And Then There Were None

 ──エレナと陽向ひなた


 六月の豪雨の中で二人は対峙する。

 互いの距離は三メートルほど。


「やっぱりあの事件は陽向ひなたちゃんだったんだねえ」


「事件?」


 僕はエレナの言葉に疑問を投げかける。


「今年の二月。鑑別所での火災。収容されていた男女および職員三十名以上が死亡。伏せられてはいるが、一部は誰かに殺──」


「黙れ!」


 エレナの言葉を、妹が遮った。いつの間にか手に持っていたバッグを地面に落とし、右手に何かを持っていた。ただの、白い木の棒のように見えた。


「おや、匕首あいくち──所謂ドスってやつかな? 随分殺意が高いね」


「だって、殺すつもりで来ていますから」


 ──ドス。


 聞き慣れずとも聞いたことはある言葉。妹は木の棒の先が細い側を下にして胸の前に縦に持つと、口角を上げ、棒の下側を持った左手をゆっくりと下げていき、最後は脇に投げ捨てた。下から現れたのは、鈍く銀色を放つ刀身。包丁よりもずっと細く、ナイフよりも刃渡りが長い。人を殺すための道具。


「おお、黒髪美少女にドスって中々絵になるね。レインコート姿なのが、ちょっと残念だけど」


 対するエレナに臆する様子は見えない。寧ろ、彼女もいつの間にか肩から提げていたバッグも、傘も地面に放り投げていた。その手元に目がいく。そこにもまた、銀の光。その手には、刃渡り十センチほどのナイフが握られていた。


「ねえ、陽向ひなたちゃん。私が蓮と恋人同士になった日って五月一日なんだ。それってどういうことか分かる?」


「……?」


 妹は怪訝そうに小首を傾げた。僕も付き合い始めた日こそ覚えているが、エレナの言っている意味は分からない。


「ま、劇的に何かが変わったわけでもないからね。……その日からさ、『平成』から『令和』に変わったんだよ。時代は変わったんだ。書類に略して書く時は『H』じゃなくて『R』だぞー、なんて、ね。新しい時代と共に、私達は歩み始めた。君とのことはもう過去だ。過去はさっさと思い出となって消えたまえよ」


「何を訳の分からないことを! 兄さんを返しなさい! 兄さんは貴女のものじゃない!」


 ナイフの切っ先を真っ直ぐに向けるエレナに対し、妹は匕首あいくちを構え、眉間に皺を寄せて叫ぶ。


「君のものでもないよ。……あのさぁ、今更だけど妹から兄への恋慕なんて叶うはずないよ? 例えフィクションだろうとね。もう古いんだよ、そんなコンテンツ。それに大好きなお兄ちゃんから目を離しちゃダメだろう? その隙に他のメスに取られるっていう妹キャラの定番を知らないのかなぁ? あと、前に『私は殺せない』って言ったの覚えてる? 当然だよね? だって。可憐なヒロインは、例え病気や致命的な怪我を負ったとしても、って決まってるんだよ」


 それが当然だというように、勝ち誇った笑みと共にエレナは言葉を並べる。


「お前っ……!!」


 ぬかるんだ土に足跡が残り、妹の姿が消える。三メートル程の距離が、一瞬で詰められ、妹が匕首あいくちを右上から左下に向けて袈裟斬りをする。エレナは背後に向けて跳ねるだけで軽々とそれを避けた。


「ははっ、感情のままに振るうだけで当たるわけないだろう? もう、間合いも見切ってる!」


 今度はエレナが両手でナイフを持って、思い切り前方に突き出す。それもまた、体を僅かに横に逸らすだけで簡単に躱されていた。


「さすがの身体能力だね。……改めて言うけど、君の恋は絶対に叶わない。あれだけモラハラとDVしておいて、それで愛が得られると本気で思ってるぅ? 君は『家族』という絶対的な繋がりを利用して、蓮を独占しようとしただけだろう? 自分から離れないよう、縛り付けただけだろう? 自分の欲望ばっかりぶつけてさあ。──あぁ、それが一種の、歪な愛の形であることは認めてるよ? でもね、共依存関係は二者関係の中でしか、成り立たない。お互いがお互いを見つめる中でしか、成り立たない。私がそこに介入した。私が二人の世界を壊した。もうそれは直らない。もう共依存関係は築けない。蓮は君に怯えている。私の癒しを必要としている」


 互いが互いに距離を取る。そして、エレナが一方的に語りかけるだけ。両者は動かない。


「嘘だ! 兄さんは私を必要としている。私も兄さんを必要としている。私たちは閉じた世界にいられればいい。お前がいなければ、私も兄さんに酷いことをしなくて済んだ! お前が、お前の存在が邪魔なんだ……!」


「よく言うよ。私が介入する前からしてた癖に。いつもそうやって自分に言い聞かせてるんだろう? 私は悪くない、私のせいじゃない、って。お兄ちゃんの知らない間に性的暴行を加えて、知った後も一人で快楽に酔いしれて。ねぇ、蓮は気持ちよさそうにしてた? 辛そうにしてなかった? それならさぁ、君がしてたのはセックスじゃなくて、ただのオナニーだったんだよ? 気づいてたぁ?」


 言葉の応酬が続く。妹は肩を上下させて感情のままに、対照的にエレナはどこまでも余裕を持って、煽るように。

 僕には、何が正しいのか分からない。正解があるのかも分からない。そもそも、自分が話題の中心にいるにも関わらず現実感が酷く薄い。ただ身を竦めたまま、行き着く先を見ているだけ。

 行き着く先を思い、恐怖する。それでも僕は、何も出来ない。


「醜いね、陽向ひなたちゃん。いい加減もう、見苦しい。私が、救ってあげるよ。もう苦しまなくていい。安心して私に蓮を預けたまえ。ちゃんと幸せにするからさ」


「お前のような女が、兄さんを幸せにできるわけがない! 兄さんの心の弱みにつけ込んで、中を侵していって! お前だって身勝手に支配しようとしている癖に!」


「んー、否定はしないけど。でも、その弱みを作ったのは誰か、って話でもあるよね。独り占めしたいならさ、隙を作っちゃ駄目だよね。詰めが甘い。どうせ遅かれ早かれ誰かに奪われてたよ。それなら、私がいい。私が貰う。私なら癒せる。幸せにできる。君には出来ないことが、私には出来る。蓮の心が私に支配されきるまであと少しだ。陽向ひなたちゃんが支配している領域は、残り少ない。もうすぐ、全てが私のモノになる。ありがとね、たくさん蓮を傷つけてくれて。おかげで、思っていたよりも簡単に蓮を篭絡することができた。ずっと欲しかったんだよね、蓮のこと。中学の頃に一目惚れしちゃってさ。だから、本当にありがとうね? 陽向ひなたちゃん」


「うあぁぁっ……!」


 殺意に塗れた叫び声と共に妹が一歩踏み込み、エレナの胸元に掌をぶつける。掌底。


「っ、ぐっ……!」


 エレナの身体が跳ね、骨が折れるような鈍く嫌な音がし、エレナはその場に崩れ落ちて血を吐いた。


「エレナっ……!」


 その名を叫ぶ。しかし、体は動かない。どうしても、動いてはくれない。あの時の、いや、あの時以上の惨劇を前にして、また僕は何も出来ないのか。


「ふっ……くふっ……。あはっ、あははははははは……!!」


 雨音を掻き消す程の大きな声を上げて嗤ったのは、エレナだった。口端から血を垂らしつつ、如何にも可笑しそうに嗤っている。嗤い声には、僅かに水音のようなものが混ざっていた。


「やっぱり、都合が悪くなると、暴力に頼るん、だねぇ……。──……ふふふっ!それよりもさぁ! ねぇ! 見たぁ!? 聞いたぁ!?」


 エレナは鳩尾に手を当てながらよろよろと立ち上がり、ビルの壁面に寄りかかる。しかし、弱々しい声は急に溌剌したとしたものとなり、目を見開く。その目は爛々と輝いていた。ぼろぼろな見た目とは裏腹なその声と姿に、妹は一歩後ずさる。


「今さぁ! 蓮は私の名前を呼んだんだよぉ! 陽向ひなたちゃんを窘める声じゃなくぅ! 私を心配する声を上げたんだよぉ! あはははっ……! それが──ごぼっ……何を意味するか分かるよねぇ!? ひぃ、なぁ、たぁ、ちゃぁぁぁぁぁん!?」


 叫びながら、血の塊を吐き出しながらも、手放さなかったナイフを握り直して壁から身を離し、不安定ながらも二本の足で立ち上がる。


「あっ……あ、っ……あぁぁぁぁぁぁ!!」


「あはぁ! ふふっ、あっはははは……!!」


 身体能力に勝り無傷な妹が悲痛な叫びを上げて匕首あいくちを腰だめに構え、満身創痍で今にも倒れそうに真っ青な顔をしたエレナが心底楽しそうに嗤い声を上げてナイフを同様に構える。


 ──二つの凶刃。

 ──二つの狂気。


 もう僕は、見ているだけではいられなかった。同じことを繰り返したくはなかった。


「──……!!」


 声にならない叫び声を上げて、僕は傘を放り出し、二人の間に体を捩じ込ませる。

 大切な人を護るために。

 大切な家族を止めるために。


 狭く暗い路地裏に、幾重もの叫び声が響く。

 悲鳴、そして、怒号。


 しかし、それらも長く続くことはなく、程なくして周囲に静寂が満ちた。




 雨は、降り続く。

 剥き出しの地面はぬかるみ、どす黒い泥水が広がっている。

 そこに、赤が混じった。流れ込む赤が、黒を侵食していく。


 ──汚泥に、赤く、花が咲いた。







 小鳥の囀りノイズで、自然と目が覚める。

 アラームより前に起きるなど、久々のことだった。ぐっと固まった身体を伸ばして、ベッドから出る。

 普段よりも早くに起きた故に、優雅な朝が訪れた。電気ケトルでお湯を沸かし、苦味が強く酸味が弱いお気に入りのコーヒーを淹れる。

 リビングはあまり物が置かれていなく、生活感はあまりない。机の上に置かれているのはテレビのリモコンと灰皿だけ。


 コーヒーカップを机に置くと、椅子に腰掛け、机に置いてあったタバコのパックから一本取りだして火を付ける。


 寝起き一番の一服とコーヒー。

 至福の時間だ。


 リモコンに手を伸ばしてテレビの電源を入れる。適当な鼻歌を奏でながらニュース番組を眺めていた。


『──昨日未明、十代とみられる男女三人が血を流して倒れているのを通行人が発見し、警察に通報が入りました。三人は直ちに病院に搬送されましたが、うち二人が死亡、残る一人は意識不明の重体です。三人には腹部を中心として複数箇所の刺し傷があり、警察では、三人が何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いとみて捜査を進めています。それでは次のニュースです──』


「ふぅん。そっかそっか。なんか呆気ないなあ。ま、それなりに楽しめたからいいけど」


 この数ヶ月を振り返りながら、煙を吐き出す。空中に広がっていく煙を、ぼんやりと眺める。

 程なくしてニュースへの興味を失うと、コーヒーを一口啜り、大きな欠伸を漏らしながらバラエティー番組へとチャンネルを変えた。


〈了〉


__________________________


拙い処女作にも関わらず、最後までお読みいただきありがとうございました。少しでも暇つぶしになっていたならば、幸いです。


この作品がお気に召しましたら、応援やコメント、☆評価を頂けると今後の励みになります。


今後、同じようなテイストの作品を書いていきたいと思っています。

機会あれば、また。


※次作も完結いたしました(記憶の澱)

世界観を共有しており、一部キャラが登場します。

本作を読んでいればより楽しめるかと思いますので、宜しければお暇がある際にでも。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

汚泥の花 ゆゆみみ @yuyumimi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画