シセルトキ

かなぶん

シセルトキ

 爽やかな朝だった。

 村の小さな式場の準備室で、シエルは花嫁姿の自分を鏡に映していた。

(幸せそうね、シエル)

 都の華美な装飾の一切ない、ただ白いだけのドレス。宝石などはなく、纏められた金に近い茶色の髪と空色の瞳、紅潮した頬だけが花嫁に色を与えている。

 参列者にしても、親族のいない新郎は元々人嫌いだったから、シエルと新郎と、シエルの両親、それと式を執り行う司祭だけ。

 たぶんきっと、恐らく……これを本当に結婚式と思う人はいないだろう。

 例え、シエルの住む村より貧しい村であっても、もう少し場は整えられるはずだ。

 それでも今日は間違いなく結婚式当日であり、シエルは花嫁本人。

 待ち望んだ結婚式。あと少しで、声がかかる――直前。

「っは……!」

 急に息が詰まった。

 苦しみに胸を押さえ、声を上げようとするが出てくるのは荒い息だけ。

 堪えきれずに崩れ落ちる。

 喘ぎながら最期を感じ取っていたシエルは、

「おいっ!」

(パパ……?)

 籠もった焦りを耳にし、乱暴に向かい合わされた霞む先へ、どうにか笑顔を作る。

 幸せだったよ、息を引き取る直前、そう伝えるために。


* * *


(……あれ?)

 次に目を開けた時、シエルは「目を開けた」ということに驚いた。

 確かに感じた死。

 だというのに自分はまだ生きているのか。

 そう思い、起き上がったなら、目の前に広がる光景へ瞬きを繰り返す。

 草木の乏しい荒涼とした大地。

 風は砂埃を立てるほどではないが、とにかくそこは、シエルの知らない場所だ。

 しかも白いドレスを払いながら立ち上がれば、どうやら自分は、道と思しき踏み固められただけの場所で倒れていたと知った。

「…………」

 しばらく状況を整理し、身体が今まで感じたことのないくらい軽いと知って納得。

(うん、やっぱり私、死んだんだ。そしてここが、死後の世界……)

 改めて見る、人も動物もいない大地に、頭を掻けば纏めていた髪が落ちた。

「死んだらお花畑、とか、知り合いがお迎え、とか、聞いていたんだけど」

 それともこの光景は、若くして死んでしまったからなのか。

 まあ、お迎えに来てくれそうな知り合いは、まだ死んでいないのだが。

 完全に肩透かしを食らった気分を味わうシエル。

「……ま、いっか」

 切り替えては、どこに続くとも知れない道を歩き始めた。


 昼も夜もない道を疲れ知らずの身体で歩き続けてどれくらい経ったか。

「あれは……」

 シエルは初めて遠くに荒涼とした大地と土の道以外を認め、近づいた。

 そうして問う。

「あなたは……誰?」

 一瞬開いた間は、「ソレ」をどう扱うか考えあぐねた間だ。

 木板の矢印の上にいる、木板より大きい「ソレ」は、一見すると巨大なカラスに見えた。黒い羽根の身体に、同じ羽がついた丸い頭、ガラスのような黒い目、黒い嘴。

 しかし、身体と頭の間には生白い人間の顔があり、絵本に描かれた狐のような細い目が、シエルの問いを受けてこちらへ向けられた――ような気がした。本当に糸のように細い目の形で、瞳の色も分からないため、気でしかないが。

 そんなシエルの伺いに、「ソレ」は男とも女ともつかない声を発した。

「誰、とは面白い。大半は何と問う。そうさな。地を這うモノの水先案内人、と言ったところか。呼び名は好きにするといい。名付けられたとて特に意味がないからな」

 よく通る声は人間の顔から聞こえてきたものの、薄い唇に動きはない。

 不気味――と思う反面、これまで話す相手がいなかったシエルは、なんとなく木板の前に腰を下ろした。

「じゃあ、ガイドさん、案内の前に少しお話に付き合ってくれないかしら? 聞いてくれるだけで良いのだけれど」

「構わないよ」

 あっさり頷いた「ソレ」――ガイドに、シエルはこれまでのことを話し出した。


* * *


 生まれた時から病弱で「いつかは分からないが長くはない」と言われてきた。ある程度まで成長してきたなら、元気に見える時間は長くなったが、その分苦しみは増す一方。

 早々に治らないと見限られ、どうしてこんな身体に、と親や神を恨んだ時もあったシエルだが、呪うまでに至らなかったのは、幼少期から飼い始めた犬が死んだ時に気づいたから。

 いつも一緒にいた犬の死は、もしかしたら病以上に苦しくて辛くて堪らなかったが、そこで気づいてしまったのだ。寿命で死んだ犬でもこんなに悲しいのに、もしも自分の方が先に死んでしまったなら、両親はもっと悲しくて苦しいのではないか、と。死んだ後の犬の顔が安らかに見えたのも、その思いに拍車をかけた。

 それからシエルは模索した。

 苦しみの度に近づく死の感覚。来たるその時までに何をすれば、彼らの悲しみや苦しみを和らげてあげられるのだろう。病に苦しむ彼女へ尽くせる手を尽くしても、なお足りないと悩む彼らへ、何かできることはないだろうか。

 そうして導き出したのは――結婚。

 一生分の未来の約束を取り交わす、一般的に幸せの象徴とされる儀式。

 実際、両親からも時折「花嫁衣装も着せてあげられないなんて」と聞こえていたから、シエルの考えは正しいはずだ。

 とはいえ、狭い村の中、病弱な娘を嫁に迎えてくれる家はほぼない。

 だからシエルは一計を案じた。

 要は「結婚」ができればいい、「花嫁姿を両親に見せられればいい」のだ。

 用意すればいいのは、「新郎」だけ。

 理想を上げるとするなら、寝食を共にする「妻」はいらないが、「結婚」の証明は欲しい――そんな独身男性。

 そして、何の因果か、そんな男を一人、シエルは知っていた。

 いや、シエル以外の村人全員が知っていた。

 何せその男は、村に籍を置き、村近くの森に居を構えながら、村との交流を悉く断ち切ってきた変人。狭い村でも素性も年齢すら不明な男は、アランという名だけが知られていた。

 その知られた理由も、知人と思しき者がふらりと訪れた際に「いい加減、所帯を持ったらどうだ、アラン」と絡み、閉め出されたためというならば、これはもう、シエルに「やれ」と言っているようなもの。

 かくして、シエルはアランとの結婚を画策する。

 ……正直言うと、アランの容姿は彼へ伝えた通りタイプではあったが、人嫌いのその性格は怖かった。

 それでも目的のため、めげずに「結婚して欲しい」とアプローチをし続けた。目的の結婚に、これ以上同情などといった妙な味付けをしたくなかったため、アランには病のことを告げず、気づかれないようにもしつつ。

 村で生死の淵を彷徨う程度なら、人嫌いの村避けアラン相手に気遣う必要はないのだが、アプローチの最中に発作を誤魔化すのは大変だった。

 そんな頑張りが実を結んだのは、最初のアプローチから二年ほど経って後。

 最初から「結婚したいだけ」と言っていたはずなのにここまでかかってしまったのは、アランの人嫌い、いや、人間不信の為せる業だろう。

 アランが頷いたなら後は両親を説得するだけ、と思っていたシエルだが、こちらは想像以上にすんなりと終わった。……たぶん、シエルの病状を知っている彼らには、シエルの「想い」を無下にする選択肢がそもそもなかったのかもしれない。


「そんなこんなで結婚式当日を迎えて、でも死んじゃって……あ、そう言えば、私って死んでるのよね? ここって死後の世界であってる?」

 長々話してから、急に思い出した疑問を投げれば、ガイドは頷いた。

「ああ。正確には、死後の世界への途上だね。間違いなく『あちら』で死を迎えた者が通るだけのただの道さ」

「そう。やっぱりね。……まあ、結婚式自体はできなかったけど、花嫁衣装は着れたし、たぶん、ママやパパにも見せることはできたし、私に悔いはないわ。ううん、最期にすごい頑張ったと思う。自分を褒めてあげたいくらい」

 やりきったという思いのこもった吐息が、立ち上がったシエルから零れた。

 つられて笑みかけた口は、不意に苦笑を象る。

「でも……そう考えると、アランには結局、悪いことをしちゃった。あの中で私の身体のことを知らなかったのは彼だけだったから。せめて言い訳の一つでもできる時間があれば良かったんだけど」

 シエルの求婚を受け入れてからのアランは、それなりに優しかった。重症の人間不信のせいで、何度も「結婚するだけだな?」と確認されたが、一度結んだ約束を破るような不誠実な人間ではなかった。

 ほんの少しだけ、悔いる。

 ――と。

「そうか。ならば、伝えてやるといい。ほら、喚んでいるだろう、死霊術師が」

「え――っ!!?」

 突如、後ろから両腕が引かれ、身体が拘束された。

「シエル!」

 と同時に名を呼ばれ、振り向けばアランの顔がそこに。

 理解が及ばず拘束を見れば、それは彼の腕で出来ており――。


 死んで初めて、自分が何者に求婚したのか知った少女が逃げ出すまで、あと数秒。

 かくして始まる彼らの鬼ごっこは――また別のお話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シセルトキ かなぶん @kana_bunbun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ