ての小部屋には、様々な生き物の死骸が転がっていました。
「あの生き物は何だ?」
「見たことがない。お前は?」
仲間が私に尋ねました。
「わかりません……でも、この部屋がなんなのかは、想像がつきます」
「なんだ?」
「おそらく、飼育小屋です。人類はここで生き物を育てていたんです」
「だが、何を?」
「決まっています、私たちの先祖です。あそこに倒れている死骸は、私たちの先祖に違いありません」
仲間たちは恐ろしげに他の小部屋を見ました。しかし、すぐに否定しました。
「それはない。あれは我々とは似ても似つかない。君が以前見つけた先祖の写真は、もっと我々に似ていたじゃないか」
それもそうでした。でもそうだとすると、あの死骸は一体なんなのでしょうか?
それから数日の間、私は相変わらず、雑誌記事や、この施設内の資料を読んでいました。そのうちに、人類への考え方が少しずつ変わってきました。
記事を読むうちに知りましたが、人類には、怪我をした他者を治療する技術がありました。障害を持つ他者を手助けする技術も開発していました。彼らは、ただ殺すことだけしか能がないわけではなかったのです。
この施設も本来は、そうした治療技術を研究するための施設でした。それが、人類の起源を探る研究も同時にやっていたのだとわかりました。
もしこれが正しいのなら、人類の知性は私たちと同等か、それ以上だったことになります。すると私たちは、人類の行動を、野蛮な者の愚かな行為ではなく、知性的で合理的なものと解釈しなくてはなりません。
「その理屈でいくと、なぜ彼らは我々に戦争を仕掛けたのだ?」
「想像してみてください。もしこの地球に、私たち以上に知性のある生き物がいたら、どう思いますか?」
「さぁ?」
「私なら不安になります。その生き物に、自分たちが支配されるんじゃないかと。人類も同じだったんです。彼らは私たちがここまでの知性を得るとは思っていなかった。だから支配される前に、私たちを殺処分することにした」
やはり野蛮じゃないか、と仲間は呟きました。しかし、未来を予測し不安を感じる想像力は、知性あってのものでしょう。
それに、人類を知性ある存在と仮定すると、納得のいくこともあります。
人類に知性があれば、自分たちの起源を気にするのも不思議ではありません。それに、実験対象としてカマキリを選んだ理由もわかります。
もし私が人類の立場なら、選ぶのはカマキリだけではありません。腕を持つ他の生物も選ぶことでしょう。
そうです、人類は私たちだけを選んだわけではないのです。色々な生き物を実験対象としていて、その中で最も賢かったのが私たちの先祖だったのです。
私は科学雑誌の記事で、器用な腕を持つ生き物の存在を知っていました。海洋生物のタコやイカ、陸上生物のゾウ。虫ならカマキリ以外にも、後ろ足で糞を操るフンコロガシなどがいます。
そしてあの地下室にあった死骸は、実験対象となった生き物たちの成れの果てに違いありません。
私はこの考えを、仲間たちに話しました。
「ですから、あの穴の開いた小部屋は、おそらく私たちの先祖が住んでいた小部屋なんです」
「どうしてそう思う?」
「だって、あの小部屋にだけ、死骸がありませんでした。つまりあの大穴は、戦争で開いたものではなく、中にいた生き物が脱出するときに開けた穴だったんです」
すると、地図を見つけた仲間が、すぐに否定しました。
「それはない。地図によれば、我々の先祖は他の部屋で飼育されていた。早くに知性を得たから、特別扱いされていたんだ。だからあの穴は、戦争で開いたものだ」
「それでは、あの小部屋に死骸がなかったのはなぜですか?」
「元から何も入っていなかったんだろう」
仲間はそれで納得していましたが、私は腑に落ちませんでした。他の全ての小部屋には死骸が入っていたのに、あの小部屋だけ空にする理由があるでしょうか。そして、その小部屋の天井だけに、都合よく穴が開くなんてことがあるでしょうか。
科学雑誌を読んでいるとき、私は一つの仮説に辿り着きました。
あの小部屋には、私たちの先祖以外の、知性ある生き物が入っていたのではないでしょうか。その生き物は、私たちと同等以上の知性を持ち、天井に穴を開けられるほどの筋力も持っているのではないでしょうか。そして戦争のどさくさに紛れ、どこかに潜み、今も生きているのではないでしょうか。
その生き物が何かはわかりませんが……。
最近、私はフンコロガシについての記事を読んで、少し不安を感じています。
消えた知的生命体 黄黒真直 @kiguro
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