行列の出来るいいわけ相談所
真野てん
第1話
都内某所の雑居ビル。
その二階に間借りする小さなコンサルタント事務所があった。
小規模経営と侮るなかれ。
事務所には連日のように相談者の列が並んでいる――。
「つぎの方どうぞ~」
女性スタッフに呼び込まれて第二相談室に入ってきたのは、三十代後半のくたびれたサラリーマンだった。よれよれのスーツにアイロンまでは手が回ってないワイシャツ。無精ひげの生えた青白い顔には、この世の不幸をいっぺんに背負ったような死相が浮かんでいる。
「よろしくお願いします! きょうはどうされました?」
そんな死神に魅入られたようなサラリーマンの相談に乗るのは、茶髪に鼻ピアスというどう考えても社会性皆無なパリピ感満載のお兄ちゃんだった。
当然のことながらサラリーマンからの第一印象は芳しくない。それでもせっかく相談に来たのだからと、彼はぼそぼそと自らの現状を語り始める。
「あ、あの……先日、自分のミスで大口の案件を失いまして……上司にはまだ報告を保留にしてあるのですがどうしたらいいものやらと……」
「大口と言いますといかほど?」
「……十年来の取引先で、例年ですと二十億ほどの見積りになっております」
「おお、それはまた」
「ああ、あのときもっと先方の意図を汲んでいればよかった。意地など張らず、接待でもなんでもすればよかったのにと……これで免職にでもなったら妻と娘にもなんと言えば――」
青白いサラリーマンはお先真っ暗と言った様子で頭を抱えている。
相談を受けているパリピの若造は、腕を組んで「ん~」と唸りをあげていた。
「まず、自分のミスだと思うのやめません?」
「えっ」
「だってそうでしょう。二十億の案件ですよ? 御社の業績にもよりますけど、契約ミスったら一発で経営が傾きかねない仕事を、あなただけの責任みたいに感じるのはどうかと思いますけどね。それこそ思い上がりなんじゃないですか?」
「そ、そんな子供みたいな屁理屈をっ。わたしはこの仕事の全権を――」
「じゃあ取り引き先の失態は無かったんですか? さっきも接待がどうの言ってましたけど、もし強要されていたのなら、きょう日コンプラで一撃入れられませんか?」
「……た、確かにあちらの新しい担当者には何度か女性スタッフとの飲み会をセッティングするように匂わされましたが、なんというかその――いかにも手が早そうな感じだったので、部下を守るためにも突っぱねたことは事実です」
「そのひとの失言であるとか、商談における態度であるとか、何か記録になるようなもの残っていませんか?」
「一応、社外秘ではありますが議事録がありますので、いくつかは原文そのままで残っているかと思いますが」
「よし! じゃあそこを重点的に攻めていきましょう。あとはですね――」
こんな具合にひとりの人生をも掛かった、一世一代のいいわけ指南が進められている一方で、お隣の第一相談室では、女性相談員を相手にバイト帰りの大学生がやつれた面持ちで肩を落としていた。
「彼女……いるんスけど、あの、その……こないだ違う女の子を部屋に連れ込んでるのがバレちゃって……」
女性相談員は切れ長の美しい瞳をギラつかせて男を見た。
もしここが異世界で彼女が妖術使いなら、眼力だけで彼を殺していたかもしれない。
「やっちゃったの?」
「えっ」
「だーかーらー。やっちゃったのかって聞いてんの」
「は、はい……」
ふぅ、と一息。
女性相談員は濃いめに淹れたコーヒーを口に含むと、コメカミを指でトントンと叩いた。
「まったく。同じ女としては彼女に同情するわ」
「す、すみません」
「で、具体的にはどうしたいの。ヨリ戻すの? それとも男の威厳を保ちつつ、おまえにも悪いところあったよ的な説教かまして
「ん~。できればこのまま大学卒業までは彼女との関係を続けて、浮気相手もキープしときたいんですけど」
「ほんっとクズだね」
相談者の男は「あはははは」と乾いた声で笑った。女性相談員に罵られることも、存外、嫌ではないようだ。むしろ業界内ではご褒美ですよ的なオーラを醸している。
女性相談員は言った。
「仕方がない。彼女には悪いけど、彼女の浮気を捏造しましょう」
「え? や、でも彼女は浮気なんて――」
「だーかーらー。彼女が実際に浮気してるかどうかなんて関係ないの。あなたが疑惑を持ったから、腹いせに別の女の子とも寝たってことにして逆ギレしなさいって言ってんの」
「あー」
相談者の男はまるで新開発のガジェット発表会にでも来たかのような、新鮮な驚きと期待に満ちた表情で女性相談員の提案した「彼女の浮気捏造計画」に聞き入っている。
丁度その頃、第二相談室でも二十億の案件を飛ばしてしまったサラリーマンへのいいわけ指南が佳境を迎えていた。
「ありがとうございます! これで申し開きが立ちそうです!」
事務所へ訪れたときのしなびた青びょうたんはどこへやら。
すっかり精気を取り戻したサラリーマンは、鼻ピアス相談員の提示したマニュアル一式を持って、意気揚々と相談所をあとにした。
相談員がホッとしたのも束の間。
二十億のサラリーマンと入れ違うかのように押し入ってきたひとりの男がいた。
作業服を来た初老の男性だ。
かなり酔っ払っており、距離を取っていてもアルコールの臭いがすごい。
「あの若造を出せ、コノヤロウ! あいつのいいわけのせいでこっちはクビだ! 殺してやるバカヤロウ! 早く出てこいやああ!」
男は手にした金属バットで事務所のいたる所を殴りつけている。
ガシャンガシャンと、音を立てて壊れてゆく所内のインテリアやコーヒーカップ。
危険を感じた待合室の客などは、すでに現場から避難している。
何事かと、各相談室から心配そうな顔がのぞくなか、たった今、案件を負えたばかりの第二相談室から鼻ピアスの若者がニコニコ顔でやって来た。
「どうしました、お客さん。わたしのいいわけがお気に召しませんでしたか?」
「いやがったなテメエ! どうしたもこうしたもあるか! 殺してや――」
酔っ払いが若者目掛けてバットを振りかぶったときだった。
酒臭い口元を狙って放たれた渾身の掌底が、ヤニまみれの前歯をへし折りながら相手を吹き飛ばした。見事な一撃だった。
作業服の暴漢は、もうろうとした意識をギリギリ保って自らが若造と罵った相談員の顔を見上げる。薄れゆく視界と遠のく記憶、彼ははっきりとこう聞いた。
「いいわけのひとつもテメーで考えられねぇヤツが、俺さま相手に逆ギレしていいとでも思ってんのか?」
鼻ピアスの相談員はスーツの襟元を正して不敵に笑う。
「いいわけ、ないだろ」
どやぁ。
(おしまい/まさかのダジャレオチ。真野てん先生の次回作にご期待ください)
行列の出来るいいわけ相談所 真野てん @heberex
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