fairy tale 7:契約のしるし
紫月音湖*竜騎士さま~コミカライズ配信中
第1話 使役するための契約はアレでした
本の中に入り込んで、その物語を体験できる。そんな不思議な本を扱う本屋fairy tale。顧客は人ならざるものばかりのこの店に、ひょんなことから出入りを許されるようになって早くも三ヶ月ほどが過ぎていた。相変わらず私はあやかしたちにとって本の返却窓口であり、今日も紙袋二つを持って夜の路地を歩いている。
シキさんのお店に行くのは、金曜の夜が多い。次の日が休みなのでゆっくりお店にいられるという、わりと安直な乙女の理由だ。
ショップカードがあるのでお店の扉はどこにいたって開けられるのだけど、今日はいつもコーヒーをご馳走してくれるお礼にちょっとしたお菓子を買っていこうと思って、家から近いコンビニまで歩いている。気合いを入れたお菓子より、コンビニスイーツの方が気軽で変に思われない気がする。
そんなことを考えながらシュークリームをふたつ買って外に出たところで、知らない男の人たちに声をかけられた。
「オネーサン、ひとり?」
「俺らと一緒に遊ぼうぜ」
典型的なナンパ男二人が、ニヤニヤ笑いながら近付いてくる。コンビニに戻ろうかと思ったけれど、たぶん私がコンビニからある程度離れるまで後をつけてきたのだろう。ここからだと走って逃げても、コンビニに辿り着くまでに追いつかれる。
周りはもう、人気のない路地にさしかかっていた。私の手には紙袋二つ分の本と、シュークリームの入った袋。そして、角を曲がったところですぐに使えるように、紙袋を持った手の指の隙間にお店のショップカードを挟んでいる。
一か八か、ここからあの角まで走って、曲がったところですぐにお店の扉を呼べば逃げられるかもしれない。
「大丈夫です。一人じゃないですから」
「どう見たって一人でしょ。いいから、いいから」
「ちょうど暇してたんだよ。一緒に楽しいことしようぜ」
「私を楽しませてくれるのはシキさんだけで十分です!」
「シキってオネーサンの彼氏? 何? 彼氏、そんなに上手いの? 俺らとどっちが上手いか試してみよーぜ」
「試さなくてもシキさんが一番です! あれもこれもそれもどれも、足元にも及びませんからーっ!」
そう叫んで、脱兎の如く走り出す。シキさんのあれこれそれどれなんて知りもしないけれど、目の前の男の人よりも断然いいのは考えなくてもわかる。……いや、考えると少し照れるが、今は逃げる方が先だ。
幸いにして、まさか私がそう返すとは思わなかったのか、虚を突かれた彼らは数秒後れを取ったようだ。その隙に角を曲がって、お店の扉を呼べば……と。そう焦ったのがよくなかった。
角を曲がる前に、私の指先からショップカードが抜け落ちてしまったのだ。そして最悪なことに、そのカードを拾ったのは私を追いかけてきた彼らだった。
「何だ、これ……fairy tale?」
「それ、血ぃついてね? 気持ち悪ぃな」
「返して下さいっ!」
両手に本の入った重い紙袋を二つも持っているせいか、奪い返そうとする手が思った以上に上がらない。逆にその手を掴まれて、男の方に引き寄せられてしまった。
「返してやってもいいけどさー。証明してくれる?」
「証明って……」
「オネーサンの彼氏と俺と、どっちが満足させられるか」
「阿呆。俺に決まってるだろうが」
低く、怒気を押し殺したような声がしたかと思うと、肩を掴まれてくんっと後ろに引っ張られる。背中に硬い感触がしてパッと見上げた先、視界に映ったのは無精髭の生えた顎だった。
「シキさん!」
ちらっとこちらを見たシキさんの瞳が、黒縁眼鏡のレンズの奥で冷たく光る。何だか……とても怒っている、ような気がする。
「彼氏、ずいぶんと自信満々じゃん。でも俺らも負けてないと思うんだよね。だからちょっと試させてよ」
「試す必要性を感じない。コイツはすぐに気をやる」
「ちょっと、シキさ……っ、んむ!」
目を閉じる暇もなく。
心の準備をする間もなく。
見開いた視界いっぱいに、シキさんの少し青みがかった瞳が近付いたかと思うと、唇全部を食べられるように覆われて――そこで私の意識がぷつん、と途切れた。
***
次に目を覚ましたのは、fairy taleの二階。私はいつの間にか、カフェのソファー席に横になっていた。体を起こすと、タイミングを見計らったようにコーヒーが置かれる。見上げれば、まだ少しだけ怒ったような冷たい瞳が私を見下ろしていた。
「シキさん」
「ああなる前に、早く呼べ。何のために、カードに術を施したと思ってんだ」
「あやかし限定かなって思って……すみません」
テーブルに置かれたコーヒーの横には、男たちに奪われたはずのショップカードがある。シキさんが取り戻してくれたのだろうか。そういえば私はどうやってここに来たのだろう。シキさんが助けに来てくれた後から、意識が――。
「あーーっ!!」
「何だよ、うるせえな」
「シキさん! しっ、しししましたよね!?」
「したって、何を」
しらばっくれても無駄だ。かすかに顔を背けるシキさんの頬も手も耳も、見て下さいと言わんばかりに真っ赤なのだから。その顔を見ていると、意識を失う寸前の記憶がまざまざとよみがえって、何だか唇がむずむずする。
っていうか、シキさんの……ッスは、想像していたよりもはるかに……その、何というか……大人なアレだった。いや、シキさん大人なんだから当たり前なんだけど、そういうことに興味なさそうな顔してアレはない。いろいろヤバい。シキさん、それは反則です。
「元はといえばお前のせいだ。あることないこと言いやがって。何だよ、あれもこれもそれもどれもって……人を色魔みたいに言うな」
「だって、ああでも言わないと引き下がりそうになかったんですもん!」
「言い訳すんな」
「言い訳じゃないですよ。あの人たちに触れられるよりはシキさんの方が何倍もいいに決まってます!」
「だからそういうとこだよっ! っとにお前は……あぁ、くそ!」
シキさんが、私の座るソファーのそばに立ったまま、苛立ったように前髪をわしわしっと掻きむしっている。何だかとても不機嫌そうだ。そう思っていると、不意に真面目な顔になって私を見下ろしてきた。右手はソファーの背もたれに、左手はテーブルについて、少し背を屈めたシキさんの体はまるで檻のように私の体を閉じ込める。
「……シキさん?」
「言葉には気をつけろ」
「え?」と発したはずの声が、シキさんの唇に食べられてしまった。
二度目のキスはマシュマロみたいにやわらかくて、私はまた意識を失いそうになる。けれどそれよりも早く離れていくぬくもりを目で追うと、何事もなかったようにシキさんが無表情で離れていってしまった。
「契約だ」
「……え?」
「何かあったら俺を呼べ。これは俺を使役するための契約だ。対価はお前の命のかがやき」
「命って……」
「心配すんな。お前の気力をちょっとばかし拝借するだけだ。命に影響はないが、吸いすぎると気を失う。さっき……意識飛んだろ。アレだ、アレ」
男の人たちの前でやったあの濃厚なアレが、気力を吸うということなのだろうか。吸われたのは気力だけではなかったのだけど。
でもそうすると、さっきの二度目のキスの時も意識が飛びそうになったのは、シキさんのキスが気持ちよかったから……ではなかったということになる。
――いや、待って。
契約って、そう何度もするものなの? そもそも二度目のキスは、何の危険に対してシキさんの力を使おうとしたの? ここはfairy taleで、シキさんの領域で、何の危険もない……はずだ。
「シキさん」
「何だよ」
「その……二度目のやつは、本当に契約ですか?」
ちょっとだけカマをかけてみる。すると案の定、シキさんの顔がボンッと火を噴いた。
「け、契約に決まってんだろ!」
「言い訳ですよね! 人のこと言えないじゃないですか!」
「ごちゃごちゃうるせぇぞ! 契約の前借りでいいだろ!」
「そもそも契約じゃなくて、ちゃんと普通にキスして下さいっ!」
「……っ、だから言葉には気をつけろっつってんだろーが!」
ぎゃあぎゃあと喚く私たちは、お互いが顔を真っ赤に染めていてとても滑稽だ。けれどこんな時間がとても楽しくて、愛おしくて。いつの間にか、私たちはまた同じ気持ちで見つめ合って――。
三度目のキスが契約なのかどうかは、もう答えを聞くまでもなかった。
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