異世界シンドロームについての考察

misaka

○気ままに書いた物

 エッセイに挑戦ということで、『異世界シンドローム』なるものを提唱してみたい。論文ではないため、あくまでも気の向くままに、思ったことを書く。


 先日、若者の自殺者が過去最高になったという記事を目にした。小中高生の自殺者数が514人(2022年)ということで、1980年から始まった統計以降、初めて500人を上回ったという。

 このニュースについてもう少しだけ調べてみると、多くの場合、コロナ禍におけるコミュニケーション不足がもたらした孤独感を要因とみているものが多かった。もちろん、自殺の理由はそれだけではない。多くの要因が重なって、人は自殺という道を選ぶらしい。


 しかし、自殺を想像することと実際に実行することとの間には大きな隔たりがあるように思う。私も、「死んだらどうなるんだろ?」なんて考えたことは1度や2度ではない。それは「死にたい」というよりは「死んでみたい」という感覚だ。特段理由があるわけでもなく、単なる興味として、死んだ後の世界を知ってみたいと思う。


 果たして私のような人間が何人いるのかは置いておいて、私がなぜ、そのようなことを考えるのか。それについて考えてみると、私にとって“死”が身近にあるからではないか、と思う。その気付きこそ、今回提唱する『異世界シンドローム』の発端だ。


 まず前提として、私はオタクだ。アニメや漫画、ゲーム、ライトノベルと言ったサブカルチャーが日常の中にある。それが10年以上ということで、恐らく筋金入りと呼ばれる域にあると自負している。そうしてここ数年の流行り廃りを見ているとたびたび目にする魅力的な単語が『異世界』だ。

 地球とは違うどこか別の世界で、登場人物たちが大立ち回りをしたり、スローライフを送ったりする。地球には無い文化、剣と魔法、絶世の美男子や可愛い女の子たち。そんな魅力あふれる異世界に胸を躍らせるのは、絶対に、私だけではないだろう。


 また、日本の『異世界』ジャンルの豊富さは世界的に見ても異常なほどの発展をしていると思っている。海外にも異世界ファンタジーとして有名なものは多くある。しかし、『異世界』の種類だけを見れば、やはり日本のそれは異常なように思える。


 ではなぜ、こんなにも異世界が日本人に馴染んでいるのかを考えてみると、古くから天国や地獄と言った、こことは違う『あの世』が生活に根付いていたからではないかと考える。


 特段、私や私の家族が何かの宗教を信仰しているわけではない……と思う。そんな私でも、いつしか『あの世』や『天国』『地獄』という単語を知っていて、死後の世界があることをさも当然のように思っている。「悪いことをすれば地獄に落ちる」と脅されたり、葬式では「おばぁちゃんはあの世に行ったの」などと言われたり。恐らく大抵の人々が聞いたことがあるのではないだろうか。そして、同じように『あの世』があると思っている・知っている人も少なくないと考えている。


 そうして知らぬ間に染み付いた死生観が、『異世界』との親和性を生んでいると思う。その最たる例が、いわゆる『異世界転生・転移』だと思う。何らかの理由で死んだ主人公が、この世界ではない異世界――あの世に行って、あれこれする。そして人々は読み物として、どこまでも魅力的な異世界に心躍らせ、興奮する。


 言ったように、古くから『異世界』を舞台にした作品は、国内外問わず多くあった。しかし、ここ最近は描かれる異世界があまりにも魅力的に映るようになったのではないかと考える。


 資本主義社会。子供の頃は『学校』で、社会に出れば『会社』など、様々な競争にさらされ、人々の心はすり減って行く。そんな中で、こことは違う異世界に癒しを求める者が居る。

 他方、過剰に供給される『異世界』は商業的な面での競争からふるいにかけられ、洗練されていく。そうして出来上がる最高に面白い『異世界』は、世知辛い世の中を忘れるためにやって来た読者の心を癒す。が、ここではない『異世界』が魅力的過ぎれば過ぎるほど、現実世界が退屈で、魅力がないもののように思えてしまうのではないか。


 そんな、魅力のない現実世界で嫌なことがあった時。中にはこう思ってしまう人がいるのではないだろうか。


 ――異世界なら、と。


 何も、この一念が自殺を生むわけではない。先に挙げたように、自殺には様々な要因が絡んでくる。問題は、小さい頃から日本人に刷り込まれている『あの世』という考えと、魅力的な『異世界』が合わさった結果、あの世に行くことが出来る自殺という手段が魅力的に映ってしまうのではないかということ。つまり、自殺する理由――言い訳の1つになってしまうということだ。


 自殺を考えた者の中に生まれる、「死んでみたい」という肯定的な心の動き。これを私は「異世界シンドローム」と名付けたい。


 そして、話は冒頭に戻る。テレビやニュース、ネットでも、異世界を舞台にした作品、あるいはその広告を目にすることが日常的になっている。コロナ禍で人と会わなくなり、暇を持て余した若者の何人がゲームや映画、小説、アニメなどの洗練された魅力的な『異世界』に触れただろうか。

 そして、いざ、日常生活に戻った時に辛かったり、退屈になったりすると考えるのだ。


 ――(ゲーム、映画、小説、アニメで見た)あの異世界なら。


 生物的に見ても否定的な意味合いが大きいはずの自殺という手段が、『あの世』へ行くための魅力的な手段に映る。そんな心の動きが、自殺した若者たちの中であったのではないか。


 かつては蔑称だった「オタク」という言葉とサブカルチャーも、今では差別的な意味合いを失いつつある。むしろ、「推し活」と呼ばれ、アジアを中心に、世界的に大きな経済的影響力を持つ程度には人々の生活に浸透しつつある。それは、人々が『異世界』に触れる機会が増えたことを意味しているように思えてならない。


 人はよく言う。「嫌なことの1つや2つ、必ずある」と。しかし、大抵、それは当人にとって大きな問題なのだ。そうして現実世界が嫌になった時、果たして何人の人が異世界シンドロームを発症するのだろうか。そこから何人が、異世界へと旅立とうとするのだろうか。


 かくいう私も、異世界シンドロームにかかっている1人なのだろう。少なくとも、自分で異世界を作り出してしまうほどには、異世界あの世を愛している。


 皆さんはどうだろうか?


 もし、今私たちが居るを「現実世界」や「この世界」と思っている方が居るのなら、それはもう既に異世界あの世を知っていることになる。つまり、異世界シンドロームの下地があるといえるだろう。

 もう既に、あなたの中には自殺するための言い訳がある――。

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