第10話祝っておくれ

「あれ、何だったんですかね?」


 あの事件から数日が経っていた。

 ヤクザ事務所の襲撃は大きなニュースになっている。

 警察もかなりの規模で捜査しているが、斎藤の痕跡の欠片すら見つけることはできていなかった。

 どうせ組内のゴタゴタで終わるだろう、と斎藤は確信していた。

 なにせ、この国には善人と善人の事件が多すぎる。

 あと3日も経てば警察は他の事件にかかりきりになるだろう。


「変なやからというのはどこにでもいますからね」


 それだけいうと、斎藤は部屋の中を今一度見渡した。

 スミレ園の食堂は、折り紙やら風船で飾られている。

 その中心には『退院おめでとう!』の文字。


 そして、部屋の中心に四角くまとめられたテーブルには園の子どもたちが座っている。

 小学生の健太とアユは隣同士で何か学校のことをはなしているようだ。

 斎藤の目の前に座るのは中学生の女子二人組。

 優里はケーキを、柊は斎藤を見て固まっている。

 そして、高校生の未莉亜は斎藤の右隣で斎藤の世話を焼きたいらしく、さっきから空になったコップにジュースを何度も注いでいた。


「でも、私もいいんですか? 部外者なのに、会ったこともない園長先生の退院祝いに参加しても……」


「何言ってるんですか! グラウンドがあんなにきれいになったのは斎藤さんのおかげですから!

 それに園長先生も斎藤さんにぜひ会いたいって!」


「そうですか……」


 斎藤はそういってコップを握りジュースを口に含む。

 と、周囲の空気が冷え込んだ気がした。

 ゴクリとジュースを飲み下す。

 味がしない。

 なんだ、これは。

 ――恐怖。


「あんたが斎藤さんかい?」


 しわがれた、しかしどこかハリのある老人の声。

 斎藤は反射的にイスから跳ねるように逃げる。

 フミと子供が何事かと声をあげるが、斎藤はそれどころではない。

 心底を震わせながら、その声の方向を見る。


 小さなしわくちゃの老人。

 しかし、斎藤にはそうは見えなかった。

 悪意の塊。死の象徴。人間の頂点の一つ。

 それが、当たり前のように口を開く。


「助かったよ。斎藤さんとやら」


 しかし、そこに感謝の念は感じられなかった。

 騙されたのだ。

 この老人の掌の上だったのだ。

 斎藤は確信する。

 あの須藤もケーバーも、あの事件に巻き込まれた全ての人間は、この老人に踊らされたのだ。

 気がつくと、テーブルにあった箸を一本持ち構えていた。


「どうした? 斎藤」


「園長先生! いつの間にいたんですか? この人が斎藤さんです。知ってたみたいですが。

 斎藤さん、この人が園長の時堂ときどう すみ先生です!」


 斎藤は、いまだに臨戦態勢を解けない。

 呼吸と心拍数がどんどんと速くなっていくのを見て、スミは嗤う。


「初めまして、斎藤さん。あなたの上司には話を通してある。

 ぜひ、明日からボランティアに来てくれ。

 少しは時給もだせるから」


 斎藤は喉のすぐそこまで拒否の声をあげようとした。

 危険すぎる。

 某国の要衝の橋を爆破したときも、武器商人を拉致したときも、とある組織の参謀を殺したときもここまでの緊張はなかった。

 しかし、声は出ない。


「ありがとう。これからもよろしく頼むよ。さあ、私の退院祝いと斎藤の歓迎会だ」


 スミは笑い席につく。

 フミは、斎藤を促して席につく。

 斎藤は震える足を何とか落ち着かせ席についた。


「斎藤、どうしたの? 大丈夫?」


 ミリアの声が右から左へ流れていく。


「さあ、私を祝っておくれ」


 スミの笑顔に斎藤はとんでもないところに来てしまったのだと理解した。

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その男、斎藤につき。 さかまき @sakamori

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