鰻の血液

きみどり

鰻の血液

「し、死にたい!」


 浜松に行かなきゃ!


 というわけで、私は新幹線へと飛び乗った。

 ホームに滑り込んできた車両は新型のN700Sで、E席に座れたため富士山も見られた。何だか運気が上がった気がする。


 やがてハーモニカを模したタワーがそびえ立つ、うなぎのパイで有名な静岡県浜松市に到着した。構内にはピアノの生演奏が響いていて、さすが音楽の街という感じだ。


 駅を出て向かったのは、とある和食屋。そこでは世にも珍しい、鰻の刺身が提供されているのだ。


 死にたくなったら浜松に鰻の刺身を食べに来る。


 それが私の中での決まり事だ。

 鰻の血には毒がある。目に入れば結膜炎、傷口に入れば化膿の恐れがあり、飲めば下痢等を引き起こし、最悪の場合は死に至る。

 この毒性は加熱することで失われるから、鰻の蒲焼きなんかに毒の心配はない。


 プロによって血抜きされた鰻の刺身を食べて、あたるなんてことはあり得ない。でも、私は死にたくなる度にここに来て、鰻の刺身を頼むのだ。


「お待たせしました」


 目の前に菊盛りにされた刺身が置かれた。見た目はまるでフグ刺しだ。

 美しく盛り付けられた中央から1枚とる。薬味のネギをそれで巻いて、紅葉おろしを加えたポン酢にちょんとつけて口に運ぶ。

 噛めばコリコリと弾力のある食感がして、ほんのり脂の甘みが広がった。




 ふらり、食後はコンサートホールへ。当日券を購入し、良質な音楽を2時間浴びた。

 その後も百貨店で買い物をし、美味しい夕飯を食べ、帰りの新幹線に乗り込む。


「……死ねなかった」


 否、それは口実だ。

 ストレスフルな日常から逃げ出すための言い訳なのだ。


 仕方がないから、まだ生きよう。

 死にたくなったらまた来よう。

 死にたくなるのも、悪くない。


 浄化された心で、私はそう思うのだった。


 ちなみに、鰻の毒で死ぬためには大量の血を飲む必要がある。

 鰻の刺身を食べて死ぬことはないと、私はきちんと知っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鰻の血液 きみどり @kimid0r1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ