コールドスモーカー

鳥辺野九

電氣ブランに氷を浮かべて


 ダイヤモンドダストは冷たくない。


「熱源感知」


 世界を包む空気そのものが冷たいのだ。浮遊する水蒸気はたちまち凍り、音もなく宙を舞い、そして散る。


「南南西832メートル」


 電氣蜂があたしの脳へダイレクトに情報を流し込んでくる。


「毎時500メートルで北東へ移動中」


 電氣蜂の言葉は電氣信号だ。周りがあまりに寒過ぎるから、脳に届く電波さえも温かく感じられる。


「ミサゴ、準備は?」


 トックリバチのフォルムを模した自律型ドローンはあたしたちの上空200メートルに待機中。

 そんな電氣蜂から見える景色は深く、蒼く。冷たい空気に晒されて雪と氷に閉ざされる無人の街なのに、白じゃなく透き通った蒼に見える。

 電氣蜂の視界があたしの視界と重なる。周辺索敵クリア。ターゲットの多脚機械は単独で運行中だ。


「その距離ならとっくに気付かれてるかもね」


 200メートル上空から、蒼白い廃墟の都市に二人の少女が見える。あたしとミサゴだ。

 相方の吐息にもたっぷり水蒸気が含まれている。蒼くて白い凍てついた空の下、ふうと吐き捨てれば瞬く間に凍りつく。


「気付かれてるなら」


 ミサゴが親指で弾くように水蒸気銃のボルトを起こす。


「ヤっちゃおうよ」


 ニヤリと吐く息が白く煙る。その白い吐息のせいであたしたちは『コールドスモーカー』と呼ばれた。




 北緯38度。それが人類の生存限界ラインだ。

 煉瓦色した巨大な廃墟から伸びる空中歩道に身を潜める。氷の柵壁があたしの胸まであって隠れるにはもってこい。くびれた腹部が特徴的な電氣蜂は空に浮かせている。俯瞰の視界もバッチリだ。電氣蜂さえいればあたしに死角はない。

 白く濁る氷壁を背に巨大建築物を見上げると否が応でもメランコリックな廃した空気感に苛まれる。

 センダイ駅。ここより北にはもう誰もいない。人間が暮らすにはあまりにも寒く、息を吐くのも厳しい過酷な環境が続いている。

 廃墟群を上空から蜂の目で眺めてささやかな虚無感を味わおうと思ったけど、軽い銃声にそれはあっさりと吹き飛ばされた。

 残響と虚無は廃駅を覆う雪に染みてすぐに消える。ポインター役のミサゴだ。

 彼女のトリガーはやたらと軽い。早くも多脚機械と接敵したのだろう。だからと言って、いくら酸素弾は無限に補充出来るからって撃ち過ぎだ。銃身が凍り付いてしまう。

 前髪を押し退けておでこに居座っていたゴーグルを装着。ひやっと冷たい。サーマルモードオン。空気層の温度差を視覚化させると、蒼白い世界は青黒い視界へと変わった。

 ふと、凍った駅舎に振り返る。

 雪と氷に覆われて熱源はまったくなく真っ黒く映る巨大な建築物。昔の人が創り上げた凍える遺跡は南北へと新幹線専用高架橋に貫かれ、まさしく死に体のように悠然と横たわっている。

 今更いいわけなどしようがない。あたしたち人類がこの地球を極寒の惑星へと創り変えたのだ。たくさんの生物が死に絶えた。植物も枯れて凍った。人類も絶滅寸前。赤道付近にわずかに食糧生成プラントを作って生きながらえている状態だ。


『シラサギ! ポジション取れてる?』


 ゴーグルのインカムからミサゴの弾む声。あの子はいつだって雪を溶かすようにはしゃぐ。あたしみたいにメランコリックの果てで静けさに溶け込んでくれ。


「…、…」


 インカムマイクを二度タップ。ノイズで返信してやる。

 あたしは空中歩道の上。氷の回廊で待機中。あたしの電氣蜂も空中待機。どこからでも視認できる。

 ミサゴはデッキの下。猟犬よろしく囮として獲物を誘き寄せているようだ。彼女の電氣蜂はまだ動いていない。

 名残惜しく、巨大遺跡をもう一度よく見ておく。人類が自ら狂わせた冬に追われて北緯38度線から撤退して十数年。かつてセンダイ駅と呼ばれた建築物は新幹線の高架とともに氷に封じられた。

 これだけ大きな廃墟だ。中の気密は保たれ、氷漬けになったおかげで建物として無事に保全されているだろう。冷気さえ何とかできれば鉄道システムは生き返るはずだ。


『シラサギ! もう追いつかれる!』


 ミサゴの声に電氣蜂の視界を見やれば、激しい運動で熱を帯びた彼女の反射熱がオレンジ色を纏って踊っていた。

 マイナス40度の狂った冬に体温36度の人間は熱過ぎる。

 何もかもを白く埋め尽くし、蒼く凍り付かせる冷え切った世界に、幾重にも連なって跳ね舞うオレンジ色の人の形。

 その熱影に喰らい付くように、細長く突き立ち投影された何本もの熱源が鋭く蠢いている。多脚機械の熱影だ。

 雪と氷の上では車輪や無限軌道は役に立たない。移動を目的とした自律機械群はそれらを捨てて多脚式を選んだ。巨大なザトウムシのようなシルエットがミサゴを追う。それがあたしたちの獲物。

 氷の壁に躍るミサゴの熱。水蒸気銃の酸素弾が破裂する銃声をリズムに、飛び、跳ね、駆け、巡る。

 多脚機械が放つ単発の徹甲弾は空気中の冷気によって氷結して速度が極端に遅くなる。俊敏なミサゴなら目で見て躱せる。

 雪に舞うように身を捻り、背中を翻して氷に躍動し、ミサゴは多脚機械の銃砲へ水蒸気銃の連弾を浴びせかけた。

 凝固点を越えた酸素弾は砲身を凍らせてその弾道を歪ませる。それを溶かすため、機械はさらなる熱を必要としてバッテリーコアユニットを酷使する。熱源がさらに強く赤い影となって露わになった。よしよし、そこにバッテリーを積んでるのね。電氣蜂越しにしっかりと把握。

 跳ね舞うミサゴを捉え切れず相当熱くなっているようで、もはや格好の的だ。

 サーマルモードのゴーグル越し、青黒く塗りつぶされた視界に躍るミサゴの熱の影。時にオレンジ色で、リズミカルな銃声を挟んで、時に黄色、時に赤。防寒ジャケットがめくれてお腹が出ちゃったか。反射熱はすぐに氷に吸われて青く消えた。

 そこへもう一つの熱源が現れる。省電力モードから起きたばかりの小さな熱。雪に潜ってずっと隠れていたミサゴのツチバチ型電氣蜂だ。

 ミサゴが目線で操る電氣蜂は機械ザトウムシのバッテリーユニットに突進した。ミサゴらしい狙いを定めて一直線な動きで。

 ツチバチがバッテリーユニット付近に毒針を突き刺す。速攻、液体酸素を注入する。超伝導作用でバッテリー消費が激しくなり、多脚機械は強制的に軌道部省電力モードへ移行する。要するに、寒くて動きが鈍るわけよ。機械もあたしたち動物と同じ。

 寒さに耐えて一言も発することなくじっと佇んでいたあたしの熱はとっくに冬に奪われて、機械にはあたしが見えていない。

 あたしは大きく息を吐き捨てた。

 呼気の水蒸気が一瞬で凍り付き、ダイヤモンドダストがデッキに散る。

 あたしの真下をミサゴが駆け抜け、多脚機械が通り過ぎる。そして多脚を止める。あたしのダイヤモンドダストを感知したようだ。

 あたしと機械との間には凍り付いた空中歩道がある。お互いの姿は直接見えない。多脚機械はあたしの吐息のダイヤモンドダストの冷気を見ている。あたしは電氣蜂の視界を通して多脚の横から見ている。

 気付かなかった? あたしのトックリバチのホバリング音、とっても静かでしょう?

 今。

 足元へ。凍ったデッキの向こう側。一発目。水蒸気ライフルのトリガーを引く。金属音によく似た空気が急激に凍る音。銃身が反動で跳ね上がる。氷が爆ぜる。ボルトを起こす。二発目。機械音が冬の獣の悲鳴のよう。射撃音が変わる。撃ち出された冷気がデッキを貫通してアスファルトを破る音。巨大な氷柱が機械に突き刺さる。振動で空中歩道が揺れる。跳ねる銃身を抑えつける。三発目。マイナス220度の凝固した酸素の弾丸が空気を凍らせる。冷気の氷柱は多脚機械のコアユニットをも貫通する。四発目。銃声が空中歩道を越えて廃墟ビル群にこだまする。デッキごと多脚機械を貫いた氷が軋む。空気がまとわりつき霜が降り始めた銃身を足元へ。五発目。ようやく澄んだ銃声を聞けた。もう機械音もしない。駆動する振動も止んだ。銃身が静かな音を立てて凍る。

 ふう。ため息と共にあたしはダイヤモンドダストを吐いた。




 旧世代の遺構である新幹線を再び走らせるために、あたしたちは自律機械群のバッテリーコアユニットを狩る。危険な狩りだけど、新幹線には膨大な電力が必要だ。


「ねえ、シラサギ」


 狩りを終えて、ミサゴが不機嫌そうにいう。


「どうやってバッテリーユニット回収すんのさ」


 機械のザトウムシは五本もの巨大氷柱に身体を貫かれ、凍った空中歩道と瓦礫の道路に完全に固着されていた。


「……」


 まるで氷の蜘蛛の巣に絡め取られた獲物のようで、もう嫌ってほど氷に覆われて、どうやってバッテリーユニットを掘り出したらいいか見当もつかない。


「いいわけしないのがシラサギのイイとこだけどさ」


 ミサゴはネックウォーマーをずり下げて歯を見せるようにして笑ってくれた。


「余計なこと言わないのと無口は違うよ」


「……ごめん」


「うん、よし」


 かつてセンダイ駅と呼ばれた遺跡のような建築物より向こう側。マイナス40度を下回る極寒の世界は自律機械たちのエリアだ。あたしたちは新幹線でそこを突破する。人類のエリアを拡大するため。

 ダイヤモンドダストを吐くあたしたちは自律機械に『コールドスモーカー』と呼ばれ畏れられた。

 人類の冬への反撃はまだ始まったばかりだ。

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